ユメミル少女達
豊原森人
ユメミル少女達
陽炎が立つ通学路には、誰の人影も無く、香織は、辺りをボンヤリ眺めながら、一歩、また一歩と歩き始める。次第に滴ってくる汗を、スポーツバッグから取り出したハンドタオルで拭いつつ、ただ漫然と、歩いてゆくうち、彼女が通う高校にたどり着き、これもまた、導かれるわけでもなく、プール脇の、彼女が所属する水泳部の部室へ、歩みを進める。部室に鍵はかかっておらず、入ってみると、西側の窓からの強烈な日差しが差し込んできて、何ともいえない蒸し暑さに顔をしかめるが、その時、出入り口に誰かが立っている気配を感じ取り、
(そっか。ここが私の理想なのね)
期待を込めて振り返ると、そこには、中学からの付き合いである唯の姿が――オタクらしい、ビン底眼鏡に、栄養不足の艶の無い、一まとめにされた三つ編み。それでいて、素材たる顔立ちは上等なもので、ぱっちりした二重瞼に、何とも言えない複雑を色を湛えながら、頬を上気させ、
「香織ちゃん……何? 話って」
期待を込めるような黄色い声を向けてくるが――普段は漫画や深夜アニメをこよなく愛し、オタク仲間と共に漫画研究会という、イケてない女子が所属しがちな部活で、日々青春を送っている彼女らしくない、大人の色気のようなものを漂わせており、その瞬間、香織は思わず、
(マジか……)
度肝を抜かれた思いで、部室の椅子にへたり込んでしまう。次第に頬が熱くなり、動悸が激しくなっていくので、香織は、観念したように、
「話っていうのはね」
「うん」
ここで、この妙な、なまぬるい雰囲気に飲まれてしまったように、顔を俯かせている唯が気になり、
「あの……私の事どう思ってる?」
声を向けてみると、
「ん……とっても大切な友達。私みたいなオタクでも、誰にでも、優しいし、水泳部で毎日頑張ってて、かっこいいし、それに……」
笑顔で、聞いても無いのに、香織の長所を言い始めるので、それがくすぐったい思いで、照れ隠しのように、
「わ、分かったよ。もう大丈夫」
顔を赤くして、話を遮る。そして、意を決して、
「あなたのことが好きです」
瞬間、空から、白い光が、水のように注いでくる――
昨年、お年玉を貯めて購入した、自室用のコタツは、唯の創作意欲を大いに刺激してくれる。温いコタツで、彼女は半纏を着て、マグカップに淹れたコーヒーを飲みながら、四角いテーブルの上に置かれた原稿を、背中を丸めながら、一心不乱に仕上げていた。何処へ持ち込むのかも分からない原稿だが、高校を卒業したら漫画家になる、という夢を乗せて、ペンをひたすらに走らせて行く。
(うわー……こんな感じなんだ)
唯は、苦笑しつつ、とにかく目の前の原稿を仕上げることに集中するのだが、
「ねー。いつ終わるの」
突然の声にびっくりして、辺りを見渡すが、誰もいない。すると、コタツ内で胡坐をかいている足に、別な人体の感触を覚えると同時に、ちょうど唯から見て右側のコタツ布団に、香織が寝そべっているのが見えた。原稿に集中していて、彼女の存在に、唯はまったく気づいていなかったのだ。
香織は、退屈そうに、唯の本棚からゴソっと取り出したのであろう、漫画本を眺めながら、
「いつ終わる?」
また、そんな声を向けてくるので、唯は内心で、
(う、うそでしょ)
激しく動揺しながら、手元のペンをぎこちなく動かしつつ、
「えっと。あと一日」
適当な返事を返す。すると、香織は、ムックリ起き上がって、
「じゃあ、今日遊べないじゃん」
水泳部での活躍を象徴しているような、日焼けした肌――生まれつきだという、若干茶色がかったボブヘアを揺らしながら、不満そうに、唇を尖らせる。
「あ……ごめんね」
また、気の抜けた返事を唯が返すと、
「別にいいけど」
不貞寝するように、ゴロリと、背を向けて横になる、その一連の仕草は、主人に相手にされず、スネる猫に似た風情があり、そのいじらしい姿に、唯は、ふと、雷に打たれたような衝撃に打たれ、
(やっば……萌え……!!)
つい口角を上げつつ、ずりずり、とコタツから這い出て、香織の背後に忍び寄り、そして、寝転がる彼女に、覆いかぶさるように、ぎゅっと抱き締める。
「うわ……そっか。ずっと気づかなかったんだぁ……」
次第に高揚していく気持ちを抑えながら、そんな事を言うと、
「何? 何の事?」
振りかえる香織の、まんざらでも無さそうな顔を眺めながら、真剣な顔で、言葉を紡ぐ。
「これから私と、人生のページを描いて行ってくれませんか?」
瞬間、空から、白い光が、水のように注いでくる――
ぴぴぴ、ぴぴぴ、ぴぴぴ。
卵形の機械の、出入り口が開き、電子音声が鳴り響く。
『終了です。お疲れ様でした。めまい、動悸など、体調がすぐれない方は、すぐにお近くの係員にお申し付けください』
若干の気だるさを感じながら、香織と唯は、ゴーグルとヘッドホンを外し、ソファから起き上がる。お疲れ様です、と笑顔で誘導する係員に従って、機械から出、出口の脇に置かれた、椅子に腰掛ける。目の前の長机には、『深層心理テスター“DOF”・アンケートのご協力』と書かれた、企業説明会などでよく見るプラカードが掲げられていた。
そして、化粧が濃い目の、やり手の営業といった様子の女性係員が、冷えた水と、タブレットを持ってきて、笑顔で話し始める。
「いかがでしたか? カプセルに入る前にご説明させていただきましたが、念のため……この深層心理テスター“Dream of future”は、人々が無意識のうちに感じている、いわゆる深層心理を、特殊な波長を用いて探り出し、それをバーチャルで体験することができます。今回、お客様には、“理想の告白シチュエーション”と、“自分の理想の恋人”という二点を設定し、約五分間のバーチャル体験をしていただきました。お二方は十七歳と、まだまだお若い身でございますが、恋愛についても、多感な時期と存じます。どうでしょう? 将来の恋人様を見ていただけましたか? テスター前に考えていただきました、『愛の告白の言葉』は、最後にしっかり言えました?」
笑顔で話す彼女に、唯は目線を合わせることなく――しかし、耳まで真っ赤にして、俯き、香織は、冷水に口をつけながら、
「は、はぁ。そですね」
頭を茹らせつつ、ぎこちない苦笑いを浮かべると、それを、照れ隠しと勝手に解釈してくれたものか、係員は満足そうに笑いながら、
「それはよかった! では、この体験の内容について、簡単なアンケートに、ご協力いただきますようお願いいたします。DOFは、この第一回、日本科学技術博覧会に向けて、開発に十年……当社の技能と叡智を結集したものです。今後の科学技術の発展のため、忌憚の無いご意見のほど、お願いいたします」
相変わらずの営業スマイルで、手元のタブレットを勧めて来るのだが、正直なところ、香織も、唯も、その質問に、将来の科学技術発展云々のために、真面目に答えるという頭は、すでに残っていなかった。
この博覧会に、修学旅行で訪れたばっかりに。
興味本位に、面白そうだと思って、並んでみたばっかりに。
今隣にいる――これまで、友達だと思っていた存在が、自身の深層心理の中で、理想の恋人として描かれていたことに対する衝撃に、耐えるので精一杯であり、そして、お互いの存在が、最前より、いやに眩しくて仕方なく、共にタブレットに目線を固定し、操作しながら、
「……唯、どうだった?」
「別に、ふつーだった」
「普通って何よ?」
「そーゆー香織ちゃんはどうだったの」
「いやぁ、普通」
「やっぱり、ほら」
マトモに会話を交わせないまま――わずか五分の間に作り上げられてしまった、こそばゆい空気が、今の二人には、実に心地よかった。
互いの愛情を確かめ合うのは、さすがに、五分以上はかかる、暫く先の話になる――
ユメミル少女達 豊原森人 @shintou1920
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