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水野スイ
チャプタ― :α (アルファ)
α(アルファ)とは、全ての始まりでありすべての終わりである。
始まりの無い終わりなど、終わりのない始まりなど、もう二度と思い出すことの無い記憶の数々に似た形をした、不完全な幻想である。
β(ベータ)とは、全ての終わりであるすべての始まりである。
不思議なことに、αとβは一度も出会う事の出来ない存在であるのに、互いが居ないと存在しえない不完全な現実なのだ。これほどまでに、理不尽で非現実的で、でもどこか乏しい幻想であるものがあるだろうか。
「依存は、あった方がないよりもマシなのかもしれない」
そんな何気ない一言を教えてくれたのは、学校の大好きだったスクールカウンセラーの女性だ。毎月1回は行われる、学校調査アンケートの欄にわざわざ名前を書いて、その女性に毎回会いに行っていたのをよく覚えている。
眼鏡をかけ、どこかおっちょこちょいな彼女は、私が会いに行くたびに笑顔を見せ、「またまた、今日はどうしたの?一か月前は、恋愛の相談だったけど」などと冗談を言って、私を笑わせてくれたりもした。
私には、先生以外何も無かった。だから味気ない制服も、無駄で皮肉で汚らわしい教室で息を吸う事さえも、私は耐えられた。冷たく、氷のように閉ざされた私の心に、光をともした、まさに恩師であった。
しかし1か月に一度しか会えない私達を引き裂くように、時間は刻々と過ぎて行った。たった1時間と20分の、しあわせな時間。
彼女から、その「依存」という言葉を聞いたのは、最後のカウンセリングの日だ。
そこで、その彼女から「依存」という言葉を聞いて、私は自分に針が一本刺されたような、鋭く少し痛い感覚に襲われたのだ。
いつもなら、どうしたの、とか、何かあった?という、私を気にかけてくれるような温かい言葉ではない、違うことばであった。今思えば、それは、その言葉は彼女自身を表していた、とも思う。
「だって、人間、皆そうでしょ。そうじゃないと、子供も大人も社会もやってられないからさ」
確かに、そうだ、と私は思う。依存しあい、依存され、そうして私達は、自分が居ることを認識しあう。しかしなぜ、この最後のカウンセリングの日にこんなことを、先生が話したのか、当時は疑問に思っていたが、のちに意味を知ることになる。
「私もあなたも、きっと何かに依存している。形ではない、形には出来ないとても寂しい感情を埋めるためにね」
「じゃあ、私はたぶん先生に依存してると思います。私は先生が、好きです」
その時私が言った、「好き」という言葉が、ぐちゃぐちゃしてねっとりして、足裏についたガム…ほどにはならないけど、そんな意味を無意識に込めていた。あなたに、愛を伝えるために。
「私も、ゆめちゃんがとても好きよ。どんな気持ちで毎回私と話してくれているのか知ってる。初めて会ったときよりも、おしゃれさんになったもの」
その時先生は、私の唇の、赤いリップに人差し指を触れた。
先生のための赤いリップ、少し背伸びして買ったアイメイクの化粧品。すべて、すべて今目の前に居る人のためだった。なのに、
「誰か本当に好きな人でも、出来たの?」
どこか、「依存」という言葉を聞いた時から勘付いていた。いやそれより、前から。先生の赤い口紅が濃くなって、知らない色のアイメイクをして、イヤリングはブランド物になって。
「先生、今日でカウンセラー辞めるんだ。辞めて、新しいテレビの仕事に就くことになったの。多分…もうこんなに話せないかもしれないけど、これ私の電話番号」
殴り書きで描かれた、メモ用紙の電話番号。
捨てられない、心に刻まれてしまった瞬間だった。
「もし、また会って話せるならその時は私の本心を聞いてください。私は、ずっとこれからも先生に依存し続けると思いますから」
「ゆめちゃん…いつまでも、私に構うのではなく本当に好きな人を見つけなさい」
悲しかった、けれどもう叶わないものだと知った。先生は、私の気持ちを知っていた。そしてそれが偽りの愛であることを分かったのは、先生が本当の愛を知っているからだと悟った。
先生だからこそ、それは疑わなかった。それ以上、何も言わなかった。
それから1年ほどして、彼女の名前を聞いたのはたまたま付けていたテレビからだった。
「…と名乗る20代の女性が、…連続殺人事件の犯人を2年間かくまり、本人も犯行にかかわったと供述していることから、逮捕されました」
悲しさは無かった。悲しさなんて、必要のないほどに。あの時の先生を理解できたことに、あの時の言葉を理解するのに、1年もかかったことに、ひたすらに悔やんだ。
”先生だって、本当の愛なんて知らないくせに”
そうやって、突き飛ばしてあげたかった。
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