Teen Flick
水瀬
ミコとハイト
世界が終わってしばらく経った。
その間、僕は毎朝八時に起き、冷蔵庫にある適当な食べ物を食べ、隣室で眠りこけているミコちゃんを叩き起こし、二人でゲームをし、また何か食べられそうなものを食べ、昼寝して、遊んで、酒を飲み、漫画を読み、とにかく自堕落で刹那的な毎日をぐうたらと過ごした。
食べ物や飲み物がなくなれば、アパートから徒歩一分の距離にあるコンビニに出向き、商品棚に残っているカップ麺やお菓子をまとめて持ち帰るだけで事足りる。
何しろ僕もミコちゃんも昔から少食の引きこもりであったので、三食ポテチと言われても何一つ文句がない。最低限腹が膨れれば万事オーケーなのだった。
そういうわけでリビングのソファに寝転がってランチ代わりのポテチをもりもり食べながら映画を見ていた僕のもとに何やら難しい顔をしたミコちゃんがやってきたのが数分前の話で、しかしミコちゃんはほとんどいつも難しい顔をしているので僕は全然気にせず、古臭い青春映画に没頭していたのだった。
「それ、そんなに面白くないでしょう」
「んー」
「ハイト君、勝手に持ち出しましたね?」
「んー」
適当な相槌。
先程から流している映画は、今朝ミコちゃんの部屋で偶然見つけたDVDに入っていたものだ。ミコちゃんの部屋には何だかよくわからない本や円盤が散乱していて、最近の僕は毎日のようにそれを持ち出しては暇つぶしに使っている。
画面の中では高校生の三人組が河川敷を歩いていた。物語に深みもなければ驚きもない、嘘くさい青春が淡々と続くその映画は、確かに大して面白いものでもない。
「これなんてタイトルなん?」
「覚えてないですね。ラベルとか、ありませんでした?」
「うん」
物語はどうやら終盤に差し掛かっていたらしい。淡い恋模様があり、仲間内で喧嘩をしたり、仲直りしたり、まるでノルマのように思春期っぽいエピソードを消化し、これから何かが起きるのかという期待をよそにあっさりとエンドロールを迎えた。
「どうです?」
「無味無臭」
言って、テレビの電源を切る。ミコちゃんは一体どこでどうやってこのDVDを見つけてきたのか、おそらくアマチュアの自主制作であろうその映画は、薄っぺらく、ありきたりで、退屈な、地味という程の特徴もないものだった。
「でもこれで全人類が見た映画ですよ」
と、ミコちゃんはシニカルに笑う。
「二人しかいねーじゃん」
言って、僕も少しだけ吹き出すように笑った。
世界が終わってしばらくが経っていた。
*
世界が終わった。
いつ、どうやって、なぜ終わったのかを僕は知らない。
何せ僕もミコちゃんも筋金入りの引きこもりで、ここしばらくずっと日の光を見ることも外の空気を吸うこともしていなかったのだ。
ある日ほんの少しだけやる気が出たので換気をしようと思い立ち、重々しい雨戸を開けると世界は終わっていた。どうやら僕とミコちゃんの二人だけが滅亡しそこねてしまったらしかった。
こうなってしまえばもう仕方がないので、何とかして生き延びねばならない。僕たちには自死を選ぶ勇気すらありはしなかった。
電気やガス、水道といったインフラはよくわからない方法でミコちゃんが何とかしてくれた。ミコちゃんがそれらを何とかしてくれている間、僕は食料をはじめとした生活必需品を集めたり、自宅周辺の環境を調べたりといったフィールドワークを受け持った。
終わった後の世界の様子は、いたって平和の一言に尽きる。ところどころに荒れた形跡こそあるものの、大規模な破壊の痕も無ければ死体の一つも見当たらず、しかし時折犬や猫といった動物に遭遇した。なので、正確に言えば終わったのは世界ではなく人間の方だ。
不思議なもので、人がいなくなったとわかった途端に、僕の心の内にずくずくと蠢いていた外界への恐怖はきれいさっぱりなくなってしまった。結局のところ、僕もまた世界ではなく人間が怖かったのだ。
人と関わるということはきっと摩擦のようなもので、触れあえば触れ合うほど僕らはすり減ってしまう。コミュニケーション能力というものは力加減の上手さでしかなく、どんなに加減されたところで脆い方が多くすり減ることに変わりはないから、誰よりも脆い僕らは、誰とも接触せずに息を潜めているしかなかった。
僕を削り取ろうとする何もかもが消え失せた世界は少しだけ寒いけれど、血を流すよりはマシだと思った。
*
「ってーか、一番たくさんの人が見た映画って何なんだろうな」
二人並んでポテチをバリバリと食べながらあーだこーだと先程の映画の駄目な点を言い合った後、ふと口をついた疑問に、ミコちゃんは少しだけ目を伏せて考える素振りを見せてから、大真面目な顔でこう答えた。
「多分……ハリウッドの何か……すごいやつです」
「わかんねえなら無理せんでも」
苦笑。
「邦画限定ならほら、ちょっと前にやっていたアニメ映画ですよ。見ました?」
「見てるわけねえじゃん」
「ですよね」
ミコちゃんが話題にした作品は、確か漫画が原作の大作アニメ映画だったはずだ。封切り以来随分長く上映されていたけれど、映画館に行かない僕とミコちゃんはもちろん見たことなどない。
「……見に行きます?」
「見れんの!?」
「まあ、はい。多分」
ミコちゃんが言うならきっとそうなんだろう。彼女は何かよくわからないものを何とかすることに関しては僕とは比べ物にならないほどの知識を持っているのだ。
それから僕たちはすぐに家を出ると、自転車で十五分ほどの距離にある映画館に向かった。五月の東京はまだ少しだけ肌寒く、風を切って走る二人乗りの自転車は思っていたよりずっと速いスピードで僕たちを運んだ。
到着した映画館は当然のように無人で、歩く度にロビーの絨毯に積もった埃が舞い上がって呼吸の邪魔をする。ミコちゃんが電源やフィルムをどうにかこうにかしている間、僕はカラカラに干からびたポップコーンの残骸をしげしげと眺め、売店で益対もないグッズを物色し、大して興味もない洋画のパンフレットをパラパラとめくって時間を潰した。
そうこうしている内にロビーの電灯が灯り、僕と同じく埃まみれのミコちゃんが戻ってきて「もう見れますよ」と言うので、僕らは連れ立って劇場に入り、ミコちゃんは最後列、僕は中央の席に陣取って、既にオープニングが流れ始めていた映画を見た。
その映画は、少なくとも自宅のテレビで見たアマチュアくさい青春映画とは比べ物にならない程面白かったけれど、エンドロールに並ぶ無数の人名が、僕にはまるで物言わぬ墓標のように思え、僕はこうして毎日思いつきのような気軽さで、数多の人々が世界に残していった素晴らしい物事を消費し、やがてそれにも飽きて死んでしまうのだろうかと、そんなことをふと考えたのだった。
*
「―― ですよ」
映画館からの帰り道、ミコちゃんが突然つぶやいたその言葉を僕は聞き逃した。
「え、なに?」
「今朝見ていた映画のタイトルです。今思い出しました」
「もしかしてずっと考えてたん?」
質問には答えず、ミコちゃんは微かに笑う。
静まり返ったビル街の向こうに沈んでいく夕日が眩しくて、僕はその顔をよく見ることができない。
「もっかい教えてよ」
別に、その映画のタイトルが気になるのかと訊かれれば答えはノーだ。多分今後一生見返すことはないだろうし、もし見返すことがあったとしてタイトルを気にすることなんてないだろう。その程度の出来栄えの、その程度の駄作だ。世界中の巨大なスクリーンで上映され、何千万人がこぞって見に来た大作映画とはものが違う。
だからこそ聞いておこうと思った。少なくとも僕たちがタイトルを覚えているという一点においてそれらは等価で、僕たちが死んでしまう時、平等に全てが意味を失うのだ。
まったく、終末なんてロクなもんじゃない。
「Teen Flick」
ミコちゃんはそう答えた。
意味はよくわからなかった。
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