む~ん
ナタリー爆川244歳
第1話
む~ん、と俺、夜空に浮かんで。
我ながら模範的な満月をやっていると思う。冷たい光のヴェールを纏って宇宙の濃墨に浮かぶ姿は、まさに天体の誉れと言って差し支え無いだろう。
一たび、地球を見下ろせば、広がる人、人、人の海。一体どれだけの数の人が住んでいるのか。まさに天文学的、というやつだろう。これぞ天体ジョーク。上手いこと言うたった。座布団はいらんから土星の輪っかをおくんなまし。
大半の人間どもは、俺のことを気にもかけずに生活している。が、中には、俺に語りかけてくるものもいる。
例えば、みぃこ、と名乗る少女の場合はこうだ。
「わたしね、ピアノが上手くなりたいの。お父さんとお母さんに弾いてあげて喜んでもらいたいの。お願い、お月さま」
非常に惜しいと言わざるを得ない。その願いの純真さ、まことに素晴らしいのだが、担当が違う。となりの部署の流れ星さんにお願いしてくれ。月には願いを叶える力はない。
そもそも、人間一人の願いを叶えるということは簡単なことではないのだ。煩雑な手続きや、星たちによる稟議が必要になるし、担当するのは願掛けについての高度な専門知識をもち、経験豊富な星でないといけない。しかし、そんな星はなかなか現れない。
おまけに願い事は星の生命と引き換えに叶えることになるため、担当になった星は必ず死ぬ運命にある。宇宙には片付けなければならない問題が山積みになっているため、人員、いや、星員は優先して宇宙問題の解決に割かれる。よって、人間のために流れ星が流れる事は非常に珍しい。以上が、人間がめったに流れ星を見かけない理由、及び、星に願った祈りがなかなか成就しない理由である。
人間だけが俺に語りかけるのではない。猫のトラ次郎や犬のポチだって、話しかけてくる。ニャンニャンニャン、ワンワンワン、と吠えてくるのだが、要するに、飯をもっとください、と言うてくるのである。知るか。なんで俺に言うんじゃ。
「ねえねえ、お月さま」
その日、俺に語りかけてきたのは、一匹の奇怪な虫けらだった。六本足で、人間の親指サイズ、ボデーが非常にカクカクしていた。彼の直線で構成されたボデーは俺に「マッチ棒クイズ」を想起させた。だから、彼を「マッチくん」と呼ぶことにした。
ちなみに、マッチ棒クイズとは、マッチ棒で作られた図形の一部を動かすだけで、家が船になったり、一が百になったりする代物だ。先日、観察していた人間がやっていた。そのユーモラスさに、俺は大層感激したのを覚えている。
「僕ね、なんていうのかなあ。そう、解き放ちたいんだよ。この身に宿したパワーをさぁ。僕らの命って儚いわけじゃん? でも、生活の大抵は捕食者から逃げ回ったり、樹液を吸ったり、子孫の繁栄に費やされるんだよね。でも、それだけじゃ味気ないじゃん。もっと意味がほしいよね。じゃあ命をどう使うかって言ったら決まってるじゃん。最高の思い出を作るんだよ。あとから考えただけでも笑っちゃうような。そんな思い出、作っちゃおうよ!」
さすがは虫けらだ。相手の事情も考えずに自分語りをすることばかり考えてやがる。しかもその内容は思春期の少年少女が書いたポエムより意味不明で恥ずかしい。途中まではお願いだったのに、しまいには、作っちゃおうよ! とか言って勧誘の文言みたいになっている。それが虫脳の限界か。雑魚め。勝手にやってろ。
「おらぁ、ワレェ、月。何ぃオレのこと見とんじゃボケがぁ」
喧嘩を売られたのは初めてだったから、えっ、となり、極度のストレスで自身の表面にクレーターが出来た。声の主を探すと、アパートのベランダから俺に怒鳴り散らかす者があった。
それは
俺はこの男を知っていた。先日、マッチ棒パズルを解いていた人間、その者こそが餓死垂亜魔ンである。酒瓶を手にした彼が、俺に悪態をついてくる理由には検討がついていた。
亜魔ンは致命的にモテなかった。そのため、三十二年間、恋人がいたことがなかった。が、ある日、とうとう彼にも恋人が出来たのである。
しかし、そのたった二ヶ月後、二人は大喧嘩をした。オメ香がいきなり発狂、亜魔ンの容姿・性格など全てを貶しまくったのである。正確には喧嘩というより、オメ香から亜魔ンに対する一方的な攻撃であった。
それでも亜魔ンは自分が悪かった、と思っていた。涙ながらに謝罪、反省に反省を重ねて、自分の欠点をできる限り克服する努力を重ねて、オメ香に会いに行った。謝罪の一環として、高級な菓子折りまで持参して。
ところが、オメ香は、亜魔ンの変貌を「アナタらしさが無くなったからつまらない」と主張。いきなり亜魔ンをフッたのである。
最初のうち、亜魔ンは嘆き悲しんで暮らしていたのだが、その悲しみはどんどん怒りに変化していった。気がつけば、亜魔ンはどす黒い煙のようなものを発するようになり、殺す、が口癖の鬼に成り果ててしまった。
「あのクソ女がぁ。絶対に殺したる。今から殺す。殺す殺す殺す。家に押しかけて殺す。手足縛って風呂の排水溝と台所の三角コーナーの中身食わしたる。歯ぁ引っこ抜く。爪と頭皮剥がしてヘドロ塗りたくる。首、切り落として蹴鞠にしたる。臓腑、引きずり出して遺族に食わす。そのあと一族郎党皆殺しにしたる。殺す殺すころすころス、コロスコロスコロス殺殺殺殺・・・・・・」
亜魔ンは目ぇを血走らせて、よだれを垂らし、ぐるるっと唸り声をあげた。
どうにかして、亜魔ンの凶行を止めねばならぬ。俺はそう決意した。
月は正義の味方なんだね、と思っている奴は途方もない見当違いをしてやがるマヌケ野郎だ。俺が善性によって亜魔ンを止めるとでも思っているのか。自らの保身のために決まっているでないか。
今の調子で行けば亜魔ンは確実にオメ香を殺す。逃走を計画に入れない犯行であるため、当然捕まる。捕まったら動機を尋ねられるわけだが、殺人の余韻で頭が暴走している亜魔ンは「月がキレイだったので」とか抜かすに決まっている。この供述はマスコミ等の手によって世間に広く知れ渡ることになるのだが、すると、人々は月を見ただけで猟奇殺人を思い出すことになる。そのうち、
「月ってよく見たら怖くない?」
「裏側とかやばいよね。ひっくり返したカブトガニよりグロいよ」
「我々はあんなものを尊がっていたのか」
「不謹慎やしお月見廃止しましょ」
「タロットカードからも抜きましょか」
と、なるなどして、俺の神聖さは失われる。そして、空に浮かぶただのデカイ石ころに成り果ててしまう。そんな事、絶対にあってはならない。
俺は必死に思案した。亜魔ンを止める方法を。
「おい、マッチくん。聞こえるかね。俺だ。月だよ。返事しとくれ」
俺はマッチくんに話しかけた。世界の摂理が乱れるため、天体が生き物に話しかけるなど、本当はやってはいけないのだが今は緊急事態だから仕方ない。あとで他の天体に怒られるのは承知の上だった。きっと奴らだってわかってくれるさ。
「あ、お月さまだ!」
マッチくんは前の足をスリスリとすり合わせて楽しそうだった。俺に話しかけられてびっくりしないのは純真だからなのか、単純に脳みそが足りてないからなのかはわからない。でも、この際どうでもいい。
「君にお願いしたいことがあってね、今から俺のいうところに向かって欲しいんだわ。君のファミリーやフレンズも一緒に連れていってよ。そう、できるだけ大人数で。君が言ってた〈最高の思い出〉を作るチャンスでもあるんだよ。後で、お礼もちゃんとするから」 警戒されるかな、と危惧していたのだけれど、マッチくんは、いいよー、と快諾、小さな羽で飛んでいった。
亜魔ンよ、俺は必ずお前を止める。他ならぬ俺の未来のために!
狂気を実現せんとし、夜道をいく亜魔ン。右手には包丁。暗黒の煙が二割増しとお徳用で、夜の闇が深くなった。
ぶぅんぶぅんぶぅん。空気を震わす音が夜道に響く。
――これは、羽音か?
そう思った亜魔ンの前に現れた巨大な茶色いモヤ。千匹はくだらぬ、大軍勢のカメムシ。
マッチくん軍団、見参!
「ああああああああっ」
亜魔ンはヒョロヒョロの悲鳴を上げて、地面にへたり込んだ。
俺は前から亜魔ンを観察していたから知っている。亜魔ンはカメムシが大嫌いだった。例えば、自転車に乗っていて、通りがかりの家の壁にカメムシがついているのを見つけただけで転倒、救急車で運ばれてしまう有様であることを。
しかし、亜魔ンはゆっくり立ち上がると再び前進を始めた。元恋人への怒りが亜魔ンに怒りを克服させようとしている。これはいかんと、敏感に反応した俺はマッチくんに指示を出す。
「マッチくん、君の身に宿る力を解き放つために、目の前の人間に取り付くのだ!」
オッケー、と羽毛より軽い調子で答え、亜魔ンに向かって飛んでいく。
「ちょ、ちょ、ちょ、もうええって! 嫌やぁ、ごめんなさい、人も殺したりしません。もう、許して!」
亜魔ンが狂乱してマッチくんを手ではねのけた。その瞬間。
「解き放ちてぇぇぇぇぇ」
マッチくんは内なる力を解き放った。彼のファミリーやフレンズもつられて一斉に解き放つ。亜魔ンは、臭ええええ、と白目を向いて気絶した。包丁がカラン、と地面に落ちて、黒いモヤモヤがあたりに霧散していく。
「もう最高。ファミリーとフレンズ、そして、企画してくれたお月さま。マジ最高。せんこいち。絶対無敵やし」マッチくんが意気揚々と語った。
だよねー、と俺は相槌を打ちながらも、マッチくんのことを不快に思っていた。イベント前の純真な感じのマッチくんの面影は消え去って、かわりにゲスな目的で結成されたイベントサークルの会長みたいなウザさがムンムンしていたからである。こいつが人間だったらSNSにイベントの写真、それも自撮りの顔入り写真を掲載し、「青春」や「絆」といったタグ付けをして、自分の人生の充実っぷりをアピールしつつ、裏では友人たちの悪口専用アカウントを作ってエベエベ笑っているに違いない。
何たる不快。たった一回イベントが一緒になったぐらいで友達ヅラすな、虫けらが。こちとら天体やぞ。なめんな。つーか、せんこいち、て何やねんボケナス。と、ストレスが溜まって、またクレーターが増えた。こんなやつにはさっさと俺のことを忘れてもらって、関わりを無くすのが一番である。
「そうそう、君等にお礼をせねばならんね。ここから、ずっと向こうに行ったところに温暖で、君らの好きな樹木がめっちゃ沢山あるところがあるんだよ。だから、ファミリーとフレンズたちと一緒に移住したらどうかな。栄えまくるよ、マジで」
「ありがとー! じゃあ、僕ら移住するね。離れても僕らはずっと友達だよ! また遊びに来るね!」
マッチくんたちは、大移動していった。奴らも豊かな環境に住めば、俺のことなどすぐに忘れるだろう。二度と俺の前に現れんな害虫が。つーか、もともと宇宙と地球で離れまくっとるんじゃ、アホンダラ。この脳みそ少々が。着信拒否しといたろ。今思い出したが、奴らの向かう方角には入沼オメ香の家がある。しばらくは安心して洗濯物も干せまい。
おや、道端で倒れる亜魔ンを介抱するものがあるでないか。どうやら女のようだ。ははは、亜魔ンのやつ顔が赤くなってやんの。まあ、どうでもいいけど。
兎にも角にも、俺の神聖さは守られた。これで、また安心して夜空に浮かんでいられる。
む~ん、と。(了)
む~ん ナタリー爆川244歳 @amano_mitsuru
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