新しいブラジャー
あまりに太いベルト部分。とめているのはホックでもマジックテープでもない。靴紐のような紐、あるいはコルセット。完全に紐を解かなくては脱げない。着るときは逆で、紐が全くない状態から1つ1つの穴を通さなくてはならない。
これは難易度が高い!
俺はそーっと手を動かし紐を解く。
「ええやん。ええやん!」
はじめ俺ははるかの身体に触れないように作業していた。途中、これが男の天才かどうかを試す行為だということを思い出した。このままはるかの身体に触れずに身のまわり担当としての職務を全うしたとして、何の意味があるんだろう。
男なら、はるかの肌に触れたいじゃないか! しかもそこがとてもふんわりやわらかい部分だとしたら尚更。けど不用意に触れてしまい、融けてしまうという可能性もある。だから俺は、試験であることに気付いていながら、なるべくはるかの肌には触れないようにした。中途半端な行為だった。
「なんやぁ。ちぃとも男らしゅうないやんけ……」
鈴がつぶやいた。ごもっともなことだ。ここで変わらずして、何が男だ!
俺は「ようし、やったるでぇ!」と、似非関西弁を叫んだ。
それからの俺は、はるかの肌に直に触れて作業することにした。
「おおっ、いよいよかいなっ!」
そう、いよいよだ! はじめは爪。そーっと触れてみた程度。ちょっとヒリヒリ、しないようなしたような。でも痛みはない。だからいよいよ指の腹で触れることにした。成功すれば、100点満点間違いなし。男の天才になれる!
慎重に、そして大胆に。俺ははるかの胸に向き合った。明らかにヒリヒリしてきた指。それでもはるかのやわらかい肌に挑んだ。やがてビリビリとしてきたし、指先が潤んでいるように感じた。
深く息を吸い、目を閉じ、静かに指先の感覚を理解した。
融けてる? 俺、融けてるのか? もし融けて液体になるなら、同じく融けたはるかとカフェオレのように混ざり合いたい。あるいは味醂醤油となり、幾丼のタレのようにはるかに浸透するのもいい。
思わず口に出していたのか、はるかが「だめ。幾丼は私が食べる」と言ってきた。俺はそっと目を開けた。
大分見慣れていると思っていたはるかの肌が眩しい。
「幾丼、好きなの?」
「ええ。とっても好きよ」
好きという言葉の破壊力か、俺の鼓膜が融けはじめた気がする。対象が幾丼だと分かっていてもこれだ。もし、俺が対象だったら、どれほど幸せか。俺は、どさくさ紛れに聞いてみた。
「俺のこと、好き?」
「いいえ。好きじゃない」
だよねーっ。そりゃ、そうだよね。融けかけていた鼓膜が今度は凍てついた。
その鼓膜が、つぶやくよりも小さな声をキャッチした。あるいは、空耳?
「大好き、かも……」
それから俺は、何かに取り憑かれたように、身のまわり担当としての職務を全うした。そうでもしないと、頭の中が融けて味噌汁になりそうだった。
そして……。
「かっ、完成やっ! えらいもんやで!」
ドヤっという顔をする間もなかった。俺は、意識を保つのがやっとだった。
よろけた俺の身体を、はるかが全身で支えてくれた。俺は全く融けていない。
「お疲れ様、昴くん。本当にありがとう!」
成功したみたい! 素直によろこばしい。
「次はうちの番やで。頼むで、男の天才、カッコ仮コッカ」
は? どういうこと?
「実はうち、なまだしあのスタントマンみないなもんなんや」
「スタントマンって? 危険な撮影があるの?」
「危険やで! 死と隣り合わせの現場なんや」
「そんなに過酷なの!」
「ヒロインがビルから飛び降りるのを、みんなが止めるシーンなんや」
みんなではるか演じるヒロインをはがいじめにする。ありがちなシーン。そんなことしたら俳優さんたち、みんな融けてしまう。たしかに危険なシーンだ。
「そのときにうちがシショーの代役を務めるんや」
なるほど。段々はなしが見えてきた。
「というわけやから、うちのこともよろしゅうな!」
「あっ、ああっ!」
つまり、同じ衣装を着せればいいってことだろう。
「おっぱいのやわさも、しっかり再現してぇな」
いやいや。それは無理。
「そうか。この辺に擬乳をこさえればいいんだね!」
「そこは背中やないかーいっ! おっぱいっちゅうんはお腹側にあるんやで」
「あぁっ。ごめんごめん。どっちもたいらだったから」
「間違えんやろ。お腹と背中は間違えんやろ!」
鈴がいると笑いが絶えない。はじめはとっつきにくい子だなって思ったけど、関西弁丸出しになってからは親しみがある。ツッコミ甲斐がある。ボケ甲斐もある。いいお友達になってもらえそうだな。
さて、本題。試験の結果発表だ!
「99点!」
「そっ、そんなぁ……」
「惜しかったやんかぁ」
悔しい。身のまわり担当として成功したのに。何が悪かったんだ?
「時間がかかり過ぎ。あと、爪が痛かったです!」
「くっ……」
「序盤、慎重になり過ぎたんやなぁ。それが仇となってん」
迷いながら作業した俺。たしかに天才と呼ぶには相応しくない。
「今のは、身のまわり担当の天才かどうかの評価!」
「えっ、じゃあ!」
「男の天才かどうかとは、ちゃうんかい!」
本題はあくまで男の天才かどうか。俺は少し期待してはるかの言葉を待った。
「男の天才かどうかについては……」
「うっ、うん……」
「わくわくやで、どきどきやで」
今になって、手に汗が滲む。
「……保留です」
「………………。」
「なんでやねん! シショーとはいえ、それはあかんで」
保留か。俺は満更でもない。まだ結論が出ていないなら、もう少しはるかと一緒にいることができる。だから、それでもいい。
はるかの右から詰め寄る鈴。はるかが鈴に背を向けて避ける。俺とは向かい合うようになると、はるかはボソリと言った。
「結論が出ていないなら、もう少し昴くんと一緒にいることができる、から」
俺が思っていたことと、同じこと。はるかも考えていたのかな。
俺はにっこりと笑った。はるかも笑った。
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