第1章 学舎
「なぁなぁ、あいつ大丈夫かな?」
「春樹のことかい?あの子なら何とかするだろう」
「いや、そうだけどさ……ほら、“あの”貴族の子供がいるんだろ?」
「あぁ、あの人のこ……」
「只今、戻りました!!」
のんびりしているように見える陽斗と手にある書物に目を通している海斗。二人とも寛いでいるように見えるのだが、陽斗は少し忙しない印象を受ける。中庭からひっそりと入ってくる桜の花びら。
今の時期が丁度満開のようで、九条邸では咲き誇るように堂々としている。綺麗な薄紅の花びらを見ながらも、足を揺らしている陽斗。数時間前に入った情報に苛つきを覚えている。
いつもと違う様子の陽斗を他所に、彼からの質問に海斗が答えようとした時、大きな声が響き渡った。その声に一目散に反応して声のする方へ走っていたのは陽斗だった。
「お!帰って来たか!どうだった!?」
「陽斗さん!」
「お帰りなさい、春樹。試験はどうだった?」
「あ、海斗さんも!試験は、まぁ、その……」
口籠る春樹。先程の元気な声を聞いた二人はてっきり合格したものだと思っていたのだが、眉を下げている様子の春樹を見て表情が険しくなる。
「もしかして、落ちたのか?」
「いえ、もちろん受かりました。ただ……」
「藤原家の息子がいたのだろう?」
「え、どうしてそれを?」
やはりか、と言わんばかりの呆れた溜息。はぁ、と吐き出したのは陽斗……ではなく、海斗だったのだ。数時間前に来た情報、もとい、式神達の偵察により先に知っていたのだ。それを知らない春樹は不思議そうな顔をしていた。
「実はね、私達も情報収集の為に式神達を出していたんだよ。それで分かったのだけどね……」
「春樹ぃ〜」
「は、はい」
「お前、ほんっとうに前途多難な道だな……」
彼等の意味深な発言に頭が追いつかない春樹。陽斗は深々と溜息をし、片手で自身の顔を隠すようにしていた。それ以上何も言えない、と言った顔をしていた海斗は少し考える素振りをして春樹に尋ねる。
「春樹。一応聞くけど、何があったんだい?」
「あー……それはですね……」
少し目線を泳がしている春樹は重たい口を話し始めた。
*
「場所は……此処で、いいのか?」
九条邸から三時間かけて来た場所、学舎。行く道ではあちこちで桜が満開になっており、牛車を使っての移動では大量の花びらが中へと入って来ていた。春樹は舞いながら入ってくる薄紅の花びらに触れながら揺れる屋形から外を見ていた。試験が行われると言われる学舎に近づけば近付くほど、他の生徒らしき人間が見えた。
春樹が乗っている牛車もなかなか豪華な物だが、それに負けじと華やかで派手な牛車が動いていた。煌びやかな物達を飾るだけ飾り、輝かしいを通り越して眩しく見えた春樹。
「あんな奴が居るような場所なのか……俺、大丈夫かな……?」
思わず心配する言葉が溢れてしまう程であった。
「春樹さん、着きましたよ」
「あ、ありがとうございます」
体と一緒に揺れていた牛車は少しずつ速度を落として止まったことに気づいたのは、外からの声だった。春樹をさん付けして呼ぶのは九条邸に雇われている従者の一人だった。彼は蒼に拾われた人間の一人である。
しかし、残念ながら彼には霊力がそこまで無かったため、従者として九条邸に住み込みで働いているのだ。
春樹と似たような境遇のため、何か言われるかと覚悟していた春樹だったが、予想以上に親切で腑抜けた声が出たとか。そんな彼からの声が聞こえた後、丁寧に垂れ下がっていた
中からは感じ取れなかった太陽の光が直接入って来たので、思わず目を瞑ってしまった春樹。光に慣れさせるようにそろりそろりと目を開けると、そこには見上げる程大きな門が目の前に立っていた。
そして、先程の場面に戻る。
「で、此処からどう行けば……ん?」
持たされた地図には此処までの道のりしか描いてなかったため、困惑していた春樹は大きな門の端っこの方に何やら行列が出来ていた。そこには老師と思われる男性が立っており、一人一人に挨拶をしながら中に入れていた。
「あの人に聞けばいいのかな……」
とりあえず聞いてみよう、という気持ちで近づくと、春樹に気がついた先生は一瞬大きく目を見開いたようだった。しかし、直ぐに目を細めるようにして微笑み、「君が、春樹くんかな?」と聞かれた。まさか自分の名前を知っているとは思わなかった春樹は固まってしまい、曖昧な返事しか出来なかった。
「あ、あの、何で俺の名前を……?」
「九条くんから話を聞いているよ。少し変わった容姿の子が来るからって言われたから、直ぐに分かったよ」
彼の話を聞いて納得した春樹。九条邸に居た時はあまり気にする事なかった自身の容姿は、やはり目立つものだったのだ。
「あ、君も試験を受けるのだよね?それなら、あの建物に向かって歩いて行ってね。そこでまた部屋を分けられるから」
「あ、はい。ありがとうございます」
深々と頭を下げてお礼を言うと、また微笑みかけてくれた老師。春樹は彼の眼差しが誰かに似ていると感じつつ、指定された場所へと進んで行ったのだった。
その後は流されるがままに試験を受けることになっていた。内容は歴史と文学について。あの二週間の中で詰め込まれた知識をしっかりと覚えていた春樹は難なく解いて、終了時間まで待つことにしていた。
「――――では、終了です。筆を置いてその場でお待ちください」
試験中、全員の前で座っていた別の老師が静かに言った。彼の声を聞いた他の子供達は直ぐに筆を置いて、一枚一枚回収されるのを待っていた。その間に静かにしている子供達がほどんどだったのだが、一人だけやけに周りが煩いのがいた。
「流石、藤原家次期当主!素晴らしいですねぇ!」
「えぇ、これは成績優秀者で間違いなし!」
「ふふん、俺にかかればあの問題くらい、どうってことないからな!」
「流石ですよ!」
……などなど、よく分からない媚を売るような言葉が飛び交っていた。彼等の会話に何も言わない周りの子供達と老師に不思議に思う春樹。聞いたことのない名前を自分の頭の中で考えたが、やはり知らないようだった。
「……では、今から採点しますので少々お待ちください」
それだけ伝えた老師は大量の紙を手に抱えるように持ち、そのまま廊下へと出て行った。ここの建物の作りは九条邸とは違う。室内は同じ畳の床なのだが、今いる部屋はそこまで開放的ではない。
老師が出て行った側には区切るように土壁があった。あまり見慣れないので春樹は長い間見つめていた。ここには見慣れない物がたくさんあり、春樹と同年代に近い子供たちもいる。慣れない環境のせいか、いつもより口数が減っていた春樹の下に話しかけにきた少年が一人。
「おい、お前」
「お……僕のこと?」
小さい時からの癖で『俺』と言いそうになったのを直ぐに直し、話しかけてきた彼に応じた。ふくよかな体型が着ている単で隠れきれていない彼は胸を張るようにして、踏ん反り返っている。彼の姿を見た春樹は何故自分が話しかけられたのか分からず、眉毛を下げていた。
「そうだ、お前だ。お前、名前は?」
「春樹、だけど……」
「はっ冴えねえ名前だな!おい、春樹。お前、変な格好してるんだな。わざとなのか?」
「……別に。元々だけど?」
春樹は淡々と答えて行く。次から次へと聞かれる質問は決して気分の良いものではなかった。完全に好奇の目で春樹を見ているのだ。それを感じ取った彼は嫌々ながらにも答えて行った。
彼等のやり取りを周りの子供たちが見ている中、苛つきを募らせているのは春樹だけではなかったようだった。
「お前、俺が誰かわかってるのか?俺はあ・の!藤原家次期当主だぞ!」
「へぇ〜……」
「なっ……お前、藤原家を知らないって言うのか!?」
「うん、よく分からないや」
「くっ……」
春樹の発言により、彼の周りにいる取り巻きが何やら叫んでいるようだった。自分のことを知らないことが許せない彼は、顔をどんどん真っ赤にしていく。何か言おうと彼が口を開いた時。
「皆さん、元の席に戻ってください。今から合格者を発表しますので、返事をしてください」
騒ついていた室内が水を打ったように静かになった。老師が入った来たのを見た彼は小さく舌打ちをし、自身の席へと戻って行ったのだった。畳の上に座ったままだった春樹は小さく溜息を吐いて、結果が発表されるのを待っていた。
次々と呼ばれる名前。誰が誰だか分からない春樹にとっては自分の名前以外に興味はなかった。順番に呼ばれて行く名前を聞いていると、老師の口から自分の名前が呼ばれたのが聞こえた。
「はい」
短く返事をした春樹。しかし、その後の名前は呼ばれることはなかった。
「以上が今回の合格者です。合格者にはまた別日に文を送りますので、お待ちください。また、今回の成績優秀者は……九条春樹くん。彼一人が全問正解でした。合格した皆さんだけでなく、今回は受からなかった皆さんも、彼を見習うようにしてください。では、これで今回の試験は終了です。お疲れ様でした」
感情の起伏があまり見られない老師はそれだけ言ってまた廊下へと出て行った。それが終わりの合図だったようで、各自立ち上がって帰る仕度をしていた。春樹は自分が成績優秀者になるとは思ってもいなかったので、驚きはしたようだった。
しかし、それ以上何もないようだったのでそのまま帰ろうと立ち上がると、凄い勢いで近づいて来た例の彼。先程話しかけて来た人物だった。
「お、お前!俺を出し抜いて成績優秀者になるなんて、ゆ、許さない!」
「そうだそうだ!お前みたいな奴に
鼻息荒くしている彼と周りの子供達。子分のように見える彼等を一瞥して、中心の人物に話しかけた。
「別に、僕は真面目に勉学に励んだだけだよ」
「な、何だその言い方は!生意気だ!」
どんどん詰め寄ってくる彼に嫌な顔をして答える春樹。既視感のあるこの場面を何だったのか思い出しつつ、いち早く九条邸に戻ることを考えていた。彼の態度に余計に腹を立てたのか、逆上した一礼と呼ばれた彼は手を上げた。
「一礼さん、お迎えが来ていますよ!」
彼の上がった手は振り下ろされることなく、叫んだ人物により遮られた。
「ちっ……おい、お前!このままで済むと思うなよ!」
「この辺で許してやるからな!」
逃げるようにして彼等は廊下へと出て行った。体の小さな春樹とは違い、横に大きな体を必死に動かして走る姿はかなり滑稽に見えた。複数の大きな足音と共に去って行く彼等のことを特に気にすることもなく、春樹は自身を待ってくれている牛車へと向かうことにしたのだった。
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