仮面の魔人

松長良樹

謎の作家


 その新鋭作家の名は仮面の魔人と言って、誰もその顔を見たものはなかった。なぜなら魔人の素顔は黒い頭巾の下に隠されていたからだ。

 魔人の手がける分野はおよそ広範囲で純文学から、推理小説・伝奇・ホラー・ミステリー・サスペンス・SF・エッセー、果ては童話にまで至った。

 特に傑出していた分野は推理サスペンスやホラー、歴史ミステリー等であり、年齢も性別も経歴も不詳で数々の文芸新人賞を掻っ攫い、いきなり文壇に躍り出てベストセラー作家の仲間入りをしてしまったのである。


 同世代の作家連中が魔人を羨望の眼差しで見たのは言うまでもないが、全国の書店には魔人の書籍が堆く積まれていった。


 仮面の魔人は素顔を知られるのを忌み嫌った。理由がわからないから世間は色々な想像をめぐらしてその正体の憶測をする羽目になった。

 

 だから週刊誌や新聞がもっともらしい記事を容赦なく書きたてた。実は救いがたい醜男であるとか、密入国者であるとか、実は小人であるとかその噂の枚挙にいとまがなかった。

 実際魔人はテレビ出演を嫌っていたし、稀にテレビに出ても黒い頭巾を頭からすっぽり被ってインタビューに応じるという実に風変わりな人物でもあった。頭巾と言うのは黒い円錐形の布で目の部分が空いているものだった。


 短大生で読書家のアキノはその作家の作品ならことごとく読んでいた。話の構成、展開、趣向が大好きで、結末には予想もつかないどんでん返しがいつも用意されていたので、失望した作品はなに一つとしてなかった。


 文章も巧みでアキノは仮面の魔人にいつの間にか魅了されていた。ファンレターをアキノは毎週のように贈りつけた。仮面の魔人のサイトにも毎日顔を出しては書き込みまでしていた。 

 

 アキノは女心に作家の仮面の下を無意識に想像した。きっと魔人は青年でナイーブな理知的で美しい顔をしているに違いない。優雅で詩人のような素敵な人物に違いない。でなければ、あんなすばらしい魔術のような文章が書けるものか。


 アキノはそんな風に思い込んでいたのである。



 あるとき仮面の魔人のサイン会が開かれることになった。

 新作書下ろしの本との販売を兼ねていたから、銀座の有名書店には朝から長蛇の列が出来ていて、アキノもその中にいた。

 アキノの胸が躍った。もしかしてテレビが入っていなければ素顔が見られるのではないか、そういう期待をアキノは胸に抱いていた。しかし二時間も待ってやっと仮面の魔人が視界に入ってきた時には、残念ながら魔人は黒い頭巾を被っていた。


 そしてやっと順番が来て魔人にサインをもらい握手をした。その手は白く美しかった。あまりのことにアキノは涙ぐんでしまう。なんと繊細な指先であったろう。それほどまでにアキノにとってそれは感動的な出来事だった。


「これからもがんばってくださいね」とアキノが言うと「はい。ありがとう」と穏やかな魔人の声が返ってきた。その口調が忘れられない。愛おしく妙に心をくすぐられる。

 

 アキノはそのサイン会が終わっても帰らなかった。なにを思ったのか彼女は魔人を待った。この書店から必ず魔人は出てくるはず、そう思ったのである。しかし他のファンたちも同様だった。予想通り魔人は出てきた。

 関係者とともに頭巾のまま現れ、ワゴン車に乗り込む。周りにはそれを待ち受けたファンが大勢いて魔人を追った。しかしアキノは静かにそこに佇んで魔人を追わなかった。なぜかというとその時アキノの頭脳は異様に冴えわたっていたのである。

 

 ひょっとして今のは魔人ではなく、偽者。本物の魔人はこのあと悠々とそれも素顔でここに現れるのではないか……。アキノはそう直感したのである。

 

 店の見える四つ角でそれとなく魔人を待つ。時間は無情に過ぎて行き、アキノが思い過ごしと店を去ろうとしたとき、店員みたいな青年が裏口から現れた。俯いたままで何処へともなく歩き去ろうとする。アキノは勇気をだして青年に走り寄った。そして直感に従った。


「あのう、あ、あなたは……」

 

 言葉が続かない。青年が振り返る。その目が神秘的なのである。なにか憂いに満ちてはいるけれども芯に鋭さがあり、知性の光を感じ取れるのだ。そしてその端正な顔立ち。


「わたしはあなたと握手しましたよねえ」

 

 そうアキノが言った。時間が凍り付くような沈黙があった。そしてその後に青年がこう言った。


「あなたは、すばらしい洞察力、推理力をお持ちですねえ」

 

 間違いなしとアキノは小躍りした。


「どうしてわかったのです?」


「――なんとなく、あなたのファンですから」

 

 二人は無言で路をしばらく歩いた。アキノの心は、はちきれそうだったが何をしゃべっていいやら見当もつかない。ただただ胸が高鳴るばかりだった。


「このまま別れるのもなんだから、僕の書斎にきませんか?」

 

 思いもよらない誘いの言葉にアキノは気を失いそうになるのを懸命に堪えた。


「えっ、わたしなんかがですか?」


「ええ、実は僕、そろそろ作家を廃業しようと思っているのです。その訳をあなたに知ってほしい」


「えっ! 廃業?!」

 

 何がなんだかわからなかったが、アキノは青年につき従った。

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