龍の褒章 Ⅰ
贅を尽くした広間は、故郷イェソドの州城の夜会が行われていた広間よりもr広く、金と銀と宝石に彩られ、享楽的な華美さ。
大理石の床から生える大理石の柱。それが支える天井には神話の場面が描かれていて、そこからガラスを惜しみなく使った大きなシャンデリアがいくつも下がっている。
先程いた蓬莱式の木と石と土でできた質素な佇まいとは打って変わっての景色に、広間に通された誰しもが圧倒されていた。
これだけの享楽的な華美さでは、下品に見えてもおかしくないのだが、不思議と上品にまとまって見えるのは、静謐さが満ちているからだろう。何故なら、この世のものとは思えないほどの絢爛豪華なこの景色は、世にいう彼岸の向こうの極楽を表してもいるという。
「__この広間を使うとは……珍しい」
「そうなのですか?」
文官に羽織物を預け終え、踏み入って開口一番ビルネンベルクが言った。
柱で区切られたような作りで、手前側の空間には、立食式の歓談の場が設けられていた。
立食式とはいうが、並べられているものは、軽食はあるが、それよりもお茶請けのお菓子が多い。
「ああ。以前、魂振儀に参列したときとは違う。もっと小さい部屋で、ああした軽食を頂いて歓談し、時間になったら隣りに用意された晩餐の席へ移動したのだが。ここはいうなれば、晩餐会へ向けて、参列者も会場側も準備するための部屋であるはず。持て余すほどの広さだ」
ふむ、と唸って顎をさするビルネンベルクは、軽食が並ぶテーブルへと歩み寄った。
「まあ、考えていてもしょうがない。何かいただこうか」
「__ビルネンベルク侯、少々よろしいでしょうか? 紹介したい方がおりまして……」
並ぶ軽食を眺めていたビルネンベルクに声を掛けたのは、先程別れたばかりのベーラー子爵だった。
「ええ、構いませんよ。__キルシェも来るかい?」
「いえ、私はお待ちします」
キルシェは視線で部屋の隅を示す。
疲れたということもあるし、次の晩餐会への気力を残しておきたいのだ。
ビルネンベルクのお付きで来られた宮殿だ。一般人が宮殿の広間に来られることなど、ほぼないと言えるから、この空間をじっくりと見ておきたい。
一般人が宮殿へ招かれることがあるとすれば、州侯に任命された時、文官、神官、武官の上級職に任命された時、叙勲される時といったところだろうか。とにかく、限られた場合にのみで、それも普通に生活を営んでいては無縁の世界なのは言うまでもない。
ビルネンベルクとベーラー子爵を見送って、キルシェは壁際へと下がった。
目論見通り、ここからなら全体の装飾が見渡すことができる。
よくよく見て気づいたが、柱で仕切られ、軽食などが並べられた空間の最も離れたところ__大きく空間がとられている広間の一角に、三段高くなっている場所があり、そこ向かって天井の絵が描かれているようにみえた。
高くなっているところの壁には、国旗が天井から垂れ下がっている。間違いなく、そこが上座だ。
__リュディガーも、ここに来たことがあるのでしょうね……。
龍帝従騎士団の中隊長に叙されている彼なら、あっていてもおかしくはない。
リュディガーは、無事儀式を終えた。
しかも三矢すべてで、的を射抜いてである。
__そういえば、この場に矢馳せ馬に出た人たちはいないみたいね。
総勢12名の勇姿。
着替えて来ている可能性はあるが、この場に来るのかは知らない。ビルネンベルクに尋ねれば分かったのだろうが、彼は今、次々に人に捕まってしまって、わずかに人だかりができていて、キルシェは近づくことを諦めた。
__ブリュール夫人もおられない……。
先に下がったはずのブリュール夫人。もしかしたら、九州侯はこことは別室が宛てがわれているのかもしれない。
久しぶりに会話ができると、期待したキルシェは少々がっかりした。
「こんにちは」
小さくため息を吐いたところに声を掛けられて、キルシェはわずかに肩を弾ませて顔を向ける。
声の主は、赤い黄色の髪と、琥珀色の双眸を持つ青年。年の頃は、キルシェよりは上だろう。
いくらか線が細いが、上背が少し高い部類に入って、纏う雰囲気にいくらか貫禄があるからか、頼りない印象はない。
「こんにちは」
キルシェはお辞儀を返す。
「もう、足の具合は大丈夫ですか?」
「……え」
「先程、席をお立ちになるとき、苦労なさっているのを拝見しました」
キルシェは、恥ずかしさに顔が赤らんだのを自覚した。
男は、くすり、と笑う。
「はじめまして、ケセド州で男爵位の家の者ローレンツ・フォン・カレンベルクです」
「マイャリス=キルシェ・コンバラリアです、カレンベルク男爵。__お恥ずかしいところを、見られてしまったようで」
「いえ。おそばにビルネンベルク侯がおられたようにお見受けしましたが」
「はい。私、ビルネンベルク侯のお付きとして、今日はこちらに」
視線でビルネンベルクを示すキルシェ。
「なるほど。しかし、従者や侍女、という感じにはお見受けしませんが」
「実は、ビルネンベルク侯が教鞭を振るっておられる大学で、侯に担当していただいている学生なのです。こうして、様々なところへお連れいただいております」
「あぁ……もしかして、ドゥーヌミオン・フォン・ビルネンベルク侯の、お気に入りの女史とは、貴女のことですか。人伝に聞いたことが」
キルシェは苦笑を浮かべる。
「おそらく、それです。ありがたいことに、よくそのようにご紹介いただいているので」
「では、本当に優秀な方なのですね。しかし、大学に通われている方とは、わからなかった。ビルネンベルク家とさぞ懇意のお家柄なのだろうと……とても、目を引く方だから」
「ビルネンベルク先生は、私の後見人でもありますから、よく気にかけてくださっているので……あながち懇意にしていただいている、というのは間違いないです。ただ……あの……目を引く、とは、どのような……? 私、悪目立ちをしておりますか?」
つい先程、失態を犯したばかりだ。
目を引く、という言葉が気がかりにならないはずがない。
これ以上、ビルネンベルクに恥を書かせる訳にはいかない、とキルシェはやや声を潜めてローレンツに尋ねた。
「いえ、悪目立ちなんて。寧ろその逆ですよ、コンバラリア殿」
「逆?」
怪訝にすれば、ローレンツが視線で示すのは、周囲。
広間の至る所から、自分へ向けて視線が向けられていることに、この時初めて気づかされた。
「ビルネンベルク侯の側近くにいるあの女性は、どういった女性なのか。社交でお見かけした方はいるのか、といったところですかね」
__あぁ……先生のおそばにいたから。
国家の重鎮、ビルネンベルク家。その影響力は、陰ることはない。だからといって、中央に幅を利かせているわけでもない。
そんなビルネンベルク家との伝を持ちたい者は、多い。それはキルシェも目の当たりにしてきた。ビルネンベルクに付き添っている自分を通じ、どうにか好を結んでおきたいという輩が実際にいるのだ。
「私が不思議だったのですね。先生に引き立てて頂いているから。先生なら、あちらにおられます」
「ええ。少しお話をしたいな、と思いまして」
「よろしければ先生にご紹介を__」
いえ、とローレンツが笑って制するので、キルシェは小首をかしげた。
「__貴女と」
「……え」
「私は、貴女と話をしたかったのです。__おそらく、他の方も、ビルネンベルク侯目当てという者はあるでしょうが、貴女という存在に興味がある輩は少なからずいますよ。そういう意味で、目を引いている、とお話をしたのですが」
「はぁ……なるほど……?」
「__キルシェ」
声は、聞き馴染みのあるもので、キルシェは弾かれるようにそちらへ顔を向ける。
振り返ると、もうすでに数歩という距離まで歩み寄っていたのは、リュディガーだった。その姿を見て、思わずほっとしてしまう。どうやら、気づかないうちに心細さをいくらか抱いていたらしい。
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