君影草と受難な龍騎士 Ⅰ
久しぶりに訪れた州都は、紅葉も終わりに近づきつつあり、いよいよ冬に片足を突っ込んだような気温に包まれていた。
街並みは驚くほど再建が早い。首都州から送られてきた土木技師と龍の運搬能力に加え、イェソドの人々の未来への渇望があるからそこ。
冬までには、最低限__否、それに輪をかけてよい街並みを、という気概が感じられた。
通過して見られた州都の様子の限りになるが、それでも、投げやりだった雰囲気がなくなっている、とリュディガーは言っていて、クリストフも同意していたから、実際にそうした雰囲気があるのだろう。
州都__州城へ戻ったマイャリスらは、暫定的に統治をしている龍帝従騎士団団長の指示で押し込められていた空中庭園を抱える屋敷に通された。
マイャリスとリュディガー、アンブラとフルゴルの2人と2柱で待つこと暫し、屋敷に入る前に別れたクリストフが現れる。
「__州侯がお目通りを希望されておられます」
州侯、と聞いて、マイャリスは息を呑んだ。
新しい州侯ということだろうが、どうにも前任の州侯であった養父のことが離れなくて構えてしまう。
それを察してか、リュディガーが前にわずかに出て庇うように立ち、頷いた。
「取って食うようなお方ではありませんよ、お嬢様」
くつり、と笑うクリストフは、観音開きの扉を開け放った。
その向こうに佇む人影は3つ。
フォンゼル団長、シュタウフェンベルク左大隊長の2人に加え、すらり、とした印象の飛び抜けた影__白い影がひとつ。
長身で、頭にふたつの耳を頂く法衣の獣人__南兎の御仁に、マイャリスは言葉を失って立ち尽くす。
はくはく、と口が動くだけになったマイャリスに、南兎の男ビルネンベルクは真紅の双眸を細め、フォンゼルとシュタウフェンベルクに続いて入室し、優雅な動作でマイャリスとの距離を更に詰めた。
そうして、わずかに身を屈めると表情をさらに柔和に歪ます。
「息災そうで、よかった」
長身の体格に見合って低くあるものの、そこまで低く感じられないのは、とても柔らかい物言いと温かい声音だからで、それは記憶の中の彼のまま。
マイャリスは視界が滲んだ。
「……ご無沙汰しております、先生。あの……あの……私、沢山、嘘を……名前でさえ__」
「いいんだよ、やむを得なかったということは、よくわかっている。__それをしなければ、大学に入ることは叶わなかったのだろう?」
「はい……」
「__君は、優秀な教え子で、私の気に入りに違いない」
至極穏やかな口調と表情で言われ、堪えていた涙がこぼれてしまって慌てて拭う。
「ありがとう存じます。すみません、本当に」
「私だって、君の死を疑わず……。まんまと州侯の思う壺に嵌ってしまった。__すまなかったね」
「いいんです。それは……。証拠も状況も、疑いようがなかったのですから」
「看破できなかったが、嘘でよかったよ。こうしてまた再会することができたのだからね」
「はい……」
ビルネンベルクはマイャリスを鼓舞するように肩に手を置いて、姿勢を戻してリュディガーへと視線を向ける。
「お勤めご苦労様だったね、リュディガー」
「いえ。しかし、どうして先生が……?」
「私の気に入りが生きている、と知ったからね」
くつり、と笑うビルネンベルクに、リュディガーは上官2人へ視線を向ける。
「ビルネンベルク先生が、新しい州侯ですか」
「いや、違う。ビルネンベルク殿は、新しい州侯の付き添いという体裁で、来訪を許可した」
団長の答えに、そうそう、と頷くビルネンベルク。
マイャリスとリュディガーは顔を見合わせた。
そこに、こほん、と咳払いをする声がしたが、それはどう聞いても女性のものだった。それは、来訪者3人の一番後ろ__ビルネンベルクの身体に隠れてもう一人いたらしい。
ビルネンベルクがマイャリスの視界を開けるように、わずかに身をずらすと、真正面に佇む小柄な人影が目に飛び込んだ。
それは老年の女性。
ただそこに佇んでいる様でも、十分に淑女だろうことが伺い知れる女性。
年相応に皺が目立つ顔は、上品に笑んでいる。
「そちらは、まさか__」
「新しいイェソド州侯のブリュール伯爵夫人__ブリュール州侯」
マイャリスの言葉を飲むように団長が言い放つと、新しい州侯は一層笑みを深めたかと思えば、足早にマイャリスへと歩み寄って抱擁を求める。
ぎゅっ、と抱きしめてくれる彼女に、マイャリスは口を一文字に引き結んで応じた。
大学に在籍していた頃の、数少ない友人のブリュール伯爵夫人その人。
当時最も年長の学生だった彼女が、リュディガー以外にできた学友である。その彼女がまさか州侯に叙され、あまつさえこうして再開できるとは夢にも思わなかった。
「よかったわ、本当に」
笑顔であるが、潤んだ目元と震える声につられて、マイャリスも目頭がさらに熱くなった。
そうして、身体を離すと、二人して鼻をすすり合うのだが、それがなんだか照れくさくて笑いあった。
「夫人が新しい州侯なのですね」
「そうなのよ。とんでもない大任を仰せつかってしまって……。卒業して1年経って、急に。__ビルネンベルク先生が推挙なさったらしいの。干からびていくだけの老後に、ハリを出させてくれる、ということでしょうね。もっと、誰かいたはずですから」
「違いますよ、夫人。学問と知識を修められた者でも、教養とよばれる心の豊かさまで持ち得る者になるかはわからないものです。それに夫人は、このビルネンベルクが認める品格もお持ちですから、一切の不安なく推させて頂いたのです」
ビルネンベルクは、やおら窓の外を見やる。
「これは持論ですが、そうした為人の者は、方針が揺らぐことはない。行き過ぎることもなければ、締めるところは締め、緩めるところは緩められる長になれる。そして、州侯は州の民が、うちの州侯すごいんだぞ、州侯のお達しなら従おう、と誇り、自らすすんで従えるような人物であるべきだと私は考えています。士気に大いに関わってくる__ので、推挙いたしました」
「__ほら、買いかぶり過ぎでしょう?」
ブリュール夫人が困ったように笑って、小さく耳打ちした。
すると、ぴくり、と兎の耳が微かに動いたように見え、次いでビルネンベルクは視線を移して相変わらず柔和な笑みを向けてきた。
「なに、所領の運営の拡大版だと思えばよろしいんですよ。この無位のリュディガーでさえ、短期間とはいえできたんです。長く実績がある夫人なれば、州の運営なんて難しくはございませんよ」
「ね。簡単に仰るでしょう? リュディガーさんだって、それなりに苦労なさって、所領を……そうそう、苦労と言えば、リュディガーさんね。昔の……卒業年のリュディガーさんを、見せてあげたいものだわ。彼__」
「あれは、どうか忘れてください」
言う先を制したのはリュディガーで、渋い顔をしている彼にブリュール夫人はくすり、と笑った。
怪訝にするマイャリスだったが、ブリュール夫人は肩を竦めるのみ。
何があったというのだろう、とさらに怪訝に思っていれば、彼らが入室した扉がノックされる。
「お取り込み中、すみません。文官が、どうしても、と騒ぐもので……」
扉の側近くに控えているクリストフに、フォンゼルが視線で開けることを許し、扉が開けられる。
そこにいたのは、近衛と年若い文官の青年だった。
__あれ……あの人……。
マイャリスはその青年の面影が、記憶の中に薄っすらとあってじぃっ、と凝視してしまった。
「エトムント。しっかり勤めているようだね」
__エトムント……あっ、確か大学で……。
ビルネンベルクの口からこぼれたその名前で、鮮明に彼のことを思い出した。
彼は同じ大学に在籍していた人だ。リュディガーとよく談笑しているのを覚えている。
「せ、先生……」
すべての視線を集めた青年は、恩師の存在に一瞬たじろぐものの頭を下げて礼をとり、そして改めて姿勢を正す。
「州侯、お取り込み中、申し訳ございません。すぐにお戻りを」
「あら、まぁ__せっかく、時間ができたと思いましたのに」
「色々と山積しているんです。早く__って、え……」
彼はブリュール夫人のすぐそばにいるマイャリスに気づき、固まった。
見る見るその顔は強張って青ざめていくものだから、原因に思い当たるマイャリスは、気の毒になってしまい、自嘲して、礼をとった。
「な、ななんで……」
「大人の事情、というやつだ、エトムント」
「は? 何言って……って、あ! おま……リュディガー!」
軽く手を上げて挨拶するリュディガーに、彼は今度はみるみる怒りの形相になっていく。
「この野郎、どの面下げて__」
「さぁさぁ、参りましょう、エトムントさん。やることが山積みなのでしょう? こちらの皆様も、やることが山積みなのですから、お邪魔しませんように」
一身に視線を受けて萎縮していたのが嘘のように、彼は腕まくりをして、ずかずか、とまっすぐ大股にリュディガーへ歩み寄るのを、通り過ぎる瞬間にくるり、と向きを変えさせたのはブリュール夫人だった。
彼女は、片目を瞑って、マイャリスに聞こえる程度の小声で詫びを入れ、優雅であるが強引にエトムントを部屋の外へと連れ出してしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます