欠ケル夜 Ⅲ
「__死せる者どもよ」
不敵に笑んだ口元が開く。
州侯は改めて葡萄酒を取り上げると、その口元へと運んで一気に煽る。
「捧げよ」
その言葉で、佇んでいた使用人だった者たちは動き出した。
標的は、今宵夜会に招かれていた者たち。
死人の動きたるや、生者と変わらない。
広間の外へと逃れよと扉に殺到する人々だが、扉は固く閉ざされ、逃げ場を失う。
マイャリスは呆然とその光景を見ていたのだが、リュディガーに腕を引かれるようにして、人々が殺到していた扉から遠ざかるように壁際へと追いやられる。
その間も、州侯の号令を受け、手近にあった凶器になりうるものを手にして、襲いかかる光景をただ見つめていた。
絹を裂くような悲鳴。
大理石の床に落ちて割れる食器の音。
阿鼻叫喚が満ちた空間。
ここにあって冷静に動いていたのはリュディガーと、そのリュディガーの向こう__テーブルで葡萄酒を新たに注ぎ、愉悦に浸った笑みを浮かべる州侯。
リュディガーは迫ってきた死人に対して、佩いていた得物を抜き、容赦なく切り伏せる。
その迷いのない一閃は、彼らに対する弔いが込められているのだろうか__マイャリスは、リュディガーの背後に追いやられながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
__……マーガレット。
彼女も、もしこの場にいたら、こうして襲ってきていたのだろうか。
__こんな……こんなことが、許されるはずがない。
ぎりり、と州侯を睨みつけたところで、マイャリスは唐突に腕を引かれる。
腕をひいたのは、リュディガーだった。
「州侯がお召しだ。こちらへ」
「えっ……待っ__」
有無を言わさず、リュディガーは大きな手で腕を掴んだまま、扉へと向かう。固く閉ざされていたはずの扉は、彼が手をかけると簡単に開いた。
隙間からするり、と出ると、背後で閉まった扉がけたたましく叩かれる。出してくれ、助けてくれ、と悲痛な叫びとともに。
咄嗟に腕を掴んでいたリュディガーの手を振りほどき、扉に手をかけて開こうとするのだが、びくり、とも動かない。
「無駄だ、マイャリス」
そう離れていないところから養父の声がかけられ、ぎゅ、っと心臓が縮こまるのがわかった。
おずおずと見れば、扉をくぐって廊下へと出てくる州侯の姿。そして、その背後には近衛の者がひとり。近衛は、追いすがって出てこようとする参加者に対して、得物を振るい、命を断った。
信じられない光景に、マイャリスは悲鳴をあげることすらできず、体を強張らせていた。
養父は相変わらず不敵に笑んでいて、ついてこい、と促すように顎をしゃくって阿鼻叫喚の声が響く廊下を進み始めた。近衛がその背後に従い、リュディガーはマイャリスの腕を掴んで続く。
__どうして、助けようとしないの……。
腕を引く彼は、中央の手の者のはず。
わかってはいる。
まだそれを明かすわけにはいかないのだろう、とも察してはいる。
ぎりぎりまで、州侯に知られずに行動したいのだろう。それが任務なのだろう。
州侯の目的がわかっていないのだから、それを見極める必要がある。
__たったひとりでは、負いきれない……。
あの場の誰をも助けることは、どう考えても彼には難しいことだともわかっている。
だが、やはりどうして助けようとしない、と思ってしまうのは、彼がかつての彼だと知っているから。__彼もまた、心苦しいに違いないだろうと思えばこそ。
『氷の騎士』を演じている、腕を引くリュディガー。
演じている、と断言できるのは、死者から守ってくれている最中、彼が時折向けてくる視線が『氷の騎士』と揶揄される彼が見せるとは思えない、いたわるような色が見えていたから。
「……どちらへ行こうというのですか、お父様」
阿鼻叫喚が遠くから未だに聞こえる廊下を進みながら、マイャリスは強ばる口元をで先を行く養父に問う。
しかし、養父は答えることも、振り返ることさえもしなかった。ただ、くつくつ、と笑う声が漏れ聞こえるだけ。
そうしてひたすら進む廊下の先に、階段が見えてきたところで、養父は足を止めた。
「__もう茶番はよかろう」
ぽつり、と溢れる言葉に、マイャリスは怪訝にした。
「茶番……?」
養父は、わずかに体を返して振り返った。
その視線の冷たさ。対して、口元は悦に浸って歪んでいる。
「マイャリスをこれへ。__スコル」
スコル、とマイャリスが怪訝にする隙きがあらばこそ、腕を強く引かれてリュディガーの背後へと追いやられたのと同時に、鈍色の光がふたつ交差して、耳を貫くような鋭くも鈍い音を立てて、噛み合った。
それは、リュディガーと近衛の得物の一閃だった。
剣で押しやるようにしてから、リュディガーはマイャリスとともに距離をとる。
「お前には、失望したよ。ナハトリンデン。彼を新たに抱えていてよかった」
彼、と視線を向けるのは、対峙する近衛だった。
オーガスティンに代わって筆頭十人隊長に叙されている彼。
「なぁ、スコル」
マンフレート・ヤンセン__それがその近衛の名前のはず。
リュディガーは得物を構え直した。
それをスコルと呼ばれる近衛は、喉の奥で笑いながら、自らも構え直す。
「私は先に行く。__連れてこい、スコル」
「ご随意に」
州侯は返事を受け、踵を返した。
「ナハトリンデン殿におかれては、驚かれないご様子」
「州侯は勘がよろしい方だ。加えて何人にも猜疑心を持たれる方。股肱とする私に対しても」
それはそれは、と笑う近衛。
「オーガスティン・ギーセンが浮かばれませんな」
「何のことだか」
「おやおや、お心当たり、ございませんか」
「知らんな。__そんなことより、マンフレート・ヤンセンではないのか、貴様は」
「便宜上の名前ですな。スコルというのが本性で」
「本性?」
くつり、と怪訝にするリュディガーに笑う近衛。
「貴殿に、今更説明する必要などありません__よっ」
最後の気合とともに地を蹴って距離を詰める近衛__スコル。リュディガーは、マイャリスを半ば放るようにして、その一閃を真正面から迎え撃つ。
お互い流れるような動作で何合かかちあった。
「__走れ!」
視線をスコルへ向けたまま、言い放ったのはリュディガー。
この城の勝手は知らないが、ここにいては荷物でしかならない__咄嗟にそれだけは理解していた。
マイャリスが靴を脱ぎ捨てつつ踵を返した刹那、リュディガーは大きく振りかぶったスコルの一閃を受ける動作から切り替えて、避け、壁を深く食ますと、マイャリスの手を取って駆け出した。
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