影の呪い師
その日の夜、帰宅したリュディガー。
彼が伴っていたのは、アンブラとフルゴルのみ。
マーガレットは伴っていなかった。
連れ帰って来てくれるだろう。戻ってくるはずだ__そう期待していたが、心のどこかで、薄っすらと今回の一件はどうにもならないのでは、と思っていたことは否めない。
それでも、まだ結果を聞いていない。
マーガレットに掛けられていた嫌疑__その後のことを尋ねてみれば、答えたのはフルゴル。
__嫌疑は晴らせませんでした。
神妙な面持ちでフルゴルは言うが、傍にいたリュディガーは表情ひとつ変えることはなかった。それが、妙に憎らしく見えた。
自分の妻の、最も信頼している者が理不尽な窮地にあったというのに、それを晴らそうとしたようにはみえなかったのだ。
彼女はどうなった、と震える声でさらに尋ねると、沈痛な面持ちで口を一度引き結ぶようにして答えにためらうフルゴル。そして、その口が開く時になって、彼女ではなくリュディガーが声を発した。
__私が、断罪した。
その一言。
こだわり無く言い放ったたった一言は、深く胸を抉った。
自分は、どんな顔を彼に向けただろう。
断罪とは、つまり命を断ったということではないのか。
よりにもよって、彼が。
マーガレットが、自分にとってどれほどの存在だったか、側近くで見ていたはずの彼が。
濡れ衣にも程がある嫌疑で、主人である州侯に逆らうこともなく、諫言をすることもなく。
__やはり、貴方は……『氷の騎士』でしかないのだわ。
抗議する気も失せ、その後のことは、よく覚えてない。
フルゴルが何度か部屋に訪れたが、誰とも会いたくもないし、何も口にしたくない、と固く言い放ってその日は終わっただけだった。
__……ハンナもおそらく死んでいる。
オーガスティンも粛清され、ついにはあらぬ嫌疑でマーガレットまで__。数少ない親しい人が、皆、自分が知らぬ間にこの世を去っていってしまっていった。
オーガスティンは、間諜だった。だから、父にとっては処すべき対象となるのはわかる。だが、ハンナやマーガレットが処された理由が、わからない。
夜通しやり場のない混ざりあった感情を抱いて、声もなく気がつけば涙し、満月に近づきつつある月を西の空へ見送って、そうして迎えた翌朝は、霧がいつになく濃く、目に眩しかった。
自分で火を熾し、朝の身支度を整え、しばらくすると、俄に扉の向こうに人の気配がして、屋敷がいよいよ動き出したのだと悟る。
そして、マーガレットがやってくるはずの時間にフルゴルが訪れた。
だが部屋には入れず、扉越しでやり取りを交わし、食事を私室へ運んでもらうよう頼んだ。
運ばれてきた食事を受けとって、窓辺のテーブルへ置き、座る。食欲ははっきりいってない。
しばし、にらめっこを食事と交わして、やっと手を付けたのは冷めきったお茶だけだった。
苦味が口の中に広がって、飲み込むと、不思議と涙が一筋流れた。
そして、夜の帳が落ち、リュディガーが出仕から帰宅した。
マイャリスは出迎えることもしなかった。
夕食も私室でひとりでいただき、湯浴みをし、部屋着に着替え終えたところで、意外な訪問者があった。
「__アンブラです」
扉越しに
アンブラは、部屋に訪れたことはない。
専ら同性であるフルゴルばかり。
彼アンブラは、リュディガーに常に付き従っている印象がある。それを思うと、リュディガーに様子伺いに寄越したに違いない、と見えないことをいいことに、あからさまに苦い顔になる。
「……何でしょう」
「少々お話が。よろしいでしょうか?」
マイャリスは悩んだ。
嫌だと切り捨ててしまえばいいのに、である。
この邸宅で、もっともリュディガーに近い存在が、わざわざ話にくるなど、魂胆が見え透いている。
__いつまでも、このままという訳にはいかないわよね。わかっている。
形骸化しているとしても、自分とリュディガーは夫婦だ。
明日には、2人揃って州侯が主催する夜会に行かねばならない。
今のうちに、少しでも普通にする術を身に着けておかねば、間違いなく明日の夜会で自分が困るのだ。
マイャリスは扉に向かい、施錠を解いて扉を開ける。
そこには、黒い法衣を纏った鋭い切れ長の目付きの呪い師が佇んでいた。
リュディガーは大柄だが、彼もまた背は高い部類にはいるのだ、とこのとき気がついた。
「……どうぞ」
招き入れると、彼は男にしては優美な動作で踏み入り、扉を閉めてから恭しくマイャリスに一礼をとる。
「お会いいただき、ありがとう存じます」
「お話とは、何です?」
「話とはもうしましたが……マイャリス様に、実はお願いがあって参りました」
もともと腰掛けていた長椅子に腰を据えようとしたところで、動きを止めて彼を振り返る。
「お願いですって?」
尋ねると、彼は頭を上げて琥珀色の瞳をすい、と動かした。
「是非、カーチェをお弾きいただきたいのです」
その視線の先には、マイャリスが手慰みとして弾いている愛用の弦楽器が置かれていた。
今まさに、彼の来訪がなければ弾こうとしていたものだ。
何を唐突に言うのだろう__マイャリスは怪訝に眉を潜めた。
「今宵、鎮魂を祈って爪弾かれるのでしょう?」
琥珀色の視線が、すい、と動いてマイャリスを捉える。
「是非、弾いていただきたいのです」
何故、リュディガーに最も近い彼に所望されなければならない。
「ご存知の通り、私は呪い師です。マイャリス様のカーチャは、以前から拝聴しておりますが、誰かを想って偲んで弾くことにもとても向いているのです」
ひゅっ、とマイャリスは息を詰めた。
「加えて申し上げれば、マイャリス様のお気持ちを鎮める効果も高い」
「……それは、そうでしょうね……そのつもりで弾いてもいましたから」
マイャリスは、カーチェに視線を落とした。
「……明日には、リュディガー様とご一緒に州侯の夜会へ赴かれる。ですので__」
「__弾いて、気持ちを鎮めておくほうがいい……そういうことですね」
アンブラの言う先を察して言い放つと、彼は、わずかに目を見開いてから目を再び細め、是、と頷く。
マイャリスは、自嘲してため息をこぼし、カーチェを手にとって長椅子へ腰をおろした。
__彼に促されたから、というわけではないわ。弾くつもりだったのだもの。
そう。
たまたまその直前に、アンブラが来ただけ。来て、所望しただけ。
「お話は、それだけ?」
「はい」
「では、このまま、こちらで聞いていけばいいわ。飽きたら勝手に下がってしまってよいですから」
「それは、光栄でございます」
ありがとう存じます、と言う彼に、視線で適当に座るよう促すと、マイャリスはカーチェを構えた。
視界の端で、アンブラが腰をおろして、法衣を優美に振るように裾を整えるのを捉えながら、呼吸を整え、弦を抑え、弓を引く。
これ以上ないぐらい、失われた者を想って__。
鎮魂としての祈りを込めて弾く定番。
それが半ばに差し掛かったところで、マイャリスは聞き慣れない音__耳鳴りがし始める。
徐々に耳鳴りが甲高くなって、薄っすらと聞こえなくなったところで、はっ、と我にかえった。
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