褒美として
霧の中に抱かれる州都が、夏至祭に活気づいたのを空中庭園から眺め、そして蓮の花が順を追っていくつも咲き、陽光が肌を刺すほど強くなった1カ月後、久しぶりに父が訪れる。
父の背後に付き従っているはずの、リュディガーの姿はなく、マイャリスの生活圏を監視するオーガスティンが代わりに控えていた。
「マイャリス、お前はいくつになった?」
昼下がりの東屋。
訪れた父にお茶を注ごうとポットに手を伸ばしたところで、父が唐突に問う。
「__22に」
答えながら、思わず止めていた手の動きを再開する。
「そうだったか」
父は、育ててくれたが、マイャリスにはさほど関心がない。
誕生日を祝われた経験は、心優しい使用人らからしかなかった。
養父ロンフォールにとっては、あくまで恩人の娘だから、一流の躾、教育__大学はこれには含まれてはいなかった__を施しこそすれ、家族としての馴れ合いは皆無。
お茶を淹れ、父に配する。
それを一口飲んだ父は、無言で戻すと、遠い目線でお茶を眺めた。
「__マイャリス、お前の輿入れが決まった」
父のこだわりなく言い放った言葉に、マイャリスは口元に運ぶ手を止めてしまった。背後では、控えているマーガレットが息を呑んだ気配がした。
「……」
カップの中を眺めていた視線が、すい、と動いて、マイャリスへと移される。
その視線が細められ、マイャリスの心臓が一つ大きく跳ねた。
__嫁ぐ……。
いよいよ、決まった。
遠からずそれは訪れると覚悟はできていた。
これまで養い、育ててもらった恩を返す__精算するための婚姻。
その嫁ぎ先で、ここより自由になれるかは疑問に抱くところだが、少なくとも州侯の娘ではなくなるから、幾分かは意思を貫ける部分が増えるのではなかろうか。
「……そうですか」
どきどき、と心臓がうるさいのは、緊張からか。平静を装っても、手が震えている自覚があり、それを父に悟られたくなくて、カップを置いて膝の上で握りしめた。
__相手は、父にとって有益な相手……。どこのどなたかしらね。
不思議と、そこまで興味は抱かないのは何故だろう。
聞いたところで、覆ることも、嫌だ、とも拒絶できないのがわかっているからだろうか。
それとも、行け、と言われたら行くことを覚悟してきていたからか。
__どちらでも、ある……わよね。
ふと、脳裏に蘇ったのは、膝をつき、手を取って求婚したリュディガーの姿だった。真摯な顔で、キルシェ・ラウペンの窮状を知り、同情から求婚した彼。
偶然にも、彼は父の懐刀として側近くにいる。もっとも、先日邂逅をして以降、彼がマイャリスの前に現れることはただの一度もなかったが。
父は、夏至祭の後、帝都へと赴いていたと聞いている。まず間違いなく、彼もそれに付き従い赴いていただろう。
州侯が公に帝都へ赴く場合、
__皆さん、どう思ったでしょうね……。
龍にも、クライオンにも見限られた彼は、堕ちた、と思われているに違いない。
哀れみの目を向けられただろうか。
__だとしても、彼はきっとちっともなんとも思わなかったかもしれない。
あのまるで動じない姿を目の当たりにしては、そうとしか思えない。
「一ヶ月後ないし二ヶ月後には、嫁がせる」
「……はい」
ひとつ呼吸を整えてから、マイャリスはお茶を口へと運んだ。
「__婚姻に際し、お前の希望を聞かれたが、何かあるか?」
「マーガレットさえよければ、彼女を侍女として連れていきたいです」
どうかしら、と背後のマーガレットへ視線を向ければ、喜んで、と彼女は頷いてくれた。彼女の存在は、マイャリスには心強い。心の底から信頼できる数少ない人物なのだ。
「許可する。元々、そのつもりでいた」
「ありがとうございます」
「他には?」
「あとは、特には」
ほう、と父は片眉を釣り上げた。
「__挙式については」
「ございません。相手の方に合わせます」
「相手は、お前の希望を優先する、と言っていた。お互い希望がないのであれば、かなり質素なものになりかねないが、よいのか?」
「構いません」
__ひっそりと嫁ぐほうが、私にはお似合いだわ。
そう、大学を去るときのように。
惜しまれるような立場ではないのだ。
相手が懐の深さ、大きさを示すためにマイャリスの希望を優先すると言ってきたのだろうが、生憎と興味がない。
要望通りにするのが一番。多くを望むと、それが叶わないとわかったときの失望は比例して大きくなるものなのだから。
__結局、大学へ行って戻ってきても、何も変わらなかったのだもの。
「__お前、どこへやられるかとか、相手が誰であるとかは、気にならないのか」
「……気にならないと言えば、嘘になりますが、さほど」
答えると、くつり、と父が喉の奥で笑った。
「興味がないかもしれないが、教えておいてやろう。__相手は、『氷の騎士』殿だ」
「__っ」
マイャリスは思わず息を詰めて、父の顔を凝視した。
「……リュディガー・ナハトリンデン」
突きつけるように、その名を口にした父は、マイャリスの驚愕に固まった顔を見て取って、くつくつ、と喉の奥から笑いを零した。
「……どうして、彼なのですか」
引きつる喉。強ばる口元。それを叱咤して、マイャリスは疑問を口にした。
「我が『氷の騎士』殿は、私の見込み通り、本当に腕が立つ。先日、帝都へ赴き、高天原へ上がり、龍帝陛下の懐刀から三本勝負で一本取ってみせたのだ」
「それは……陛下の御前で……?」
「無論、そうだ。元龍騎士ということで、腕がなまっていないか、という流れでな。その場で陛下から褒美を下賜された。私も鼻高々だ。誇らしい。故に、何かそれに報いねば、と思っていて、お前を与えることにした」
ぎゅっ、とマイャリスは心臓が縮こまる心地に、思わず手を握りしめた。
「……私を与える、と言われて……彼は、なんと?」
「最初は断っていた。褒美報奨__そういう見返りを求めて、三本勝負をしたわけではないのだから、と。だが、陛下にも褒美をなにかしら与える、ということをお耳に入れているのだから、と言えば、最終的には彼は了承した」
__褒美が……私。
父にとっては気に入りの懐刀。
父にしてみれば、これで彼と縁故が深くなるから、切っても切れない関係となり、決して無駄な嫁ぎ先ではない、ということなのだろう。
「いいか、マイャリス。お前は、我が懐刀に嫁がせる。__報奨として」
改めて、強調して言うのは、父にとって愉快に違いないのかもしれない。
こまっしゃくれた、今日まで手を焼いてきた娘が、打ちひしがれたような姿を晒したのだから。
__断ったというのに……何故。
彼のことは、慕っていた。
昔の彼とのことを思い出すと、今でも切ないぐらい自覚できる。
だが、今の彼は__昔とは違う。今の彼を思い描くと、ただただ苦しいだけ。できれば関わらず、見ていたくはない、と思えるほどの変わりよう。
__彼とは、一緒になることがない人生だと思っていたのに……。
それが、こんな形で__。
ただただ、未来が閉じていくような心地__寒気がするのは何故だろう。
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