素行不良な娘

 薄茶色にくすんだ石を積んだ石造りの壁と、風化が進んだ赤い屋根。


 中庭をぐるり、と囲う回廊から一つ扉をくぐって、廊下に入り、その突き当りの扉を開ければ、そこは裏庭。


 裏庭には果樹も植えられた広い菜園があり、ここでこの建物に住まう人々の食料をある程度賄うことになっている。


 梅、桜桃、桃、杏、李、酸塊スグリ、葡萄、林檎、梨、柿__果樹だけでもかなりあり、それが程よい日陰を作り出していた。


 ここは州都から離れたところにある修道院。


 その寄宿学校は厳しいことで知られ、マイャリスはそこに入れられていたのだった。


 指示された食材を収穫するのは、ここのところマイャリスの仕事になっていた。


 菜園の管理はそこまで任されていないものの、気がついたことがあれば、見様見真似で覚えて手を入れていた。


 手入れも収穫も楽しいし、鬱々としたここではいい気晴らしになるので、好きだった。


 この日も朝、昼に続き、夕餉のための食材を集めるため、菜園を見回りながら、収穫物をかごに入れていく。


 体に合わないだろう大きさの籠を工夫して抱えながら__とそこで、首の高さまである石垣の向こうに、じっと見つめる子供がいることに気づいた。


 顔には泥なのか煤なのかよくわからない汚れがある子。年の頃は同じくらいだろうか。汚れた顔は頬がこけていて、マイャリスは気になりはしたものの、あえて気にしない風を装って、菜園をめぐりながら距離を詰めた。


 そうしていながら様子をさぐると、その子は茶色がかった金色の髪の毛の少女らしいこと、そして、かなり痩せていることがわかった。


 体に見合わないくたびれた印象の服は、単純に大きいのではなく、その子の体が細すぎるから。


「……ねえ、お腹減っているでしょう?」


 マイャリスは声を潜めて、その子に声をかける。


 その子は声をかけられるとは思っても見なかったのだろう、びくり、と体を弾ませて目を見開いた。


 マイャリスはすかさず近寄って、先程収穫したばかりの果樹を3個石垣の上に置いた。


 少女は青い目を見開いて、果樹とマイャリスとを見比べる。


「今あげられるの、これだけなの」


「……でも」


「これもあげるね」


 言って衣嚢から取り出したのは、子供の拳大のパン。昨日の残りのそれは、もう固くて、鶏に砕いてあげるものとして持たされたものだ。


「固いけど、水に浸せば食べられるから」


 困惑を浮かべている少女に笑って、マイャリスは顔を近づけた。


「私が居るときは、少ないけど分けてあげられるから。居なければ、そこの柳の枝の影の石垣に置いておくわ」


 内緒よ、と立てた指を唇に当てて悪戯っぽく笑んで、マイャリスはその場を離れて作業に戻った。


 呆然と立ち尽くす少女は、視界の端で悩んでいる様子で、石垣の上に置いた食べ物とマイャリスとを見比べている。それは、マイャリスが建物へ入る頃まで続いて、こっそりと菜園が見える窓から様子を伺った。


 やはり考えていた少女。だが、最後には少女は石垣の上の食べ物を取って、駆け出したのだった。


 __その場で食べないということは、家族がいるのかもしれない……。


 もう少しあげられればよかった、とマイャリスは悔いた。


 おそらく、その少女は、鉱山の労働に従事しているのだろう。このあたりの人々の生活の基盤は、鉱山労働に従事することで出来上がっているようなものだ。


 鉱山では男手が必要であるが、それは重労働の坑道においてで、掘り出した物を仕分けるには、女子供の手のほうがいいのだということを聞いたことがある。


 あの少女は、もしかしたら一家の大黒柱なのも知れない。働きに出られるのが、あの子だけの家庭。


 子供が一人で稼げる賃金はいかほど__子供ながらに、マイャリスでも少ないだろうと察しがついた。


 それから、ほぼ毎日少女とは顔を合わせた。会うたび、少女は申し訳無さそうな表情でいるので、なるべく気にしないで済むように、と明るく笑って多くを聞かず、食べ物を渡す。


 できる限りの。精一杯の量。


 だが、それから2週間が経った頃、大人に露見してしまったのだった。よりにもよって、一番厳しい修道院の長に。


 彼女は有閑階級の家から預けられた子を特に素行不良な子として、目の敵のように折檻するのだ。


 見せしめに、皆の前で尻を叩かれ、その後は、腕を強く引かれ、半ば引きずられる形で菜園へと連れ出された。老年とは思えないその力に、さすがのマイャリスも恐怖を覚えた。


「マイャリス! お前って子は!」


 吐き捨てると同時に、地面に放り投げられる。


「食事を無駄にして! 嘘までついて!」


 食事は無駄にはしていない。少しばかり残して、あの子に分けていたのだから。


 嘘はついた。菜園のものは、虫が食べたものが多い、とか、鳥がつついてしまったのが多い、とか、そんなことを。


 修道女は井戸まで行くと、大げさなほどがらがら、と動かして水を汲み、釣瓶からバケツへ移した。


 そして、ぎろり、とマイャリスを睨みつけてくるので、まさか、と思って身構えていれば、彼女は足早に戻って頭から浴びせられた。


 一瞬何が起こったのかわからなかった。


 井戸の水は一年を通してほぼ一定で、冷たい。まだ暑い時分とは申せ、心が縮こまった心地に息をつまらせる。


 あまりにも衝撃的な出来事で、これほど感情的にお冠になった彼女を見たことはなかった。


「正直に、しゃべる気になりましたか?!」


 マイャリスは恐怖におののきながらも、口を一文字に引き結んだ。


「お前は、今日は食事なしです! 自分の行いの愚かさを悔い改めなさい!」


 そう強く言いながら、彼女によって近くの果樹に括り付けられた。


 __悪いことはしていない。

 

 目の前の不幸を見て見ぬ振りすることができなかっただけだ。


 あの少女のことを明かせば、あの子にまで迷惑がかかってしまうから、全てしゃべることはできず、無言を貫いた。それもまた腹に据えかねたのだろう。


 __やり方がまずかっただけ。


 もっとうまくしなければ。もっと工夫をしなければ__。


 時折、修道女の中でも優しい大人が、諭しながら様子を見に来てくれてはいたが、結局その日、解放されたのは、就寝の頃だった。


 翌日__早朝。


 マイャリスはこっそりと菜園へ出た。


 そして、果樹をいくつか手にしてから、いつもの石垣の元へと歩み寄った。いつものようにそこへ置こうとするのだが、そこには石におさえられた紙が置かれていた。


 手にとって見てみる。


 __もう、来ない。ごめん。

 

 紙に書かれた文字は、子供としては綺麗な文字だった。


 そこに添えられていたのは、あの子の精一杯のお礼なのだろう。加密列カミツレの花が一輪添えられていた。


 昨日のあれを、あの子に見られてしまっていたのだ、とマイャリスは悟った。


「……ごめんね」


 その日以降、あの少女がここに来ることはただの一度もなかった。




 マイャリスは、そこで物悲しさから目を覚ました。


 目尻から流れ落ちた涙を拭いながら、天蓋の布をどかし寝台から出、窓のカーテンを軽く広げる。


 星空は地平の彼方へ溶けるように、空は白み始めたばかりだ。


「……結局、名前を聞けていない……怖いものを見させてしまったわよね……」


 あの子は元気なのだろうか。


 生きているのだろうか。


 今でも、あの鉱山は閉山していないと聞く。


「……ごめんなさい」


 謝るのは、自分の方だ。


 自分は、未だに何もできていないのだから__。


 __今のリュディガーは、ああした子を見過ごすことができるのかしら……。


 ふとよぎるのは、幼少期、ガリガリに痩せていたという彼のこと。


 同じように飢えを味わったはずの彼は、果たして__。

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