見放されたただのナハトリンデン

 相変わらず、じっ、と鋭く見つめてくる男は、どこか出方を見ているようでもあったが、マイャリスはどうしていいかわからず視線を伏せた。


 そこで目に留まったティーポットで、男にまだお茶を淹れていないことを思い出し、マイャリスは手に取りお茶を注ぎ始める。


「ロンフォール様が、私が帝都の大学卒だとお知りになり、是非に会わせたい者がいる、と。__さぞ、驚くだろう、と仰せでしたが……確かに、驚かされました」


 彼が、驚いた風には見えなかったが。


 __いえ、違うわ。多分、私が驚くだろう、ということだったのかも。


 一挙手一投足を見張られているようで落ち着かないが、なるべく平静を装いお茶を注ぎ入れ終えると、男は小さく、恐縮です、と応えた。それは事務的な響きだった。


「キルシェ・ラウペン__偽名だった、ということですか」


「……ええ。大学に進学するにあたり、偽名を名乗ることを条件に出されていましたから」


 当時の父は、前任の州の官吏の上層に顔が利き、それを利用して諸々用意したと聞いた。


 当時も現在も、このイェソドでは制度上穴がある。隣のネツァク州に比べれば、遥かに劣るほど、州政府は緩いのだ。


「大学を去るとき、貴女様は仰った。__貴方は私の何も知らない、と。なるほど、こういうことでしたか」


 __貴女様……。


 もはやかつての学友ではない__その呼び方が、とてつもなく距離を取られているような、あるいは責めているような響きに感じられ、マイャリスは口の中の苦さをお茶で流し込む。


 男は徐に右手の手甲と黒い革手袋も外してから、カップを手に取った。


 節くれだった、あの大きく分厚い手。だが、少しばかり骨ばっているように見え、改めて彼の顔をみれば、昔に比べ頬がこけたように見える。


「私が隠れた、という話は一体どういう……」


 お茶を一口飲んで男はカップを下ろすと、再びマイャリスを鋭く見た。


「貴女様が大学を去って、およそ一週間が経った頃、州境で起きた事故で」


「事故?」


「2台の馬車が魔物に襲われ、瘴気の濃い谷底へ。辛うじて引き上げられた遺品から、被害者は貴女様の御一行__ビルネンベルク先生が、遺品をご覧になって貴女様で間違いない、と。私も、そう聞かされていました」


 そより、と吹き抜ける風に、ぶるり、とマイャリスは身震いする。


 そんなことになっていたとは、知らなかった。


 自分は無事に州都へ到着していたし、今日に至るまで生きていたのだ。


 どうして自分が世間的には死んでいた、などと思うだろうか。


 ちらり、と浮かぶ、父のほくそ笑む顔。


「__それは、父がそう偽装したのでしょう」


 そうとしか思えない。


「キルシェ・ラウペンとしての足跡を全て消して……戻れないようにするための。__そう……だから、偽名を名乗らせたのね……」


 マイャリスは下唇を噛み締めた。


「……流石はロンフォール様らしい。抜かりない」


 __今、彼はなんと言った。


 抑揚は相変わらずないが、言葉から感じられるのは称賛。


「本気で言っているの?」


「はい」


 間髪入れず答える彼の顔は、表情はない。


 __なんで……そんな……これほど……。


 人は変わることができるという。三年もあれば起こりうるだろう。


 だが、よりにもよって彼が父に与する__称賛するような人物に成り下がってしまったのか、理解に苦しむ。


 彼の周りにいた人は、今の彼をどう思っているのだろう__彼の、養父は。


「……ところで、リュディガー。お父様は……ローベルトお父様は、お元気? 帝都からこちらに一緒に引っ越していらしたの?」


「死にました」


 マイャリスは、息を飲んだ。


 あまりにも端的に、気にもした風ではない響き。


 それは父によく似た言い方だったのだ。


「貴女様がお隠れになったと聞いてから、翌年には1年で残りをすべて修了し卒業できました。龍騎士に復帰はしたのですが、その直後に」


 1年__マイャリスの経験から察するに、それはあまりにも早すぎる修了と言えた。どれほど学業に専念し、身を削るように打ち込んだことだろう。でなければ、当時の彼の状況を考えると1年で修了に持っていくことは不可能だ。


「父が亡くなり、色々と思うことがあって……そうしていたら、クライオンにも龍にも見放され、今に至ります」


 龍に見放される__それは、つまり龍帝への忠義が揺らいだ何よりの証拠。

 

 そして、クライオンは、彼ら龍帝従騎士団が龍だけでなく行使できる、不可知に近い力。かつての英霊らの力である。かつての英霊らは、龍帝への忠誠を死後も貫いてる存在。現役の龍騎士は龍帝との関係上行使できる形らしく、龍に見限られるような者に成り下がった場合、行使できない。__恥ずべき立場に堕落した、と言われる。


 そうなることは、本当に稀だ。振り返ってみても、片手で数えられる程度だけのはず。


 __そんな存在になってしまった。


 そんな存在にはならない。むしろ引っ張っていくだろうと思っていたのに。


 男はお茶を再び口に運び、そうして東屋の外へと視線を投げた。


「__ここは、下界とは違って鮮やかだ」


 表情のない横顔で抑揚なくいう彼の言葉は、皮肉のように聞こえてならない。


「州城にこんな場所があるとは、思いもしませんでした。__いえ、正しくは、空中庭園があるとは存じ上げておりましたが、これほどとは」


「父の懐刀である『氷の騎士』殿は、心も凍てつかせているらしいですが、そうした感性はお持ちなのですね」


「ヒトを辞めた覚えはありませんので」


 淡々とした言い方に、マイャリスは胸が苦しくなる。


 まるで別人なのだ。彼の態度や言動が。そして、どこか父に通じてしまう部分がある。


 __あの人こそ、ヒトではないと思うときがあるというのに。


「……どうして、イェソドに__父の……イェソド州侯の下に?」


 三年前の政変。それから半年混乱が続き、ついに父は州侯になっていた。


 __混乱を利用した、としか思えないけれど。


 州城は官邸でもあるが、州侯の居城でもある。


 イェソド州城の場合、岩山を利用して建てられ、周囲を見渡せる高台にある。もともとは一つの岩山の頂上はテーブル状の台地になっていて、長い年月の風化によって大小の2つに裂けた。


 その大きな岩山側が官邸を含む州城の主で、小さい方は渡された橋によって往来する州侯の居城としての機能を有する形だ。


 空中庭園と称されているマイャリスが手入れをした庭は、小さい岩山側に広がる庭である。


 踏み入ることが許される者は、州侯家族の身の回りの世話をするものだけ。あるいは、貴賓のみ。__隔絶された世界だった。


 男は、視線を戻した。


「イェソド州軍で募集していたので、辺境騎士になるのも悪くはないか、と。傭兵として安売りするつもりもなかったので。そこで、ロンフォール様のお眼鏡にかない、引き立てていただいたのです。元龍騎士ということがあったからでしょうが」


 __その龍騎士としての矜持はどこにいってしまったの。


 マイャリスは膝に置いていた手を握りしめる。


「帝国に……龍帝に見限られた龍騎士ですが、こうしてロンフォール様に認められ重用していただけている。拾って頂いた御恩には、報いる所存です。__こうして、引き合わせる必要もなかっただろう、マイャリス様がキルシェ・ラウペンだったことをお教え下さったのは、試されてのことかもしれませんが」


「重なる苦しみ……貧困に喘いで抵抗を示しただけの民に、刃を振り下ろすことが、恩に報いる行為だと言うのですか。そこにどんな大義がおありと? ナハトリンデン卿」


 低く言い放つも、彼は表情ひとつ変えない。


「相手は、イェソド州侯に叛意があった輩です。断罪しない意味がわからない。ロンフォール様は、貴女様を含め帝国民が敬愛して止まない龍帝に任命されたお方という事実、くれぐれもお忘れなく」


 目眩を覚える言葉だった。


 __彼も、父に毒されてしまった……。


 もう、彼には声は届かないのだろう。


 父の周りを囲う者は、父に靡く。


 州侯になった今にはじまったことではない。昔からそうなのだ。反発するものは、いなくなる。おそらく、消されているのだろう。


 そして残るのは、父のためなら、手を汚すことも厭わない輩ばかり。父の周りにいれば、美味しい蜜が保証されるのだから、当然だろう。


 そうして腐っていくだけだというのに、中央には不思議と暴かれないのだ。


「……お嬢様」


 マーガレットが控えめに呼びかけるので、弾かれるように彼女を見れば、彼女は視線で東屋の外を示す。


 見れば、いつのまに天然の樹木でできた門よりこちらまで至っていたのか、東屋の手前まで来て、黒を基調にした法衣を纏う男が膝を折るところだった。


「__リュディガー様、州侯がお召です」


 一見して質素であるが、法衣には銀糸や輝石で刺繍が施されている上等なものだとわかる。


「承知した」


 男の答えに顔を上げるその人物は男。


 漆黒の髪は少しばかり長く後ろで一つにゆるく結っている。印象的な黄金色の目はやや切れ長。年の頃は20代半ばだろうか。

 

 __誰?


 明らかに武官ではない。だからとって文官でもなさそうな身なりだ。


 怪訝にしていると、目の前の席に着席していた男が手甲と手袋、そして兜を手に、立ち上がった。


「それでは、御前を失礼いたします」


 マイャリスもまた立ち上がる。


 東屋を出、振り返った彼は、まるで武官の鑑のような仕草で礼を取る。それが本当に様になっているから、マイャリスは複雑な気持ちで何も言えないで見守った。


 黒い法衣の男へ歩み寄ると、法衣の男も立ち上がり、マイャリスへと一礼をとる。それを見守っていた男は、なれた手付きで手袋と手甲をはめて、マイャリスへと身体を向けた。


「それから、私はただのナハトリンデンです。__マイャリス様」


 抑揚なく言ってから兜をかぶり、改めて一礼をとる『氷の騎士』は、マイャリスの言葉を待つこともなく踵を返して去っていった。

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