影響力の大小

 リュディガーは窓際に立ったまま、腕を組んだ。


「龍騎士として分かる範囲だが__まずは、その怪我を癒やしに、もうひとり寄越されるはずだ」


「ラエティティエルさんが薬湯を用意してくださいましたが」


「それはあくまで痛みを緩和するだけだ。怪我そのものを癒やす神官が来る。こうした犯罪においては、それが常だ。同時に、あのならず者どもは、文官がよしなにするはず」


「私が関わることは……」


「ほぼない、と思っておいてもらっていいだろう。今回は……その……現行犯で、罪状は明らかだから」


 現行犯、という言葉にキルシェは息を詰め、手を握りしめる。


「捕らえたのはアッシスと、暇をもらっているが龍騎士の2人。そしてなによりも、元帥閣下が直々に関わってくださっている。量刑の差配が文官の領分とは申せ、元帥閣下の顔に泥を塗るわけにも行かないから、文官も身を引き締めて沙汰を行うはず」


 そう、とキルシェは俯いて、手首に残った痕を擦る。


 怪我を癒やしてもらえるのであれば、何事も無かったことにできる。世間で噂になることはない。


 __父にも知られずに済む。


「君が気になっている大学については、その怪我を癒やした後、いつもどおりの生活に戻れるだろう。ご家族……君のお養父上ちちうえへの連絡をして__」


「父には! ……父には、しないでください」


 リュディガーの言葉を断つようにキルシェは声を上げた。


 それだけは困る。


「だが、ことがことだろう」


「わかっています。ですが……父だけは、嫌です」

 

 __もし知られて、連れ戻されたら、今度はどうなるのか。


 これが最後の自由だと思っている。


 戻れば、養父の思惑に従い、どこぞに嫁がされるのだろうことは明白だ。これ以上年齢を重ねさせるわけにもいかないのだから。キルシェはとうに、世間一般でいえば婚姻していて然るべき年齢なのだ。


 養父には多大な恩がある。だから従わないことはすまい。


 __だけれど……せめて、大学を卒業するまでは……。


「……では、帝都においての身元引受人のような立場のビルネンベルク先生にも、告げないでいるか?」


「先生に?」


「ああ。先生は影響力があるだろう。万が一、あられもない噂がたったとしても、先生が承知で味方で居てくれるのであれば、これほど心強いものはないはずだ」


 それは一理ある。


 だが、私事に巻き込んでしまうことではないか。


 __それは、申し訳なさすぎる……。


 日頃から、色々と気を使ってくれているのだ。なのに、このような醜聞も醜聞になりかねないことに関わらせるなど__。


「君はこれ以上、この事件のことが知られるのは嫌だろう。だが、私はせめて先生には知らせておくべきだと思う。このことを伏せて、後から噂が先生の耳に入ってからでは、打てる手も打てない。__先生の名誉にも関わってくる」


「先生の名誉?」


 どうして、と問えば、リュディガーは窓の外をみやった。


「君は、先生の気に入りだ。先生はそう公言してまわってもいるし、実際、よく外の研究の手伝いにも連れて行っているぐらいだからな。だが、それをやっかむ者だっているのは承知だな。そうした輩が、この噂に飛びつかないわけがない。そして、尾ひれをつける」


「尾ひれ?」


「……ラウペン女史は、先生の情婦なのではないか、と」


「そんな……こと……」


 驚きすぎて、心臓が早く拍動して痛い。


 リュディガーは再びキルシェへと顔を向けた。


「なんとでも言えるんだ。言われてからでは、遅い__というか、それを聞いて、何故そんなことが噂されているのか探ってから、今回の件を知るほうが、先生には辛いのではないか。__信用されていなかったのか、と。何故、伏せて、頼ってくれなかったのか、と」


 __まともな上司なら、その話を秘められていたことを知ったなら、自分を恥じる。詰る。憤る。至らない存在だった、信用されていなかったと、悲しく想う。


 それは、講書での不快な経験をなかったことにしようとしたことを知ったリュディガーが、そう言い放った言葉だ。


 あのときも今のように腕を組んで、まっすぐ見据えていたリュディガー。


「……先生には、そう、します……」


「懸命だと思う」


「あの……リュディガーも、そのときは立ち会ってくれますか?」


「なんの。無論、そのつもりだ」


 穏やかな口調で言う彼。きっと表情も穏やかに笑っているに違いない。


 がたっ、と再び窓が音を立てた。風があたったらしい。


 音につられてリュディガーは窓の外へ視線を投げる。


「__虹、か」


 彼の横顔の目元が、細められる。


「虹……?」


「ああ。なかなかはっきり見える」


 言いながら指し示す様につられて、キルシェは背もたれに手を置いて立ち上がり、彼が見る窓辺へと歩み寄ろうとする。


 そして、その動きに気づいたリュディガーが振り返ったのとほぼ同時、自分の足から力が抜けた。


「大丈夫か?!」


 かろうじて手をついて、崩れきるのを免れたものの、体勢の急激な変化で身体中がぎちぎち、と痛んで動けない。


 リュディガーがつぶさに駆け寄って、片膝をつくようにして背中に手を添えてた。


「力が、抜けて……」


「痛みが遠のいていたから、いつもどおり動けると勘違いしたんだろう。立てるか?」


 手を取ったリュディガーに、キルシェは肩で息をしながら緩く首を振る。


「ちょっと……時間を……」


「ああ、もちろん。ゆっくりでいい」


 彼の無骨な手が、取っていた手を包み込むように握り、背中に添えられた大きな手が、労るように擦る。


「__すまない、キルシェ」


 痛みをやり過ごしていると、すごく静かな声で彼が謝ってきた。


 怪訝に彼を振り仰げば、険しい顔を向けられる。


「私では、口さがない輩の噂から、君を護りきれる見込みがなくて……情けない話だが……」


「リュディガー……」


「私はただの一介の龍帝従騎士団の龍騎士にすぎない。しかも今は、暇を貰っている学生……哀しいかな、どちらにしたって、噂の元を断つほどの影響力がない……」


 そこまで言った彼は、口を一文字に引き結んで、その場に腰を下ろすように重心を落として、キルシェから身を離した。


「……もっと早くに、あの現場にたどり着けていれば__いや、もっと早く……君が逃げ回っていただろう時に遭遇できていれば、こんな手酷い目に合わずに済んだ」


 キルシェもまた、床についていた手を離して後ろへ重心を置き、膝に手を置いた。


「そんなこと……。__そういえば、リュディガーは、どうしてあそこに居たの?」


「たまたま、私は懐中時計の修理に来ていたんだ。帝都に着任してから知り合った腕のいい修理屋がいるから。アッシスは装蹄の調整で、今日は一緒にいた」


「そうだったの」


 リュディガーは、立てた片膝と、もう一方の膝に置いた手を握りしめる。


「アッシスの装蹄が終わろうか、というところで、嫌、という女性の叫びのような拒絶の声が聞こえたんだ。通りを見たが、声を発しただろう女性はいなくて……それでも、周囲を見て回ろうと。あの辺りは入り組んでいて、路地裏では犯罪が横行している。強盗か強姦か、誘拐、違法な売買はもちろん……夜な夜な、春を売っている者も出没するようなところだ」


 キルシェは息を詰めた。


「娼館……?」


「いや。そうしたところとは違って……街角に立ってそういう商売をする者もいるんだ」


 食い扶持を稼ぐため、それをしている者もいるのは知っている。


 娼館というところで春を売り買いすることはあるだろうが、あんな裏路地で__キルシェは、ごくり、と生唾を飲んだ。


「君は、いつものように、帝都を散歩していたのだろう?」


「え、ええ……」


 キルシェは歯切れ悪く答えた。

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