規範で然るべき

 リュディガーは龍帝従騎士団の龍騎士に叙される以前__試験に合格し、見習いだった頃、身の回りの保全は徹底的に教え込まされた。ときには、指導教官__肩書こそ同じだが、こちらは武官__に難癖をつけられ、せっかく整えた寝床も目の前でぐちゃぐちゃに乱され、やり直しをさせられたりもする。


 龍帝従騎士団の見習いになるための試験は狭き門。そこを通過できたことで優越感に浸りやすい16そこらの子らは、ここで容赦なく叩き落され謙虚さを思い出す__否、思い知る。


 __龍騎士は、模範でなければならない。


 武官の中でも、最もそれが求められると言っていい。


 己を省み、己より遅れる者たちを待ち、思いやり深く周囲を見、衆生しゅじょうとともに正しく前へ進むため__龍帝の意思の体現者だとされているのだから。


 それらの基本だとされているのが、周辺の整理。然るべきものが然るべきところにおさまり、整わなければ、個の心の乱れとなり、さらには全体の士気の乱れに通じる__それ故だった。野営をする際の、天幕の張り方、留め具の角度まで指定されているぐらい、万事が事細かに決められていた程である。


 正直、何もそこまで、と言いたくなることもしばしばだったが、神子守という神官に片足を突っ込んだような任務ではもっと厳格な制約を守らねばならないのだから、それらは当たり前としてできなければならない当然のこと。


 神事に関わらない分、普段の身辺整理など慣れてしまえばただの作業で苦ではない。


 __……いつ死んでも、迷惑がかからない。


 そう。そもそもは迷惑がかからないように、普段から身辺を整理して__そこで自嘲していたリュディガーはたと気がつく。


 皺のない寝台。机の上の物の配置__殺風景とは言いすぎだが、それでもやはり生活感が少ないとしか言いようがないキルシェの部屋。


 __まさか、いつ死んでもいいように、というのではなかろうが。


 そうした規律を叩き込まれた者だからこそわかる似たものがあるように、リュディガーには感じられた。


 __清貧……とでもいうのか。とても厳しく育てられたのかもしれない。


 蝶よ花よ、と育てられただけでは、令嬢の身でこれほど整った部屋にはならないだろう__と思うが、そこでふと気づいた。


 __待て。私がいつ、やんごとなきご令嬢の部屋を見たと言うんだ。


 交友関係で、貴族などの有閑階級の家に訪れたことはあるが、それだってせいぜい応接間や食堂止まり。子女の私室など訪れたことはないのだ。


 ビルネンベルクはつかつか、と部屋を進み、きっちりと整えられた寝台の布団を迷わずめくると、寝かすようにと示す。


 無言で頷いて、リュディガーはその寝台に横たえ、包んでいた羽織を取って腕に掛ける__と、そこで彼女が両手で何かを包み込むように大事に持っている物に気づいた。よくよく見てみば、昼に渡した干した杏の入った小さい麻の巾着。


 よく落とさずに、と思いつつ、それを取って寝台脇の卓へ乗せる。


「それは?」


「荷車を借りるとき、お代替わりにあがなった干した杏です」


「ああ、そういう。いくらだった? 私が出すよ」


「不要です。大した額ではないので」


「お金持ちだな」


「……帝国の重鎮ビルネンベルク家の先生が言うと嫌味にしか聞こえません」


 暇をもらっている龍騎士だから、もちろん給金などでない。上級職である龍騎士の頃に蓄えたものがそれなりにあるから、それを切り崩している生活だ。裕福とはいかないまでも、学業に専念するためにあと2、3年ほどはどうにか生活できる蓄えがある。


 __留年しなければいいが……留年ならまだしも、落第するぐらいなら、自主退学も視野にいれるべきだろうか……。


 そんなことを考えていたリュディガーが、視界の端でビルネンベルクがキルシェの靴を脱がしにかかっていることに驚いて、思わず彼の肩に手を置いてしまう。


「先生!」


「ん?」


「それは……いくらなんでも失礼では……」


 見ているこっちがはらはらする。無防備なことをいいことに、年頃の女人から履物を取り去るなど。


「だって、靴を履いたまま寝る習慣なんてないだろう?」


「それはそう、ですが……」


 正論を向けられ、切り結ぶ言葉が浮かばないリュディガーが肩から手を放すと、ビルネンベルクは手の動きを再開した。


「そんなことより、肩掛けをとってあげてくれないかい?」


 苦しそうだ、と言いながら顎をしゃくって指し示すのは、厚手の生地の肩掛け。たしかに重そうだし、首元には余裕がないように思える。


 ちらり、と開け放ったままの扉を見る。この寝台は廊下からは丸見えだ。誤解されない為、開け放っているのだろうが、先程の女学生らの、とりわけ敵視を思い出したリュディガーにはどうにもやり辛い。


 それでも迷った姿をビルネンベルクには見せられない。


 無言で肩を覆う、たっぷりとした白地の羊毛生地に青紫を基調とした刺繍が施された、見るからに温かそうな肩掛けの紐を解く。


 そして、背中と寝台の間に手を滑り込ませ、やや上体を上げ空間を作るようにして肩掛けを取り払う。そこで、リュディガーはふと彼女の耳飾りが目に留まった。


 そこそこの大きさだ。前衛的な作りのそれは、寝返りを打ったら引っかかって、痛むのではないのだろうか__。


「耳飾りも、外したほうがよいのか……」


 お、とビルネンベルクが、さも面白い、と言わんばかりの声を漏らした。


 しまった、と我に返ったが、もう遅い。口からこぼした言葉を拾い上げる術など無い。


「靴を脱がすのはあれで、耳飾りはよい、と__」


 残りの靴も床へ置いたビルネンベルクの口角が、すぅっと上がって笑む。


「大胆な男だ」


 リュディガーが処置なし、とため息を吐いて、椅子の背もたれにケープをかけたそこへ、先程、食事を頼んだ女学生が戻ってきた。


 パンとジャム、数種類の腸詰めと数種類のチーズ、酢漬けの胡瓜__彼女が言うに、スープは冷めてしまうから、と持たせてはもらえなかったらしい。夕餉が載ったトレイを示しながら、申し訳無さそうに言う女学生に労いを言い、それを受けとって解放するビルネンベルク。


 彼が机にトレイを置く様子を見て、リュディガーはキルシェに掛け布団を掛けてやった。


 そこで改めて彼女を見るが、まるで起きる気配がない。これほど深い眠りをするのは、子供ぐらいだろう。


 いつも凛とした表情で、笑むと令嬢淑女のそれ。その顔が、垢抜けていながらも、どこかあどけない雰囲気の表情で寝入っている。寝顔の中に、いつもの面影を見出すのはなかなかに難しい。


 くつくつ、と笑うビルネンベルクの気配に我に返る。どうやら、まじまじと寝顔を見てしまっていたようだ。


「__やはり、大胆な男だ」

 

 女学生の視線よりも、この教官のほうがよっぽど質が悪いことをこのとき痛感した。

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