第4話

 


 香に急かされて帰った澄は、良治に朗報ろうほうを伝えた。


「……女将さんには世話になったな。恩返ししないと」


「ええ。さあ、急ごう」


「ああ」


 二人は早速、旅支度を始めた。


「寒いから、ありったけの着物きもん着ろ」


「そんなに着たら動けないよ」


足袋たびも五足ぐらい履け」


「そんなに履いたら歩けやしないよ」


 夜逃げ同然の逃避行とうひこうだというのに、二人は何だか楽しかった。



 澄は黒足袋を履くと、下駄をお太鼓の間に挟んだ。良治と同じように風呂敷包みの一方を背負い、もう一方を腰に結んで角巻を羽織った。そして、足袋のままで外に出た。



 二人は月明かりを頼りに、線路に沿った道を東へと向かった。


「ほいさ、ほいさ……」


 早足の良治が声を出してけしかけた。


「待ってぇ」


「ほいさ、ほいさ……」



 ――どのぐらい歩いただろうか、廃墟の小屋を見つけた。一休みすることにした良治は、その辺の小枝を集めると、土間で燃やした。


「暖かい……」


 暖を取りながら、澄がぽつりと言った。


「ここで少し寝てから行けば、次の駅に着く頃には始発に乗れる時刻になる」


「良かったね、あんた。早く出てきて」


 澄は板の間に腰を下ろすと、荷を下ろした。


「ああ、正解だった。少し休もう」


「うん」


 良治の腕にもたれた。



 どのぐらい眠っただろうか、良治に起こされた澄は小屋の裏で用を足した。東雲しののめの薄明かりの下、二人はまた、線路沿いを歩き出した。


「ほいさ、ほいさ」


「ほいさ、ほいさ」


 良治の掛け声に釣られた澄は、白い息を吐きながら早足になった。二人の門出を祝うかのように、朝焼けは色を濃くしていた。――



 二人は、駅付近で足袋を履き替えると、下駄を履いた。――待合所には行商の老婆が一人、石炭ストーブに手をかざしていた。良治が切符を買う間、澄は老婆の傍に腰掛けた。


「どこまでね?」


 話し掛けてきた。


「……東京」


「そげんて。旦那さんと一緒で楽しいやろ」


「……ええ」


 澄が羞じらっていると、切符を手にした良治が老婆に会釈をした。



 ――腹が空いていた二人は、汽車に乗ると早速、家を出る時に作った握り飯を出した。


「見て。ペチャンコ」


 澄が手にして見せた。


「見事だな。ハハハ……。汗と涙の結晶、ほいさおにぎりだ」


「ほいさおにぎり?」


「ああ。ほいさ、ほいさ」


 良治が肘を曲げた両腕を交互に振って、走る格好を真似た。


「ふふふ……」


 澄は楽しげに握り飯を頬張った。



 ――東京に近付くと、澄は香から預かった封筒を帯の間から抜き取った。中には浅草の住所と一緒に数枚の紙幣が入っていた。


「よしさん、これ」


 手にした紙幣を見せた。


「いい女将さんだな」


「ほんとに」


「感謝しなきゃな」


「ええ」


 もう一通も出してみた。


「……佐野って聞いた覚えがあるんだが」


 良治が考える顔をした。


「……まさか、やくざじゃないよね」


 澄が顔を曇らせた。


「足を洗いてぇって言う俺に、またやくざを紹介する訳はないと思うが……」


「でも、佐野組を訪ねろと」


「組が付くからと言ってやくざだとは限らねぇが……」


 良治も憂色を浮かべた。だが、乗り掛かった船だ。後戻りはできない。一か八か、二人は目交めまぜをすると、覚悟を決めるかのようにゆっくりと頷き合った。



 ――辿たどり着いた住所の硝子ガラス戸には、〈佐野組〉とあった。侠客であることはもう疑いようもなかった。だが、他に頼れるつてがいない二人には選択の余地はなかった。澄と目を合わせた良治は覚悟を決めると、戸を開けた。


「ごめんください!」


 声を上げた。


「はーい! ただいま」


 若い男が音を立てて廊下をやって来ると、


「どちらさまで」


 澄に一瞥いちべつすると、良治に目を据えた。


「佐野様のお住まいで」


「そうですが」


「わたくし、木島良治と申す者です。これを佐野様にお渡しください」


 懐から手紙を出した。


「少々、お待ちください」


 男はそれを受け取ると、会釈をして去った。


「……大丈夫だから、心配するな」


 不安げに俯いている澄に声を掛けた。


「……ええ」



 間もなくして、男が急ぎ足で戻ってきた。


「失礼しました。どうぞ、お上がりください」


 一変して、丁重ていちょうになった。



 ――客間で、出された茶を飲んでいると、


「失礼しますよ」


 男の声と同時に襖が開いた。現れたのは、恰幅かっぷくのいいいかつい顔の男だった。二人は立ち上がってお辞儀をした。


「どうぞ、どうぞ、お気遣いなく。座ってください。どうも、佐野です」


 座卓を挟んで座った。


「遠い所を疲れたでしょう。今、食事を運びますので、食べたら風呂にでも入って、ゆっくり休んでください」


 人相にそぐわない気配りを見せた。


「ありがとうございます」


 良治の言葉と一緒に、澄も頭を下げた。


「香さんからの手紙、読みました。良治さん、あんたが足を洗いたいむねも分かりました。この話は明日、腰を据えてじっくりしましょう。とにかく、今夜はぐっすり休んでください。酒も付けますので、風呂で旅の垢を落としたら、一杯呑んで休むといい。奥さんと水入らずで。それじゃ」


「ありがとうございます」


 一緒に腰を上げると、二人は佐野の背中に礼を言った。佐野が襖を閉めた途端、安堵感あんどかんからか、澄は良治の胸に顔を埋めた。――

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