行き方知れずの自分・その二

 自分を見失っている人がいる───のは、まあ普通のことだ。自分のことを、全く見失っていない人はいないだろう(自分を含み)。

 だが中には、半端なく、度を越えて見失ってしまっている人がいる。そのレベルが、刑法はともかく、民法には引っ掛っているぞ、オイ───のクラスになると、もはや見失った自分を探そうという気さえないのではないかと思ってしまうのだ。


 それは、流し営業の時にご乗車いただいたお客さまだった。

 見たところ三十代半ばの、男性二人。一方は、オフの時のサラリーマンらしくカジュアルな服装で、並の上のルックスのごく普通の会社員。もう一方は、チャラいとしか言いようのない、ラフなアロハ的スタイルで、それがまた良く似合っている上の並クラスのイケメン。友人同士にしても、落差がある組み合わせだった。

 乗って来られて、行き先とコースの確認───ここまでは定番のルーティンだ。

 けれども直後に、サラリーマンらしきお客さまが、お連れさんに言ったのだ。

「ちょうど、女性ドライバーさんだし、さっきの話を訊いてみれば?」

 勿論、話を振られれば乗らない私ではない。

「どんなお話ですか?」

 訊くと、チャラい方の男性が、少し迷った挙句、一気に告白をした。

「自分、本当に奥さんを愛しているんです。んで、奥さんの愛を取り戻したいんですけど、どうしたらいいんでしょう?」

 おっと、質問がストレート。

 なので、私もストレートに質問を返した。

「で、奥さんの愛を失う何をしでかしたんですか?」

 まあ、そういう事なのだろう。この場合、旦那の方がやらかした事は、本当は訊くまでもないのだが。

 お客さんは、「うっ……」と詰まったまま言葉が続かないので、もう一押しした。

「浮気ですか?」

 どうも、図星だったらしい。

 事情を聞くと、恋愛結婚の奥さんとの間にお子さんが二人産まれ、育児で忙しくなった奥さんに構われなくなった為、別の女性と関係を持ったということ。そのことに奥さんは気付いているようだったが、何も言われなかったこと。その後、Make Love 的SEXは奥さんとしか出来ないと悟った為、その女性とは関係を切り、奥さん一筋に戻ったということだった。

「浮気って、なんでバレるんでしょうね」

 と言うので、「何故バレないと思うんですか?」と返した。

「どういうことですか?」

 これだから、男性は鈍い。

 全く判っていない様子のチャラ男くんに、年長女性として説明するのは義務なのかもしれない。

「お客さんは、奥さんにご飯を作って貰っていますね?」

 そう訊くと、チャラ男くんは怪訝けげんそうに「はい」と頷く。

「勿論、洗濯も奥さんにして貰い、普段着や下着は奥さんが用意するのですよね?」

「好きな私服は買うけど───ええ、はい」

「では、突然、『今夜はご飯いらない』とか、買った覚えのない下着があるとか、今日着て行ったアンダーシャツが違うアンダーシャツに変わっていたとか、自宅で使っているのとは違うシャンプーやボディソープの香りがするなどという情報で、怪しまれない筈がないとは思いませんか?」

 男性陣、二人とも沈黙。

 かように、男性というものは、日常生活において雑ということだろう。

「けれど、奥さんにバレたのに何も言われなくて、他所の女の人と切れたのであれば、今後は奥さんの愛情を取り戻す為に、誠心誠意努めることですね」

 と、こういう感じで締めたつもりだった。だが、話には続きがあったのである。


 その話をバラしたのは、お連れの男性だった。

「一度じゃないんですよ」

「はい?」

「こいつ、その後また奥さんと子供を作って、また奥さんが忙しくなって、それでまた……」

「───で、お子さんは何人ですか?」

「……五人です」

 五人っ!

 この少子高齢化時代に、五人っ!

 それ自体は立派だが、五人の子育てをする奥さんの苦労を思うと、気が遠くなるというものだ。

「それで、五人のお子さんの世話で奥さんが益々忙しくなって、再度浮気をしてしまったと? 加えて、そのことを奥さんは気付いているということですか?」

 こうなると、私の声も段々低くなる。

「そうなんです」

「それで? やっぱり奥さんが一番と思って、奥さんの愛を取り戻したいと?」

「はい、やっぱり自分、奥さんを一番愛してるんです」

 ここまで来ると、さすがの私もコメントに困る───というより、コメントしたくない。

「お連れさまは、ご友人としての意見はないんですか?」

「一般的な忠告はもうしました。ちなみに僕は公務員で、コイツみたいな家庭内のゴタゴタは嫌なんで、一生一人で定年まで勤め上げ、自分の好きな事をしながら暮らす予定です」

 まあ、それはそれでアリだろう。私も似たようなものだ。

 問題はチャラ男くんだ。

「まあ、奥さんの愛を取り戻すのは、無理でしょうね。結婚して、子供もいるのに浮気をするというのは、女性側から許す理由がありません。しかもお客さんは、一度目を暗黙のうちに許して貰っているじゃないですか。でなきゃ、更に三人も子供を産んだりはしません。なのに、二度目となると、つける薬なんかございません」

「だって、自分、愛のあるSEXがしたかったんです。男も女もそんなものでしょう?」

「一括りにされるのは、誰しも不愉快だと思いますよ。愛というのは、SEXの中だけにあるものじゃないでしょう? そもそも、お客さん自身の行動の中のどこに愛があるんですか? ご本人がおっしゃる通り、奥さまもお子さん達も愛しているのなら、浮気するより他にやるべきことがあるでしょうに。しかも、浮気相手を愛していたわけでもないと───そうやって、愛して・甘やかして欲しいばかりで、誰の事も本気で愛していない人を、どうやって愛すればいいのですか?」

 こんな話をしていると、友人や同僚に「それ、本当にお客さんに言ったの?」と訊かれるが、間違いなく本当に言っている。むしろ、長文になり過ぎないように端折はしょっているぐらいだ。勿論、会社に知られれば大目玉だが、一度もクレーム化したことがないので、叱られている方も思い当たることが多分にあったのだろう。

「じゃあ、自分はどうすれば……」

「ここで、奥さんの愛に見込みがないならと自ら離婚に走るようならば、はっきり言って男としても人間としても、下の下です。お子さん五人が成人するまで、きっちり責任をとるのが最低限の義務でしょう」

「SEXは……?」

「奥さんとですか? お子さん五人が独立された直後に離婚届を叩きつけられなければ、武士の情けでいまわのきわに一度ぐらいはさせてもらえるかもしれませんね。私だったら、まっぴらゴメンですけど。大基本として、許されないことをしたのだとちゃんと理解してくださいね」

 チャラ男くんは頭を抱えたが、まさしく自業自得なのでかける情けはない。別れ際、お連れの方に、「友情の続く限り、事あるごとに反省させてくださいね。彼の行いに六人分の人生が掛かっていますから」というと、「出来る限りは努力します」との返事。

 本当は、チャラ男くん一家の命運は、お連れさんが握っているのかもしれない。


 およそ¥2300程の、リアル・箸にも棒にもかからない人と御一緒したというお話。

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