草の根国際交流・その一

 前項で述べたように、私の学生時代の英語の成績は、五段階評価の1・2・1・2から進化しなかった。

 今になって思えば、中学一年生で初めて触れた外国語の授業が、読み書き・単語の暗記・文法から入った為、他国の言語というより暗号解読だと認識してしまった事が、つまずきの原因だったように思う。例えば、子供向けの映画を字幕スーパーで観ながら、教本を英語版の脚本にしていれば、もっと言語としての理解が早かったのではないだろうか?(ついでにヒアリングも鍛えられるだろう)

 現に、教科書上に数え切れないほど出て来て、辞書を何度も読み返した well という単語が、私には理解出来ない謎の単語だった。

 けれども、高校を卒業し、専門学校に通いながらアルバイトに励んで、少しの時間とお金がある時に映画館に行っていた頃、銀幕で俳優さんが発したニュアンスの込められた「Well」の一言で、全ての謎が氷解したのだ。その時の呆然とした気持ちを、何と表現すればいいのか……。中学・高校で苦労した英語の勉強は、いったい何だったのだろう? この『生きた言葉』である well を聞かせてくれていれば、しなくて済んだ苦労をずっとして来たのである。

 ともあれ、その一件で英語に関するハードルは随分と下がったものの、本来であれば中高で学んでいた筈のことが、全く身についていなかった為、その後の努力もあまり実を結ばなかった。


 一方では、本来大学に行って勉強したかった民族美術や宗教美術の関係で他の国の文化には興味がある上、誰彼構わないコミュニケーションが好きな為、海外の方に接する機会があってもどうにかこうにか乗り切ってきた。金魚鉢───もとい、タクシーという密室の中でもそれは同様で、片言の英語と筆談、翻訳アプリという便利な道具で何とかなった。一生懸命片言英語で話そうとする私を、当の英語圏のお客さまが、笑顔で発音を修正してくださったこともある。難しかったのは、そのすべてが運転中の出来事だという事だろう。


 それでも、私的に見逃せない失態があったのだ。

 とあるホテルから国際空港にお送りする時、片言英語で「時間の余裕はありますか?」と訊いたら、「出来るだけ早く」との要望だった。「では、高速を使いますか?」と尋ねたのまでは良かったのだが、「高速を使えば別料金が掛かる」という事が説明出来なかったのである。

 その時は、特に問題は発生せずに事を終えたのだが、プロドライバーとして、料金の説明が出来ないのは非常によろしくない。それ故に、中年女子は一大決心をしたのだ。

 これまでの人生において最大の難関であった英会話を、せめて仕事に差し障りのない範囲までは改善する───という決心である。

 そうはいっても、拘束時間が長い勤務の上、シフト制の仕事。自分のスキルアップの為とはいえ、勤務を休むのは論外なので、何曜日の何時の授業に必ず来てくださいという教室には通えない。色々考え、探しまくった結果、出られる授業の授業料だけで教えて下さる、ネイティブの方が運営している小さな個人教室に出会った。

 教えて下さるのは、カナダから来られて高校の講師をしていらっしゃる方で、授業の前に面談をして下さった。私の仕事がどういう仕事で、どのような問題があって授業を受けたいのか。また、どのくらいの頻度で通う事が出来るのか。詳しくヒアリングしていただいて、めでたくその教室での授業を受ける事が出来た。

 ほとんど、月に一度か二度しか行けなかった授業だが、大変勉強になった上、想像以上に楽しかった事を特筆しておこう。


 授業は、生徒側が最近あった自分ニュースを英語のみで皆に報告し、全員が英語でそれについて話すという形式である。カナダ人の先生は、本来日本語も堪能なのだが、それらの会話の間は英語のみで話をする。そして、授業の最後で、それぞれに英語表現の間違いや、もっとこういう表現の方法があるよと教えて下さるのだ。

 非常に判り易く、自分で考えて間違った表現にも意義があり、実に楽しく為になる授業だった。ただし、全員が社会人の上、ほとんどが五・六十代の生徒だった為、最終的には飲み事とグルメの話になっていたのは、愛嬌というものだろう。

 その授業を受ける為に時間を作るのは、私にはかなり難しいことではあったが、それでも頑張って半年近くは通い続けた。


 そして、全く予期せぬデビューの日を迎えることになる。

 二〇一五年・ラインオンズクラブ国際会議が、私の生息区域で行われ、これまでに見た事もないような数の海外の人々が、所かまわず大量に流入して来たのだ。

 ライオンズクラブとは世界中のセレブで構成される組織で、ノベリス・オブリージュ(持てる者の義務)として、途上国や貧困層、一般市民の支援をする組織である。

 勿論、英語を筆頭とする外国語が堪能なドライバーが招集されたが、流入して来た人々は、動員されたメンバーではフォローしきれない数だったのだ。

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