徘徊する労働者は愉悦する・その一

 『今日も明日も旅暮らし』は、旅客運送業・貨物運送業に共通のことだと思うが、各業種によって違うこともある。

 バスや列車、航空産業は、タイムスケジュールや発着場所がはっきりしていて、それぞれの段取りに従って行動しなければならない。トラックなどの運送業は、近場であればかなり厳しいタイムスケジュールがあると聞くし、長距離もまた発着がはっきりしており、多少は時間の猶予を計算してあっても、やはり到着時間の指定がある。

 これらの点において、タクシーというのは異色だと言ってもいい。

 勿論、勤務時間の縛りはあるが、その時間内・営業エリア内であれば、自由に、どこに行っても構わないのだ。


 営業エリアという言葉は、一般には耳馴染みのない単語だろう。実はタクシーの基本料金は全国均一ではなく、各地域で差があるものなのだ。なので、共通のタクシー料金が適用されている近隣区域=営業エリアと言ってもいい。

 この営業エリアがまた広い。起点となる中心地(県庁とか市役所とか)から、東西南北に四十km前後あるのだ。当然、地域差はあるだろうが、私が営業可能なエリアはそうだ。「この中でお仕事するのね」というのもまた違っていて、『発着のどちらかが営業エリアであればいい』という決まり事が罠(?)となる。つまり、出発場所が県外でエリア内着もあれば、エリア内発で県外で終了もあるのだ。事と次第では、一つの予約の送迎のみで、走行距離が三〇〇km前後になることすらあるのだ。

 このようなモンスター予約は、基本的にはお客さまが会社に依頼をして、我々ドライバーは会社から予約を受け取ることがほとんどだ。それ故に、決して遅れることは許されず、早めの現場到着&待機となる。


 さて、前置きが長くなったが、そのようなモンスター予約等の時、現場に到着しての待ち時間が三〇分や一時間は普通だ。往復の予約であれば、送りの仕事から帰りの仕事までに数時間待ちということもある。

 その間、何をしているかはドライバーによってそれぞれだが、わたしはそれなりに楽しんで遊んでいたりする。

 物心付いた頃から生き物好きで、好きな生き物を色々知っていくうちに、植生や地域の自然環境にも興味を持ったので、市街地を出て辺鄙へんぴな所で待ち時間があっても、全く退屈することがない。


 野鳥を見ていたり、昆虫を見ていたりするだけでも退屈しない。

 とある待ち時間には、隠れていた非舗装の場所で(タクシーは依頼場所で長時間待っていてはいけない場合が多いので、現場を確認したあとは近隣に隠れていることが多いのである)、乾いた粘土質の泥の中に足跡を発見した。

(これは偶蹄目の足跡。歩幅と足跡の大きさからいって、鹿とは思えない。泥に沈んだ爪の深さからして、イノシシではない。近隣は里山なので、牛かヤギ───体の大きさからして、ヤギかな?)

 と、にわか探偵の推理は続く。

 やがて予約の時間が迫り、外から確認していた現場に行ってみると、犯人に遭遇した。その場所では、それなりの柵の中でヤギが飼われていたのだ。ヤギの散歩───も、考えられなくはないが、断崖を登る習性のヤギの生態を考えてか、階段状になった丸太が設置されていたので、脱走説も捨てがたい───という結論に達した。

 そんなことが楽しいのだから、どこに行くか判らないこの稼業が辞められないのも当然かもしれない。


 また、深夜にとある郊外にお客さまを送っていた時のこと、明かりが点いている花農家さんのビニールハウスに、走る動物の影が大きく映し出されていた。

「お客さん、ほらあのビニールハウスに映っている影、キツネですよ」

 というと。

「いや、こんな所にキツネは居ないでしょ。犬じゃないですか?」

「いやいや、あの太いしっぽとフォックス・トロットは間違いありません。キツネですよ」

 なんてこともあった。


 更に別の時に、県外のホテルにお客さまをお迎えにあがった折、ロータリーの待ち合わせ場所に車を寄せると、地元のタクシードライバーとホテルのフロントマンらしき人々が、高い天井の方を指差しながら騒いでいた。何だろうかと降りて行くと、スズメバチが一匹だけ飛んでいた。

 「ああ、スズメバチですね」と言えば、どよめく面々。

 「見ただけで判るんですか? 確定ですか?」と訊かれたので、「確定です。離れているのでスズメバチの種類までは分かりませんが───一匹だけなら偵察ですから、放っておけば問題ないかと……」と答えた。だが、お客さま仕事であるホテルマンとしては、そうはいかなかったらしい。

「偵察ということであれば、近くに巣があるのではないですか?」

「まあ、距離の遠近は分かりませんが、アレが飛んで来れる範囲にはあるでしょう」

「この場合、巣の調査は何処にお願いすれば?」

「基本は地域の保健所ですが、緊急性がある場合は、民間の業者があると思いますよ」

 そう言うと、ホテルの人はどこかに(多分、報告と問い合わせに)飛んで行ったということもあった。私は呑気に観察しているだけだが、仕事に係わる人達は、そうもいかないということだ。


 現在までに見かけた野性の哺乳類は、狸・キツネ・イタチ・リス・野ネズミに野良のリス。

 鳥類は、ヒヨドリ・ムクドリ・ウグイス・メジロは当然として、ジョウビタキ・シジュウカラ・キレンジャク・ヒレンジャク・コサギ・ダイサギ・アオサギ・オナガ・キジ───一度だけコルリを見たこともある。鴨類に至っては同定が追いついていない状態だ。

 残念だが、わりと近くで見られるという噂の、生きた宝石とも言われるカワセミは遭遇していない。


 加えて、近辺での遭遇率が最も高いと噂のイノシシは、何故か未見である。出会える日を楽しみにしているのだが、遭遇すると営業車が廃車になるという強者だ。「わざと見に行ったら、責任問題にするぞ」とは、新人時代からお世話になっている先輩に釘を刺されているのだから、偶然を期待するしかない。


 しっかり行動を読まれている辺り、残念なり。

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