意外とひとりじゃない

 私の両親は、『小さな親切』や『誰かの為に』という事に、否定的な人達である。子供の頃、バスの席を譲ろうとしたり、近くの人が落とした物を拾ってあげようとした時、「余計な事をするな」と言われたものだ。何故なのかの説明が全くなかった為、どうしてしてはいけない事なのか判らないまま、大人になった。

 なので、私が大人になった現在でも彼らは同じ事を言うのだが、私もまた、良くも悪くも親の言う事を聞かないままに成長したので、BGMぐらいにしか思っていない。勿論、本当に余計なお世話である場合があることも、理解している。

 そんなこんなで、あっぱれなぐらい利他の精神がない両親で、変わった人達だと長く思っていたが、最近になってようやく、案外そちらが多数派らしいということが判って来た。『一日一善』的行動をしているのを目撃されると、「それをしてあげると、何かメリットがあるの?」と訊かれる場合があるからだ。

 そして、もう一つ判った事がある。

 私の周囲に居る親しい友人達は、すべて類友だったという事だ。誰も彼も、疑問符を投げ掛けたりはしなかった。私にとって、とてつもなく幸運なことに。

「捨てられた仔犬が、箱に乗って川を流されていたらどうする?」

 と、ある事を説明する為に、例題として出された質問に対して、「助けるに決まってるじゃん」と即答。同席していた友人と、ユニゾンで答えたものである。

「いやいや、だって助けてどうするかとか考えない? 飼えるか飼えないかとか、川に入れば自分にも危険が及ぶかもとか……」

「生命が危険に曝されているのなら、そんなの後に決まってるでしょ。後の事は後で考えるのだよ。すべては、生命あっての物種だから」

 と、更にハモった。

 おかげで質問者は頭を抱え、「問答が成立しない」と苦悩していた。


 何故、こんな話をするのかというと、現在の仕事に就き、ヘルパーから介護福祉士になった私が、元からの行動指針に職業意識が加わった為、反射的行動に歯止めが利かなくなってしまったからだ(止める気がないとも言う)。まあ、職業病の一種だろう。

 何しろ、大勢の歩行者を眺めていて、今、この瞬間に異変が起きている人が判ってしまうのだから、これはもう仕方がない。判ってしまった以上は、走って行ってしまう。


 世の中はいつも世知辛くて、ニュースや新聞を見ていると、世界は恐ろしくて怖いばかりかもしれないが、安心して欲しい。事件や事故だからニュースになるが、良い事の方はニュースになる方が珍しくて、報道されない出来事は悪い事より沢山起きている。案外、世界は捨てたものではないのだから。

 何故なら、歩きながら体調を崩して倒れ掛かっている人の所に走って行く時、私一人だったためしがないのだ。必ず、複数の人が、同じ目的で走って来る。

 咄嗟に交わすアイコンタクトの情報量は、半端な物ではない。どうして視線を交わしただけで意思が疎通し合えるのか、やってる本人の一人である私にも判らない。けれども、通じてしまうのだから、仕方がない。

 ある少しお姉さまなご婦人が、幹線道路の横断歩道上で座り込む寸前、私は金魚鉢から出て走り、同じく走って来た若い女性と左右で支え、別の男性は発進しようとしていた車を停める係を担当した。三人で協力して、ご婦人を安全な歩道上に誘導すると、ご婦人がパニックと過呼吸を起こしかけていることが判った。

 その状況を互いに理解している事を確認する意味もあって、「私は介護福祉士です」と一番短い自己紹介をすると、「看護師です」・「ケアマネです」と答えが返る。「では、お任せしても大丈夫ですか? 自分はタクシー車両を放置しているので」と訊くと、「大丈夫です。行ってください」と二人から力強い返事。この時は、信号待ちの先頭に営業車両を放置していたので、あとをお二人にお任せし、走って車の所に戻った。

 この間、私の車両のせいで交通が停滞していたのだが、車に乗り込む前に迷惑をかけた周囲の運転者に頭を下げると、全員が「いいから、いいから」と気にするなという合図を送ってくれたのだ。勿論、クラクションを鳴らした車は、一台としていなかった。


 車から飛び出したのはこの一回だが、同様の状況で走って行った時に、同じく走って来てくださる方々がいるのだ。

 近所の主婦の方、居合わせたサラリーマンの方、路面店のお店の方、近くの工事現場の方、CAさん、看護師・介護士・消防士───勤務中の人、休日で偶然近くに居た人、実に様々である。本当に私一人で何もかもを対処しなければならなかった事は、一度としてない。

 人混みで周囲に居る見知らぬ人々は、何の関係もない赤の他人かもしれない。そして稀に、その中に無差別の悪意を持っている人が居るかもしれない。


 それでもなお、我々は意外とひとりではなかったりするのだから、わりと色々大丈夫だと思うのである。

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