金魚鉢の中から
睦月 葵
草食男子の獲得心得
「あの、突然ですが、ちょっと聞いてもいいですか?」
そう言いだしたのは、通りすがりに同行することになった、二十代半ばかもう少し上の女性。
「どうぞ」と、答えると言い出したことが───。
「女は愛された方が幸せになるっていいますよね?」───だった。
おっと、これは恋の悩みか?
では、迂闊に・軽率に返事はできない案件。
「それはケース・バイ・ケースですからね。前後の事情が判らないのでなんとも……」
すると、彼女はあっさり話してくれた。つまり、次のような状況なのだ。
「職場の同僚で好きな人がいるんです。その人は草食系男子(仮名A君)で、押しても引いても全然反応がなくて」
「ふむふむ───で?それだけじゃ、さっきの質問にはなりませんよね?」
「そうしたら、最近、肉食系男子(仮名B君)の人で、なぜか私を気に入ってくれた人がいて、好きだ好きだと押してくるんです───女としては悪い気はしないし、もしかすると振り向いてくれない人より、その方がいいのかなって思ってきて……」
「失礼ですが、結婚を前提に考えています?」
「そうなんです」
あらまあ、極まっとうな恋愛相談である。
だからこそ、友人とか同僚ではなく、他意の入らない第三者の意見が訊きたかったのだろう。
真剣な問いかけには誠実な答えを───は、自分の主義。あらかじめ、いい歳をして未婚で子供もいないこと伝え、恐ろしく恋愛ビジターであることも告白した上で答えた。
「私だったら、選ぶのはA君ですね」
「え? 即答ですか?!」
「だって、結婚でしょ? 恋愛関係のうちは、『好きだ好きだ』で安心できるでしょうけど、結婚となると生活ですからね。毎日一緒にいれば、仲の良い家族でも、気の合う友人でも、大好きな旦那でも、絶対に我慢しなくちゃならないことや、妥協しなきゃならないことが出てくるんです。B君を選んでいた場合、そんな時に私であれば、『好きでもない相手なのに、なんで私が我慢せなならんねん』って、絶対思っちゃう。でも、A君の場合だと、『ちっ、こいつに惚れたのは自分だから、仕方ねぇーか』と思うことができますから」
自分の答えを聞いて、彼女は非常に納得するものがあったようだ。
けれど、何かまだもやもやしているようで。
「A君を選ぶのはいいんですけど、これからどうしたらいいんでしょう?押しても引いてもリアクションがなくて」
「具体的には、どんなことを? 二人で一緒にお買い物に行ったり、映画に行ったり、食事に行ったりとか?」
いわゆるデートである。
「行きました」
「誘ったら、付いてくる? そして、次の日に会社で会ってもいつも通りと」
「そうなんです」
「二度・三度誘っても来る?」
「そうなんです」
「それじゃあ、押し倒しちゃえばいいんじゃない?」
改めて述べておく。相手は二十代半ばの成人女性。結婚を考えている男性の攻略方法についての相談であって、決して未成年淫行や体を売る仕事を勧めているわけではない。
「実は、押し倒しました!」
即答───それだけ惚れているわけだ。
素晴らしい。
「それでも、翌日は普通に?」
「……そうなんです」
「なら、話は簡単でしょ? 勝手に実印作って、区役所で実印登録はすぐにできるから、その場で婚姻届けに捺印とサイン───それから、お茶でもしながら『御式はいつにしよっか?』ってかる~く言えば、『そうだねぇ、いつがいい?』って普通に返してくれるんじゃない?」
「それはそうかもしれません(考えてはいたらしい)が、そしたらプロポーズをされたいという乙女の夢がっ!」
「草食系男子相手に、それは無理。乙女の夢より女の幸せ。お嬢さんがそれだけイイと思っている相手なら、きっと他にもイイと思っている人がいますよ。A君のタイプ的に、手をこまねいていると横から略奪されてしまいますよ~」
「それはイヤ~~~」
「なら、行動あるのみですね」
───と、このあたりでお別れの時間を迎えた。
初対面のお嬢さんはまだ名残惜しそうで、『お仕事、何時に終わられますか? この後、飲みに行きませんか?』と誘っていただいたが、まだまだ仕事が残っていたので、丁重にお断りした。
グッド・ラック、恋する乙女。頑張ってね。
もう何年も前の出来事だが、今でも気になっている。
その後、草食系A君を無事に確保できただろうか? 上手くいっていれば、今頃お母さんになっているのではないだろうか?
もう一度会うかどうか判らないけれど、幸せであることを祈っているよ。
おそよ、¥2400ほどの移動時のお話。
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