退学になりそうな私を助けてくれたのは、片思いしていたあの人でした

Barufalia

第1話 進展

九条楽斗・・・私にとって特別な名前。私の、初恋の人。

 きっかけなんて簡単なものです。あのときまで、私は彼のことなんて全く知りませんでした。高校1年のあの時までは・・・

 彼は時折、昼休みに音楽室でハーモニカを吹いていました。何の理由があってそんなことをしているのかはわかりません。しかし、その姿が私の恋の馴れ初めとなりました。

 ・・・正直、私じゃなくてもその姿に引き込まれたと思います。彼の奏でる音色、窓の近くに座って何か考え事をするように外の景色を眺める彼の姿は、とても絵になっていました。こんなに幻想的な雰囲気を出せる人がいるものかと驚いたものです。


 その時から、私は彼のことを知りたくなりました。私はコミュニケーションというものが得意ではなく、初対面の人となんてもってのほかです。それに、彼もあまり口数の多いような人ではないようです。

 ですから、直接聞くなんてことできません。遠巻きに教室を覗いたり、廊下ですれ違った時に話を盗み聞きしたり、音楽室の前で彼の時折奏でる音色に耳を傾けたり・・・そんな恐ろしく回りくどいことをやっていたせいで、彼の名前を知るのにも一か月もかかりました。

 しかも、まさか本人から聞くという、その一か月の努力をすべて棒にふるような方法で。

 

 話しかけてきたのは彼のほうからでした。放課後、帰ろうと校門を出たところで彼に声をかけられました。

 驚いたのと同時に、その神妙な表情に本気で逃げることを考えました。近くから見る彼の表情は饒舌で、彼は、私に探られていることを察しているだろうことが伝わってきたからです。

 しかし、逃げたらもっと大変なことになるのも確実です。それに、意外と運動神経の良い彼から逃げるのは、どんくさい私が行うには少々難しすぎますので、私は彼に全部話しました。そして、彼は全部話してくれました。彼の名前も、ハーモニカのことも、とにかく知りたいことを全部。

 その時は生きた心地がしませんでした。彼は別に怒っていたわけではなかったと思います。終始その口調は穏やかでした。でも、彼から発せられるなんとも言えない近寄り難い雰囲気が、内気な私にプレッシャーを与え続けていたのです。

 

 しかし、その一件があってから、私の熱はさらに高まったと言っていいでしょう。確かに彼は怖い雰囲気を持っていますが、それ以上に魅力的な何かを持っていることを確信したからです。

 そうはいっても、彼と何かできるチャンスなんてそうあるものではありません。彼はあまり人と歩くような性格ではないようですが、とにかく話しかけ難かった。前のことだって、彼の方から話しかけてきたから成功しただけです。

 追いかけるだけで何もできないまま、私はただ奇跡のようなものを待つだけの日々が続いていました。

 そして、その奇跡は2年になって一か月が経ったころに突然やってきたのです。


「これって・・・九条さんの生徒手帳だ・・・」


 2年に進級すると、私と彼は同じクラスになりました。彼との距離の近さは一周回って気まずいものでした。それに、彼はその一件以降も私のことは気にも留めていない様子で、何も進展があるわけではありませんでした。

 そんなある日、日直の当番で放課後教室の机を整理していた時、彼の机に何か入っているのに気付きました。

 それは彼の生徒手帳でした。別に机の中に入っていて誰かに盗られるようなことはないでしょう。でも、私にとって、またとないようなチャンスのような気がしていました。

 だって、この生徒手帳には住所まで書かれているものですから、彼の家まで行って届けることは可能だったんです。

 もちろん、その程度のことで振り向いてくれるなんて思ってはいませんが、何か理由がないと彼に話しかけるなんて、ましてや家にまでいくなんて不可能な気がしたので、私は日直の仕事を済ませた後、彼の家まで足を運びました。

 確か彼は徒歩で通っていた気がしましたが、なんと40分もかかりました。なぜ自転車で通わないのでしょうか。思わず愚痴りたくなる距離を歩き、何とか彼の家の前にやってきました。


「・・・本当に行くの?」


 彼の家は周りの家と比べると一回り大きいようでした。お金持ち・・・かどうか判断するには早計かもしれませんが、中々大きな建物です。

 その家を前にして、今から自分がやろうとしていることに急な実感がわいてきました。彼と二人きり、他に人がいたとしてもそれは全員彼の家族です。そんな中に入るなんて・・・

 もう半分やけです。無理だと察したら入り口で渡してさっさと帰ればいい。というか、そもそも中に入ることを想定するのもおこがましかったのかもしれない。

 インターホンを押すと、心の準備をする間もなくドアが開きました。

 しかし、現れたその男性は彼ではありませんでした。歳が開いているようには見えないので、父ではないでしょう。しかし、兄弟と呼ぶには似ていないような。それに彼の来ている執事を思わせる服装が、私の戸惑いを大きくしていました。


「ようこそいらっしゃいました。しかし、クイーンはまだお帰りになっていないので、中でお待ちいただければと」


 その人は「クイーン」という謎の単語を放った後に、私を中に通してくれました。何一つ理解が追い付かず、思考がストップしていましたが、リビングに案内されて椅子に座ったところでようやく理性を取り戻しました。


「あの、九条楽斗さんに用があってきたんですけど・・・」


 楽斗さんの名を出すと、彼の表情が変わったのを感じました。数秒の間、じっと私を観察するように見ていました。ただ事ではないその目に、私は思わず言葉に詰まってしまいます。

 しかし、すぐにその表情が戻り、先ほどまでの穏やかな笑顔になりました。


「失礼しました。キングが友人を招き入れるのは珍しいことですので、今はお部屋にいらっしゃるので、ご案内します」

「えっと、わかりました」

「そうだ、申し遅れました。わたしは九条霧矢と申します。キングである楽斗様のルークをしております。以後お見知りおきを」

「わかりました。よろしくお願いします、霧矢さん」

「ここではルークとお呼びください」

「・・・ルークさん」

「はい、よろしくお願いします・・・すみませんそういえばまだ名前を伺っておりませんでしたね」

「そうですね・・・私は井川莉彩です。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします、莉彩様」


 なんだか不思議なこだわりがこの方には、この家にはあるのだろうか。ルークというのが一体何なのかはわからないが、彼の服装と、楽斗さんのことを「キング」と呼称しているのなら、たぶん執事なんでしょう。

 それにしてもなんだか「莉彩様」なんて言われると照れてしまいます。あまり友達という文化が私にはなかったので、家族以外から下の名前で呼ばれることはまれでした。


「キングでしたら、今お部屋におります。こちらにどうぞ」


 霧矢さ・・・ルークさんは慣れた手つきで私を彼の部屋まで案内してくれました。その瞬間彼に向いていた興味が再び楽斗さんに戻ってきました。

 どうしよう、いまなら引き返せる。だって学生証なのだ。目の前にいるこの人に渡して帰ることはなんら難しいことではない。ここでもう少し私に会話力か何かがあれば、それもできたことでしょう。しかし、結局私には流れに身を任せることしかできませんでした。


「こちらがキングの部屋です。あとで飲み物をお持ちいたしますので、ごゆっくりどうぞ」


 ドアの前まで案内され、そこでルークさんは戻っていきました。そのドアの前で私はしばらく考えこみました。一体どうすればいいんだろうか。あの人が、この向こうにいる。


「・・・・」


 もはや後戻りは出来そうにありません。私は意を決してドアをノックしました。


(どうか、せめて、嫌われませんように)

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