第16話 傭兵と何でも屋①
「キオネ!」
宿のキオネの部屋へと勢いよく駆け込んだ。
もしかしたらキオネにも襲撃者が差し向けられているかも知れない。
そう考えての行動だったのだが、彼女はエビ油の明かりに照らされた部屋で、粗雑な椅子に座って腕を組み天井を見つめていた。
そしてゆっくりとこちらへと視線を向ける。
「ノックくらいしなさいよ」
「ごめん。でも緊急事態なんだ。
エビ使いに襲われて――」
「知ってる。エビ教徒のそれなりの使い手みたい。
イビカ教徒に雇われたんでしょうけど、厄介な能力者だったわね」
「え、見てたの?」
キオネは事もなげに頷く。
「野次馬集めたのも私よ。
全く、どうして来て早々面倒なことに巻き込まれてるのよ」
「多分違法薬物絡みだと思うんだけど、キオネは大丈夫だった?」
キオネは頷いて返す。
「私はローブの男に顔見られてないもの。
と言っても、あの連中に与してたアクベンスの衛兵には見られてるから安全とも言えないけど」
そういえば、キオネはローブの男と会っていない。
そうなると標的が自分なのは必然だったのか。
いやでも、襲撃後に慌ててキオネの元へ駆けつけたことで、彼女の居場所を露見させたかも知れない。
「まずい。つけられてたら――」
「つけてくる奴は居なかったわね。
でも何があるか分からないから、あんたこの部屋で寝なさい。もちろん床よ」
「あ、ああ、それは了解」
こちらが心配するまでもなく、キオネは自分の身を守る行動をとっている。
問題は彼女のカニ魔法が自称戦闘向きではないことだが、その分はこちらの完全カニ化能力でカバーしてあげれば良い。
隣の部屋からザックと布団を持ってきて、寝る準備をする。
キオネもベッドに腰掛けて、いつも身につけているローブを脱いで、ブーツも脱ぎ、タイツにも手をかけ――
「ちなみに着替え見られるのって気にしなかったりする?」
この世界ではそうなのかも知れないと問いかけてみる。
すると、キオネの濁った目が刺すように向けられた。
「気にはなるわよ。
でもあんたを部屋から追い出す訳にもいかないから我慢してるだけ」
「だよね。ごめん」
キオネに背を向けて、自分のローブを畳む。
後ろから聞こえる布のこすれる音が生々しく、これはこれで身体に毒だ。
煩悩を振り払うように脱いだ服を畳みながら考える。
急な旅立ちでキオネに用立てて貰った服だけど、これ洗濯はどうするんだ? お高い宿屋に泊まったときは宿でやってくれた。そうでない場合はどうするべきなのか。
というか洗濯も問題だが、それ以上にいい加減お風呂に入りたい。
キオネはバスタブ付きの部屋に泊まっていたが、こちらは無縁だった。
自分の身体の匂いを嗅いでいるとキオネが告げる。
「公衆浴場があるわ。
朝方は混むから気をつけて」
後ろから何かを投げつけられた。
布団の上に落ちたそれを手に取る。それは木札で、何事か文字やら数字やらが刻まれている。
「公衆浴場の回数券?」
「そう。
この地区の浴場なら何処でもそれで入れるわ」
「なるほど。
ってことはキオネはもう行ってきたんだ」
回数券を持っていると言うことは、既にキオネは利用したと言うことだ。
彼女はそれを認めた。
「私は空いてる時間にしか入れないのよ」
どうしてと聞きかけたが寸前でとどまった。
この世界で顔に傷をつけられた女性がどう扱われるかを考えれば明らかだった。
キオネはこちらが黙っていると続ける。
「だからあんたが娼館で遊んでる間に行ってきたわ」
その発言に息をのむ。
何故バレた? いや、彼女はエビ使いとの騒ぎを見ているのだから、近くに居たのだ。
「遊んでない。少し話しただけ」
「一緒よ一緒」
弁明しようとキオネの方へと振り向く。
彼女は下着姿だった。
上質な生地の白く滑らかな肌着に包まれる姿に目を奪われる。
いつも厚いローブに隠されていた胸元は、肌着姿だとその凹凸がはっきりと伝わり、想像していたよりもずっと大きく張りのある形だと分かる。
長旅による適度な運動と、泥棒による潤沢な資金のおかげで比較的良好な食生活を送っていただろうキオネの身体は健康そのもので、肉付きが良く、出るところは出て引っ込むところは引っ込んだプロポーションをしていた。
特に歩くことが多かったのか、足は適度に筋肉がつき、すらりと長くよく引き締まっていて、美しいとすら感じた。
だがそこまであれこれ見ておいて、これはジロジロ見てはいけない物だと脳が思い出す。
咄嗟に視線を逸らすと、ほぼ同時にキオネも畳んでいたローブを広げて肌を隠す。
それから彼女は何事もなかったかのように再度尋ねた。
「で、あの女と何を話したの?」
問いに対して率直に回答する。
「仕事のこととか、相談させて貰ったんだ」
「娼婦に? ――いいえ、悪くない判断かもね。
高級娼館の女なら上の階級の人間とのコネもあるし。
私のことは話してないでしょうね」
追求に、思わず心臓の鼓動が跳ね上がる。
キオネについての話はした。そう、彼女へ対する好意について話したのだ。
だがキオネはこちらの態度を見てか、左目を細めてこちらを睨む。
「盗みについて話したりした?」
追求に対してかぶりを振る。
「そういう話はしてない。
その、これまでの旅のこととか、あとキオネは教養があるから没落貴族じゃないかとか」
「没落貴族ねえ」
つまらなそうにキオネは相づちをうつ。
それに対して問いかけてみる。
「実際のところどうなの?」
「捉えようによってはそうかもね」
なんとも言えない回答。
まだキオネは自分の過去について詳しく話すつもりはないらしい。
自分はキオネから真実を打ち明けるにふさわしい人間だと思われていない。
でもまずはこちらから、キオネを信頼していると示さなくては。
シュルマのアドバイスを思い出す。
――素直に、分かりやすく、自分の気持ちを伝える。
「1つ大切な話があるんだけど良い?」
問いにキオネは頷いて見せる。
一呼吸おいてから、出来るだけ勘違いされるような要素を省いて、率直に気持ちを伝えた。
「キオネのこと好きなんだけど」
告げられた彼女はぽかんとして、それから首をかしげた。
「酔ってる?」
「いや、そんなに強いアルコールは摂取してない」
返答に再び彼女は首をかしげ、それから得心いったと頷いた。
「ああそういうこと。理解したわ。
出かける前に言ったでしょ。まだやってるわよ」
バカバカしいと、何故か彼女は怒ったようにそっぽを向いて寝転がると布団をかぶる。
確実にあらぬ誤解を受けている。
せめて弁明をさせてくれるようにと懇願した。
「待ってキオネ。
認識の齟齬が発生してる。
まずはキオネの理解した内容について説明して欲しい」
訴えに対して、彼女は布団にくるまったままこちらへ向き直り、訝しむような視線を向けながら説明した。
「娼館でシュルマ相手にやれなかったから私で済ませようって魂胆でしょ。
やりたきゃ川辺のエビ小屋に行くよう言ったはずよ。
顔に傷のある女に欲情するなんてとんでもない話だわ」
「僕は顔の傷は気にしないって――
いやそういう話じゃなくて、決してそんなつもりはなくて、肉体関係なんてなくたって、キオネとこれからも旅を続けていきたいというか……」
こちらの弁明に対してキオネは大きくため息をついて、それからきつく言い含めるように言葉を発した。
「1つ忠告よ。
あんたの元いた世界ではどうだったのか知らないけど、この世界では娼婦の言葉を真に受けるような男は自分の身を滅ぼすのよ。
シュルマのバカに何を吹き込まれたのか知らないけど、今日は頭冷やして寝なさい。
それでも言いたいことがあるのなら、明日聞いてあげるわ」
話はお終いだと、キオネは明かりを消すとそっぽを向いた。
これ以上、今日は何も話すつもりはないという意思表示だろう。
予想通り、真っ直ぐに意思を伝えても、その通りに受け取ってはくれなかった。
「面倒くさい性格してる」
呟くように言うとキオネが返す。
「不満?」
「いいや、全然」
キオネが面倒くさい性格なのは承知の上だ。
今日はもう取り合ってくれなさそうなので、横になって布団にくるまる。
床は固いが、それ以上に忘れていた重大なことを思い出した。
「夕飯、食べてなかった……」
「明日にしなさい」
そう言い切られて、結局空腹と床の固さを我慢しながら眠りについた。
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