カニとハサミの異世界ファンタジー
来宮 奉
第1話 カニ異世界とカニ魔法
僕。
「捨てろ! 全部捨てるんだ!」
凍える空気を裂くように船長の声が響く。
船長命令は絶対だ。言われるがままに、引き上げたばかりのカゴを海へ投棄する。
カゴにはカニがびっしりと詰まっていた。
このカゴ1つ1つが数十万、多ければ数百万の価値を持つ。
簡単に稼げるバイト――のはずだった。
大学の冬期休暇を利用して、短期間でがっぽり稼ぐ算段だったのだ。
だが上手い話には裏がある。
この漁船は、ただの割の良いバイトでは無かった。
サイレンが轟く。
闇の中を漂っていた漁船を、国境警備艦の探照灯が強烈に照らし出した。
「急げ新入り! 証拠を捨てるんだ!」
「そうは言ってももう遅いですよ!」
漁船は密漁船だった。
当然そんなこと事前に知らされていなかった。
知ったのはつい先ほど。漁船へ向けてロシアの国境警備艦が接近してきた時だ。
国境警備艦はサイレンを轟かせたまま距離を詰めてくる。
漁船が逃げ切れるわけがない。
サイレンと共にロシア語が聞こえる。何を言っているのかはさっぱり分からない。
「応答しなくて良いんですか!?」
漁具を投棄するのに夢中になっている船長へ叫ぶように問う。
船長は黙って手を動かせと一蹴した。
その途端、サイレンの音すら遮って甲高い音が響く。
「嘘だろ!?」
銃声。
そう思った時には、明かりを落とされていた電灯が粉々に砕け散っていた。
飛び散るガラス片。次々に船体を穿つ銃弾。
船上はパニックに陥った。
「な、なんで警告もなしに撃って来るんだ!?
船長! 応答しないと!」
「無駄だ!
警告ならもう受けてる。こちとらこれまで3度捕まって、次見つけたら撃ち殺すと言われてんだ」
「そんなこと聞いてない!」
「言ったら人が集まらねえだろ!
やべえ、対空砲来るぞ!! 全員逃げろ!!」
そう言い残して船長は海へと飛び込んだ。
後を追うべきか、咄嗟には判断出来なかった。
今は冬で、夜で、ここはオホーツク海。陸地からは遙か遠い。海に飛び込んで無事で居られるはずはない。
震えながら振り返る。
探照灯の明かりに目を焼かれながらも、国境警備艦の姿を見た。
距離を詰めてきたロシアの国境警備艦は、その見た目以上に大きく威圧的に見えた。
それは艦前方に備えた両用砲の砲口を、確かにこちらへと向けていた。
ロシア海軍が海賊船へと向けて対空砲の水平投射しているのをネットで見たことがある。
炸裂した対空砲弾は、海賊船を細切れにして、一瞬で海へと沈めてしまうのだ。
このおんぼろ漁船がその攻撃に耐えられるはずなど無い。
「そんな――ただバイトしに来ただけなのに――」
対空砲が瞬いた。
もう考えることなんて出来ない。
柵を乗り越え、大きく息を吸い込むと外へと飛び出した。
目の前に広がるのは無限遠の闇。
何処までも暗く寒い、極寒のオホーツク海へ――
「ごふっ」
「なっ――」
腹から叩きつけられて、吸い込んだ空気を思わず吐き出す。
そしてそのまま息を吸い込むが、水は入ってこない。
腹部に鈍痛。だがそれ以外は痛みは無い。
海へと飛び込んだはずなのにどうして?
目を開けると光が飛び込む。
薄暗いが、夜では無い。
石造りの路地。陰になっているため暗いが、太陽はきっと昇っている。
ここは何処だ?
海では無い。何故?
もしかして死後の世界という奴だろうか。間違いなく海へと飛び込んだはずなのに……。
周囲を見渡して現状を把握しようと努めるのだが、全くもって見当もつかない。
「クソクソクソ!! 離しなさいよ!」
胸を叩かれる。
何事かと視線を下へ向けると、少女が暴れるように手を振り回していた。
銀色の髪。大きな黒い瞳。真っ白な肌。
綺麗な顔だ。
そう思った矢先、右目を覆っていた髪が揺れる。
露わになった右目の下には、横に走る傷跡があった。傷は塞がっているが深く、この傷跡が消えることはきっと無いだろう。
「ご、ごめん」
少女の燃えるような視線に刺されて思わず飛び上がった。
それを押しのけて立ち上がった少女は、一瞬戸惑いつつも髪で右目を隠し、フードを深くかぶる。
「ちょっと待って!!」
声をかけるが止まってはくれない。あっという間に少女は走り出して、奥の路地を曲がって行った。
言葉は通じていた。ここが何処なのか教えて欲しかった。
しかし行ってしまったものは仕方ない。
何しろ突然現れて少女を押し倒していたのだ。怖がるのも無理は無いだろう。
そう自分を納得させて、身につけていた救命胴衣とダウンジャケットを脱ぐ。
どういうわけかこの場所は寒くない。
「冬のオホーツク海に居たはずだよな……」
分からないことだらけだった。
とりあえず少女が走って行った方へ視線を向けるが、込み入った路地だ。何も考えず入ったら迷うに決まってる。
反対方向へ視線を向ける。
向こう側に明るい通りが見えた。大きな通りがあるようだ。
だがそちらに人が現れた。
「こっちだ! 誰か居るぞ!」
2人組の男。
肌は白く、ひげを蓄え、体躯は大きく、手には槍を持ち、古風な軽鎧を身につけていた。
男達はこちらを指さして叫んでいる。
「もしかしてロシア人!?」
彼らがロシアの追っ手に見えた。
カニの密漁。それも漁船は既に3度も捕まって警告を受けていた。
自分は知らずに働いていただけだが、きっと彼らは許してくれない。
慌てて救命胴衣とダウンジャケットを投げ捨てて駆け出す。
路地の奥。先ほど少女が走って行った方向へ。
「逃げたぞ追え!!」
男の声が響く。
気が気ではなく、とにかく走った。狭い路地に入り込み、道なりに走り続ける。
運動はそれほど得意では無いし、足下は長靴だ。
それでも軽装とは言え鎧を着た、大きな槍を持つ男よりはずっと速く走ることが出来た。
路地の先に先ほどの少女の背中が見える。
ようやくほんの少しの安堵を覚え、少女の元へ向かう。
「助かった!」
「はぁ!? あんた何しに来たのよ!」
少女はこちらの姿を見ると驚いたのか目を見開いた。
彼女へと助けを求めるべく声をあげる。
「追われてるんだ! 助けてくれ!」
「バカ言わないで! あっち行きなさいよ!」
「ここがどこだかも分からないんだ! 隠れられる場所を教えてくれ!」
必死になって頼み込む。他に頼れる人なんか居やしない。
少女は嫌悪感を隠さず、とげとげしい言葉で懇願をことごとく突っぱねるのだが、ずっと頼み続けるとついに折れて、うんざりした風にしながらも告げる。
「分かった、分かったわよ。
ただしついてくるならバカみたいに騒ぐのを止めて」
「分かった気をつける」
「こっち」
狭い路地を曲がってさらに細い道へ。もはや走ることも出来ず、身体を横にして進む。
ゆっくりと進みながら、少女は悪態をつく。
「また潰された。耳持ちが居るわね」
「耳持ち?」
「知らないの?」
「何も分からない」
正直に伝える。
あきれたような顔をする少女。そんな表情すら美しいと感じてしまう。
しかし今はそんなことを考えている余裕もない。
ともかく彼女へとどこから聞くべきか思案して、まずは現状確認から始めた。
「ここって一体何処なんだ?」
「街の南東の路地裏。貧民街と違法商店のたまり場」
「ごめん。街の名前聞いても良い?」
「エリオチェア。
本気で聞いてるの?」
”エリオチェア”という聞き慣れない街の名前だけが頭の中で反響する。
北海道にそんな地名があっただろうか。いやない。
「もしかしてロシア?」
「何よそれ」
「あー、それじゃあソ連?」
「だから何よそれ」
ロシアでもソ連でも北海道でも無い。
アラスカ? いやそんなはずは無い。
分からないのだからと、いっそのこと全て聞いてしまうことにした。
「ごめん。国の名前教えてもらって良い?」
今度こそ少女は信じられないと言った表情を浮かべて、されど質問には律儀に回答した。
「カーニ帝国よ」
「かーに、帝国……?」
カーニ帝国。
脳内をいくら検索しても、そんな国の名前は出てこない。
記憶に無いだけではない。きっと辞書にも載っていないはずだ。
「カーニ帝国!?」
「うるさい。騒がないで」
「ごめん」
現実を受け入れられず思わず叫んでしまった。
カーニ帝国なんて国は地球には存在しない。
さっきまで居たのはオホーツク海の船の上。
季節は冬で時刻は夜。
目の前にはロシアの国境警備艦。
だが今居るのは市街地路地裏。
季節は分からないが冬ではない。時刻も分からないが夜では無い。
目の前には10代半ばくらいの少女。
その少女も、言葉は通じるが、よくよく見れば服装がおかしい。
身体を覆うフード付きのローブ。裾からのぞく足はタイツを履いていて、足下はしっかりとした作りの編み上げブーツ。
工業製品には見えない作りでどこか古くさい。産業革命より前のもの。近世か中世か、もしかしたらもっと前かも。
だとすれば――ここは……。
「もしかして異世界……?」
「頭大丈夫?」
少女からさげすむような目線を向けられる。
右目は隠されているので左目だけだが、心に傷をつけるのは十分だった。
「大丈夫じゃ無いかも知れないけどそんな顔しなくても」
「静かにして」
少女に手をかざして制されて、思わず立ち止まる。
それから数秒待ってから彼女は「行くわよ」と合図して進み、路地裏を抜けて別の路地へ。
後に続くと、薄暗く、生臭い匂いのするあまり清潔とは言えない裏通りに出た。
「こっちは大丈夫なのか?」
「安全と言い切れる場所は何処にも無いわ」
「え、そんなことって――」
通りの先から金属を叩き鳴らす音が聞こえた。
それを合図にして少女が道を引き返し脇道へと入る。置いてかれては困ると慌ててそれを追いかけた。
「2人来てた!」
「報告は結構。
走るわよ!」
頷いて少女と共に走る。
脇道を抜けてまた路地へ。
住人達が何やら怪しい露天を並べている路地を突き抜け、また人気の無い路地へ。
周囲からは先ほどの金属を叩き鳴らす音が、そこかしこから響いている。
「見つかってる。囲まれつつあるわ。
あんたカニ魔法は?」
「カニ魔法!? 何それ!?」
「何で知らないのよ! エビ教徒じゃ無いでしょうね!」
「エビ教徒って何!?」
「本当に何も知らないの!?」
「何も知らないんだ!!」
叫ぶように告げる。
分からないことだらけで頭がどうにかなりそうだった。
少女は答えた。
「カニ魔法はカニ様の加護を受けた人間なら誰しも持ってる力よ。
本当に知らないの?」
「知らない!
君のそのカニ魔法でなんとかならないのか?」
「私の能力は戦闘向きじゃないのよ」
「見つけたぞ!」
後方から追っ手の声。
少女は咄嗟に路地へと飛び込み駆けていく。
取り残されぬようにと必死に後に続く。
「道塞いで」
「わ、分かった!」
少女に言われるがまま、通路脇に積まれていた材木を引き倒して狭い道を塞ぐ。
そのまま追っ手を振り切り、入り組んだ路地を進むが、周囲から聞こえてくる金属音は次第に近くへと寄ってきている。
「カニ魔法、本当に使えないの?」
「そう言われたって」
「分かった。二手に分かれましょう」
「そんな――」
道も分からず、あらがう術も無い。ここで少女と別れたら追っ手に捕まるだけだ。
カニ魔法とか突然言われても、自分にはさっぱり分からない。
魔法なんてものとは無縁の人生を歩んできた。
さらにカニ魔法とか言われても――
カニ。
頭の中に、2つのハサミと8つの足を持つ甲殻類の姿が鮮明に映し出される。
オホーツク海で嫌というほど見たあの生物だ。
そう頻繁にお目にかかれることは無いけれども、正月やおめでたい日には華やかに食卓を飾る、日本人にはおなじみのあいつ。
しかもそのイメージは細部まで鮮明に、爪の先までもありありと描かれている。
「もしかしてカニ魔法――」
路地から飛び出して通りへと出た。
左側は行き止まり。だが右側には1人の男が待ち構えていた。
「我が名はオピリオ・リッター・ツー・ヴァハマン。
逃げ場は無い。観念したまえ」
「クソッ!」
少女は悪態をつき、迷わずに引き返そうとする。
だが不思議と足は少女を追わずに、男の方へと踏み出していた。
オピリオと名乗った、これまでの追っ手とは明らかに違う、威風堂々とした男。
彼はマントを翻して、手にした大きなメイスを構えてみせる。
抵抗するなら戦闘も辞さないという意思表示だろう。
カニ、カニ、カニ。
頭の中で復唱する。
イメージが形になり、身体の奥から力が湧き出してくる。
カニ魔法が何なのかは分からない。
でも、今まで出来なかった何かが出来ることだけは妙な確信があった。
「うおおおおおおお!!!!」
踏み出した足に力を入れて一気に駆け出す。
身体の奥で爆発した力が、巨大なカニの姿となった。
8本の足に、2本のハサミ、濃緑色の堅牢な甲殻に覆われた身体。
視点は高く、通りの建物すら眼下に見えた。
「完全カニ化能力者だと!?」
オピリオが目を見開き、持っていたメイスを捨てて魔力を行使する。
動き出した身体は止まらなかった。
今、身体は全高6メートルにもなるカニになっていた。
カニの身体を制御する方法は分からない。それでも、振り上げたハサミを振り下ろすことは出来た。
オピリオの魔力が溢れ、彼もまたカニの姿へと変化していく。
だがもう遅かった。
『いっけええええええ!!!!』
振り下ろしたハサミは、オピリオの暗赤色をしたカニ殻を砕き、その右腕を叩き潰したのだ。
ダメージを受けて後退するオピリオ。
傷が深く、カニ化が解除されて彼は人の姿となりその場に倒れた。
「真っ直ぐ走って!」
足に飛びついてきた少女が叫ぶ。
『了解! つかまってて!』
カニの口では上手く発音できなかったが、少女に意思は伝わったようだ。
少女はしっかりと足にしがみついた。
8本の足をもつれさせながらも、オピリオの上を飛び越えて進む。
真っ直ぐに。ただ真っ直ぐに。建物もよじ登り真っ直ぐに進む。
「こいつ、利用価値があるわ」
走る途中で何事か少女が呟いたが、カニの耳では上手く聞き取れなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます