第80話 メシア

「えーっと……君、名前は?」


「ヘレン」


 俺が膝を曲げて視線を合わせて聞くと、少女は無機質な声でそう答えた。

 身長からして十歳にはなっていないくらいだろう。単純な背丈で言えば、低身長でガタイの良いドワーフよりも少し小さいくらいだ。


「そうか……俺はゲイルだ。それにしても災難だったな。つい先ほどから、俺は君の所有者になったわけだが、自由に動けるくらいの気概があるのなら、今すぐにでも好きに行動して構わない。どうする?」


 どう生きようが当人の自由だ。俺に強制する権利はない。

 もっとも、ヘレンが俺についてくることを望むのなら、俺はその望みに精一杯答えるつもりだ。


「ついていく」


 ヘレンは俺の目をジッと下から見つめた。


「わかった。早速だが俺の背中に乗ってくれ。こんなところに君のことを一人で置いてはいけないからね」


 そこそこ戦闘能力があり成人している奴隷なら間違いなく生きていけるだろうが、ヘレンと名乗ったこの少女は別だ。

 心身ともに明らかに疲弊しているし、何より常人が持つ感情がほとんど見当たらない。


「……」


 ヘレンは小さく首を縦に振ると、俺の背中に乗っかってから俺の首に両腕を回した。

 俺はそれを確認してから地面を蹴り、空を駆けた。

 ヘレンは小さな声で驚きの声をあげていたが、怖がってはいないようなので、俺は徐々にスピードを上げることにした。


「どうして商人の荷台にいたんだ?」


 商人の男、ショーンさんがどこかで購入したのだろうか。

 元々誰か主人がいたのか、それとも様々な事情が折り重なった結果、奴隷になってしまったのか、本人ですらわからないことがあまりにも多すぎる。

 いや、そもそも奴隷なのかも怪しい。首輪はつけていないし、もしかするとただの”商品”なのかもしれない。


「売られた」


 ヘレンは至極簡潔に答えた。

 寂しさや虚しさと言った感情は全く感じさせない淡々とした口ぶりだ。


「わかった。もう少しで到着するから、しっかり捕まってろ。スピードを上げるからな!」


「……!」


 これ以上の追求と質問はやめて、俺はグンッと移動するスピードを上げた。

 目に見えない空中を踏みしめるようにして膝を曲げてから、後は感覚で空中を蹴りつける。

 どうしてこれで空を駆けることができるのかについての説明はできないが、俺と同等の脚力とスピード、感覚を即座に身につけることが可能な体があれば、空を駆けることもできるのだろう。


「後少しだ」


 無言で空を駆けること一時間。

 名も無き領地が近づくにつれて、頂点が深い霧包まれるほどの巨大な塔もその大きさを露わにしていく。


「というか……ここは本当に俺の知ってる名も無き領地なのか……?」


 残り数百メートルというところで俺は地面に降りて、眼前に広がる光景に対して自身の目を疑った。

 名も無き領地があった場所は、五十メートルはあろう高い石の壁でグルリと囲われており、その中心部に巨大な塔がどっしりと佇んでいたのだ。

 明らかに異常だ。俺がいない数日間で、一体何が起きたというのだろう。

 石の壁の中からは確かな人の気配を数百ほど感じるが、今はそんなことはどうでも良かった。


「いかないの?」


「あ、ああ……すまない。少しぼーっとしてた。すぐに向かおう」


 目の前の光景に意識を奪われていた俺は、弱々しいヘレンの声でハッと我に返った。

 これまでに訪れたどんな国よりも大きな石の壁を眺めながら、ゆっくりと歩を進めていく。


「あれが正門か?」


 数分間歩いたところで俺は立ち止まった。

 目の前には縦長の長方形の木の門があった。武器で破壊するのなら別だが、とても人力を用いた正攻法で開けられそうにはない。

 高さはおよそ十五メートル、横幅はおよそ十メートル、こんな短期間でこの規模の建築をするなんて、名も無き領地に一体何が起きたのだろうか。


「すまない。俺はこの領地を所有しているゲイルという者だが、ここは名も無き領地で合っているか?」


 そんなことを立ち止まって考えていても仕方がないので、俺は正門のすぐそばに設けられた木の小屋の中にいた男に声をかけた。

 男は身長が低く、髪の毛や髭がじょりじょりと生えそろっており、まるで文献で見たドワーフのように……っ!?


「って、あんたドワーフか!?」


 俺は背負ったヘレンのことを落としてしまいそうほどの勢いで、目の前の男にグッと近寄った。

 体毛が濃く、背丈が低い、そして建築が得意。この全ての特徴を満たす種族といえばドワーフしかいない。

 だが、俺が以前勧誘したドワーフは全身がツルツルとしていて、弱々しい雰囲気が漂っていたはずだ。

 目の前の男はそれとは真逆のパワフルな雰囲気を感じる。


「左様! 貴方は我々のメシアではありませんか! 皆が貴方のお帰りを心待ちにしておりました! 門を開けろォッ! メシアのお帰りだ! ささ、中にいる者へ門を開けるよう願いましたので、少々お待ちください」


「ん? メ、メシアってなんだ……って、なんだこりゃ。門が勝手に開いていくぞ」


 ドワーフの男は俺のことを見てから右の拳を心臓に当ててピンッと背筋を伸ばすと、門の奥にいるであろう別の人間に向かって声を荒げた。そのポーズと態度からは俺に対するあまりにも尊大な敬意を感じた。

 それにしてもメシアってなんだよ……?

 

「どうぞ、メシア。開門が完了したので、中へお入りください! 生憎突然の帰還とあってこれといった準備はできておりませんが、近いうちに我々ドワーフ族の催しを開かせていただきます!」


「何がどうなっているんだ……」


 敵意は一切感じなかったので、俺はドワーフの男に促されるがままに門を潜ることにした。

 

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