第77話 青髭のオッサンの言葉
翌日の朝。得体の知れない自分への不快感を胸に感じることで目が覚めてしまった俺は、人がいないことを確認した上で、王宮内のだだっ広い風呂に浸かっていた。
一日の始まりを告げる大きな鐘の音が鳴るまでは、後三十分ほどあるので、それまではゆっくりと過ごすことができる。
「むぅ? 先客か?」
「あ……すみません。すぐに出ます」
気配を探ることも忘れ、ただひたすらにぼーっと無心でいると、ガラガラと勢いよく扉が開かれて、そこから一人の男性が入ってきた。
湯煙の向こうから疑問の声をあげていたため、俺はすぐに浴槽から立ち上がった。
俯瞰的に見たら俺は部外者という立場なので、ここは譲るべきだろう。
「構いません。貴方とはワタシもちょうど話をしたいと思っていましたから」
「あなたは……」
その場に立ち尽くしていた俺の肩にゴツゴツとした手を置いたのは、疲れ切った様子の青髭のオッサンだった。
「昨日ぶりですね。ゲイル殿。ワタシはグズリフ。数十年前から女王様のお付きの秘書を担当しています。昨晩の騒ぎの処理に追われていて、心身ともに相当に疲労していますので、自己紹介はこの辺りにさせてもらいます」
グズリフと名乗る青髭のオッサンは、言葉を言い終えると同時に、目を閉じて湯船に浸かった。
表情や声色から察するに、本当に疲れているようだ。
別に俺に会いに来たというわけではなく、ここにきたのは偶然だったのだろう。
「……ゲイルだ。よろしくな。何か聞きたいことでもあるのだろう?」
俺は敬語を使うべきか迷ったが、彼は一度砕けた口調で話をした相手なので問題ないと判断し、敬語は使わないことにした。
「ええ。よろしくお願いします。数時間前の騒動真っ只中のワタシであれば、貴方に聞きたいことなど山ほどあったのでしょうが、今は特にありません。無事に女王様とその護衛の三人の安否を確認することができましたからね」
「そうか……。なら、俺が話をしてもいいか? 話というよりも相談になってしまうんだが……」
俺は寝ても覚めても頭の中によぎってしまう悩みを、誰でもいいから聞いてほしくなっていた。
「ええ。どうぞ」
「俺は俺の目的がわからないんだ。一つのことを成し遂げようと死に物狂いで行動していたはずなのに、気がついたら別のことに着手している。やることが定まらないというよりは、何かを忘れてしまっているような気がしてならないんだ。俺は……間違っているのか?」
俺は並々まで湯の張られた浴槽の中で胡座をかきながら、溢れ出てくる言葉をゆっくりと消化して、グスタフさんに伝えた。
誰かに言わないとモヤモヤが晴れる気がしなかったのだ。
マクロスへの復讐を誓い、修行に励み、帰還後はゼロから冒険者になり、俺なりに人を救い、ユルメルを始めとした仲間もできた。アノールドから追い出されてしまったが、自分の領地を持つこともできたし、その下にダンジョンも発見した。
これだけ聞けばいいことずくめで、全てが上手くいっていると言っていいだろう。
だが、俺はこんなことをやりたかったのではなかったはずだ。時間が経つにつれ、人との出会いを重ねるにつれ、幾多の試練を乗り越えるにつれ、徐々に己の信念を失ってしまう気がしてならないのだ。
「中々難しい話ですが、ワタシなりにお答えしましょう。まず、貴方の言い分が間違っているかはさて置き、目的がわからなくなるのはよくあることです。別に悩むことはありませんよ」
「でも、やることが明確に決まっていないと己を見失う気がするんだ。グスタフさんはそういう時はどうしているんだ?」
何かを成し遂げるという目標や目的があるからこそ、人間は努力を続けられると俺は思っている。しかし、今の俺にはそれらが定まっていないため、次に何をすればいいかわからなくなっているのだ。
現実から逃避しようと無心になっても、解決を急いで必死に頭の中で考えても、その答えは見つからないままだった。
「自分語りになってしまいますが、ワタシの小さい頃の夢はどこかの国の王様になることでした。しかし、田舎から出てきて様々な人と接し、学び、経験することで、徐々に考えが変わっていきました。人の上に立つことよりも、その器のある人を陰ながらサポートできるような存在に憧れていったのです。その途中で、冒険者や商人など、色々な職業に目移りをし、やりたいように生きてきましたが、それが悪いことだったとワタシは思いません。夢や希望、目標や目的は多くあるに越したことはありませんから。貴方のように要領の良い方であれば、その全てを叶えることが可能でしょう。まあ、ワタシのような不器用な人間なら別ですがね」
グスタフさんは言葉の節々で嘆息しながらも、ゆったりとした口ぶりで、まるで詩を語るようにして静かに言葉を紡いでいった。最後には自虐混じりの言葉とともに小さな笑みを浮かべていた。
確かな余裕を感じさせるその態度と言動は、今の俺が持っていないものだった。
「……」
「つまり何が言いたいかというと、あまり気負いすぎない方が得をするってことです。人間の人生は八十年。エルフの人生は二百年。まだまだ先は長いです。無鉄砲に生きろとは言いませんが、息抜きをしながら生きてもバチは当たりません。ワタシがそうでしたから。では、失礼します」
無言で首を垂らした俺を置いて、グスタフさんは風呂を後にした。
これで再び俺はこの空間に一人きりだ。
水面に写る自分の顔は、十数分前よりもどこかすっきりとしていた。
常に何かをしなければならないという衝動に駆られていた俺の心は、今の話を聞いたことによって、少しばかり軽くなった気がした。
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