第19話 姉としての責務
妹が学園生を引き連れての講習会は実に7回位上も続き、幾度かのメンバー変更もあるが大好評のうちに幕を閉じる。
一学年の授業もそろそろ終わり、貴族達は家に帰って来ていた。
そして母もつわりが始まっており、僕はつきっきりで面倒を見ていた。
おぎゃぁと生まれた赤ん坊には、僕が20年前に失ったものがしっかりついていた。
「お母様、男の子ですわ」
「わたくしに抱かせて頂ける?」
「もちろんです」
生まれたての赤ちゃんを湯で洗い、上半身だけ起き上がったお母様に渡す。
「精悍な顔つき。きっと旦那様に似たのね。それに……」
手の甲にはマジックキャスターを示す刻印が3つ入っていた。
レオンハート家は炎属性の家系。
父さんの刻印は二つで中位魔術。ならば三つなら?
上位魔術で間違いない。
「マジックキャスターの素質ですわね。すっかり錬金術師の家系で世に知らしめてしまったけど……」
「この子が魔法も極めてくれれば母さん、それだけで嬉しいわ」
「わたくしがこの子を護りますわ」
「トールちゃん、ありがとう。少し疲れたわ。先に休むわね」
「はい、ゆっくりお休みください。弟はわたくしがしっかり面倒見ますので」
「まぁ、良いお姉ちゃんを持てて幸せね、アーク」
「アーク、それがこの子の、弟の名ですか」
「ええ、ではお願いね」
柔らかな衣に包まれて、生まれたばかりの弟が表情を転がしていく。
「かわいい……」
自然と言葉が溢れる。
貧乏な時、家族が増えるのは自分が我慢することが増える事だと幼心に思っていた。
お姉ちゃんなんだから我慢しなさいが当たり前で、妹は親の愛情を独り占めしていた。
それまでは僕が男っぽいのもあって、女の子と認識されてないのもあったけど、生まれながらにして女の武器を使いまくってた妹はわがままの限りを尽くした。
でも、この玉のようにかわいい赤ちゃんは守ってあげたいと思った。
僕にも母性が芽生えて来たのだろうか?
遅過ぎない?
この世界で二十歳とか行き遅れもいいところだよ。
ほっぺをツンツン突くと、嫌そうに手を振るわせた。
ほらほらー僕が君のお姉ちゃんだぞー?
そんな風に呼びつけながら、僕は弟の反応を楽しんでいた。
◇
僕の一日の日課のほとんどは弟の世話に注ぎ込まれた。
妹が少し不満げに頬を膨らませている。
弟にお姉ちゃんを取られた形だ。
過去の僕と同じで寂しい思いをしてるのかもしれない。
いつも僕にべったりだったものなぁ。
「お姉様、アークだけじゃなくわたくしも構ってくださいまし」
「アリシアは僕の世話が無くても立って歩けるでしょう?」
「ううぅ、お姉様エネルギーが不足してるのですわ! アークばかりお姉様を独占してずるいです!」
「ちょっと、まだ赤ちゃんだよ? 僕たちの弟だよ?」
「わたくしにとってはライバルですわ!」
妹は取り付く島もない。
13歳も下の弟に嫉妬心剥き出しである。
「あぶー、あーだ!」
「はーいよちよち、オムツでちゅか? ミルクでちゅか?」
「あーい!」
あ、この感触は……
抱っこしてる腕に柔らかいものが押し付けられていく感覚がある。間違いなく大きい方だ。
「アリシア、消臭の結界張って。僕はオムツ取り替えちゃうから」
「はい、替えのオムツはどうされますか?」
「お願い!」
「畏まりました」
妹は普段弟憎しで恨み節ばかりだが、本当に困っている時はちゃんと手伝ってくれる。
僕が弟につきっきりだから寂しいのだろう、一日だけ妹を構う日を設けた方がいいかもしれない。
今は母さんも本調子じゃないし、メイドさん達も休息日で休みを出していた。
しかしそれが過ぎ去れば妹に構える日も多く取れるはずだ。
「ごめん、アリシア。寂しい思いをさせてるのは理解してる。でもこの子は放っておくと死んじゃうんだ。お姉ちゃんが構ってあげないとさ。母様が本調子になるまでは我慢してもらっていいかな?」
「仕方ありませんね。お母様の復帰を一日も早く祈るばかりですわ」
「それとアリシアのクマのお人形さ、アークに貸してあげて」
「それは……」
「無理なら僕が作るよ。でも僕が作るとアリシアは嫉妬しちゃうでしょう? 別に奪い取ろうというわけではないんだ。僕の作った人形と交換してくれるかな?」
「お姉様……ごめんなさい。わたくし、自分のことばっかりですね。お姉様のことも、弟のことも全然考えていませんでした」
「いいよ。僕も昔ね、同じこと思ってた。お姉ちゃんなんだから我慢しなさいって、ずっと言われてた。だからずっとは言わないよ。アリシア、弟に誇れる立派なお姉ちゃんになれるように僕に協力してくれる?」
「その返しはずるいですわ。断ればわたくしは血も涙もない女になってしまいます」
「そうじゃないことは僕が保証する。アリシア。僕たちでこの子を間違った貴族にならないように導いてあげよう」
「……はい!」
妹は目尻に雫を溜めていた。
氷解した蟠りが溶け出したのだろう。
貴族の一人娘だった彼女が姉を得て押さえ込んでいた感情を吹き出した。それは鬱屈とした精神だ。
跡取りになるのだから実績を残さなければいけないのに、己の手の甲にはマジックキャスターの印が現れない。
幼心をどれほど締め付けて来たのだろう。
アリシアは十歳にして心を氷つかせていた。
僕との出会いで少しずつ、氷解された心は一度満たされる。
しかし一度堰を切って流れ出た感情はコントロールできない濁流となった。
僕が好きという感情。妹だから独り占めできるという独占欲。
それが今のアリシアを形作っている。
そこに僕との仲を引き裂く存在が現れた。
さぞ憎かろう。僕という個人を執着させ、邪魔に思ったはずだ。
このままでは妹としての立場が危ういと。
だから今まで僕と一定の距離を置いていた妹が毎日突っかかってくるようになった。
寂しいという一言だけでは片付けられない感情を僕は抱きしめることで解きほぐしていく。
「アリシア。もし僕が誰かと婚約することになっても、きっと君は同じ気持ちを抱くだろう」
「お姉様! 相手が決まったのですか?」
「居ない、居ないから落ち着いて!」
妹は鼻息を荒くしながら掴みかからん勢いで身を乗り出して来た。
「もう、驚かせないでくださいまし」
「アリシアは慌てん坊さんだから、僕は今から心配だよ」
「お姉様がびっくりさせるようなこと言うからですわ」
「悪かったよ。でもね、アリシアだって婚約者をあてがわれるようになったよね? アークが生まれて跡を継ぐ権利を失った。アリシアは人気があるからきっと父様が今ごろ厳選し……「やめてくださいまし!」……ごめん」
アリシアは話をバッサリ切り捨てるように言葉のナイフを振り下ろした。
「お姉様はわたくしと離れ離れになる事をお望みですか?」
「望んでないよ。でもね、貴族は家と家のつながりを求める。ずっとそうして生きて来た。そして貴族である限り、僕たちはその定めから逃げられない。僕も、アリシアも。いつか離れ離れになる。遠くない未来にね」
「………ッ!」
「だからね、姉弟愛を育めるのは今しかないよ。それでもアリシアは弟を嫌うかい?」
「………少し時間をください」
「うん、すぐに理解しろとは言わないよ。でも、覚悟だけはしておいて。僕は君の姉になった時、覚悟は済ませてるから」
「はい……」
妹の言葉は僕に届く前に空気に混じって消え去った。
静かで冷ややかな時間が回り始める。
僕は妹の去った扉をいつまでも見つめ続けていた。
傍らでは弟の無邪気な声だけが聞こえていた。
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