童話「鶴太郎」

@SyakujiiOusin

第1話

               童話「鶴太郎」


                                百神井応身


 鶴太郎は優しい子だと言われていましたが、自分では気が弱いだけのことで、さして善人なのだとは思っていませんでした。

 せいぜいが、動物に対し余計な殺生行為は控えることというくらいしか考えていませんでしたが、釣りは別だと勝手に決めていました。

 友達と遊ぶことが苦手なので、今日も釣りに出かけましたが、一日かけても魚は一匹も針に掛かりませんでした。日も傾いてきたのでそろそろ帰ろうかとしていたとき、竿に重みを感じました。喜んで糸を巻き上げてみると、小さな亀が引き寄せられてきました。

 「な~んだ、亀では食べられないや。」と、そのまま海に帰してやりました。

 帰り道で同級生の一団とすれ違ったのですが「な~んだ、また一匹も連れなかったのか。お前はなにをやっても下手だな。鶴という名は釣るにはならないな。海ではなくて山で暮らした方がいいんじゃないのか。」と馬鹿にされました。

 そうなのです。周りから一目置かれるようなことは一つもないまま大人になりました。年頃を迎えた友人たちはそれぞれに美しい彼女と一緒に楽しそうでしたが、太郎には縁のないことでした。

 或る日のこと、一人で海辺を歩いていると、人なぞ居ない筈の浜辺に長い髪を風に吹かせながら一人の女性が佇んでいました。不審に思って近寄ってみると、見たこともないような美人でした。砂地に足をとられて足首を挫いてしまったらしく、一歩も動けないでいたのでした。優しさだけしか取り柄のない鶴太郎は、その女性を病院のあるところまで肩で支えながら連れていきました。女性にこんなに近くで接したことがなかったのですが、とても良い匂いがしていました。

 何日か過ぎた頃、その女性が鶴太郎の家を訪ねてきました。自分の名前も言わなかったし、どこに住んでいるとも教えなかったのにと、不思議でした。

「あの時は助けていただき有難うございました。動けなくて本当に困っていたのです。貴方が通りかからなかったらどうなったことかと、思い出しただけで身震いが出ます。お陰げ様で歩けるようになりましたので、あの時には挨拶もできなかったお詫びも兼ねてお礼に参りました。」

 鶴太郎にこんなに優しい言葉遣いで接してくれる人はいなかったので、それだけで飛び上がって喜んでしまいました。その様子を見た女性は笑顔になって、鶴太郎のことが気に入ってしまったようでした。

 その後その女性は度々鶴太郎のところを訪れるようになりました。途中までは誰かが送ってくるらしいのですが、どこに住んでいるかを打ち明けることはありませんでした。聞いてみたことはありませんでしたが、年頃の男性を信じることができない経験があるようでした。

 女性が訪ねてくるようになると、一緒に外を歩くことが増え、それを見た人たちが何かと噂するようになりました。どう見ても不釣り合いだったのです。

 仲間たちは悔しまぎれに「お前が昔助けてやった亀が人間に化けてやってきたんじゃないのか。」とまで言うありさまでした。

 そんな付き合いが一年ほど続いたある日、女性が鶴太郎に言いました。

「貴方は正直で優しく、私が嫌がるようなことは一つも求めませんでした。貴方が厭でなかったら、私をお嫁さんにして下さい。ただ一つお約束していただきたいことは、私はあなたより先に寝ることは決してしませんが、私の寝姿はどんなことがあっても見ないようにして下さい。」

 鶴太郎に異存はありませんでした。気の弱い鶴太郎から申し出ることができずにいた望みが叶うのです。

 育ちも裕福さも格段の違いがありそうな女性でしたが、貧しい鶴太郎の家で共に暮らすようになりました。

 鶴太郎は懸命に働き、家庭を支える努力を惜しまなくなり、何をやっても上手くいくようになっていきました。

 幸せというのは、求めると際限がなくなります。この幸せはお嫁さんが齎してくれていることは疑う余地がない。

 そうであればなおのこと、お嫁さんのことを知りたくなりました。

 人は誰でも他人には知られたくないことがあります。そういう過去を乗り越えて、新たに再出発しようと考えた人の覚悟というのは、大事にしなければならないのです。それは本人が打ち明けるまでそっとしておかねばならないことなのです。

 これから先の幸せのことが大事なのであって、過去のことを知ることが必要ではないのに、鶴太郎は掘り返そうとしてしまったのです。

 鶴太郎は在る夜、その誘惑に勝てなくなってしまい、先に寝てしまう振りをしました。固い約束をしたのに、お嫁さんの寝姿を見ようとしてしまったのです。秘密の一端がそこにあるのではないかと思ったからです。

 しかしそれは叶いませんでした。お嫁さんがそれに気づいてしまっていたからです。

 お嫁さんは悲しい顔をして「貴方は私との約束を破って、私の寝姿を見ようとしました。こうなってしまった以上、この先を一緒に暮らすわけにはいきません。」そう言い残すと、一人で真っ暗な外に出て、どこへともなく姿を消してしまいました。

 それからの鶴太郎は、なにをやっても上手くいかなくなり、以前のように誰からも相手にされなくなってしまいました。

 約束を守らなければならないということは、人であれば大事なことなのです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

童話「鶴太郎」 @SyakujiiOusin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る