エピソード:サイカイ 2
「……ッ!」
突然、耳鳴りのような違和感。
この感覚は……覚えがある。
「くっそ、マジで……闇のエーテル!」
触れるだけでわかる違和感。
排除しなければならないという、焦燥感。
「ヒトミぃ~……近くにいるッポ」
外。それも近い。
これが人に取り憑いてるって?
ナイフ持った通り魔がいるようなものだ、と感覚で理解する。
「……止めなきゃ」
「い、いけるッポ?」
「この姿を見られたら死ぬよ。けど、放っておけるわけないじゃない!」
そうだ。思い出した。
確かにここ数年は腐っていたが、あの頃は確かに。
見返りなんか求めず、ただ人を助けたいと思って。
「ヒトミ……ありがとうッポ!」
「~~! うるさい!」
ドアから出ていくと近所の人に見つかる可能性があったので、窓から出ていくことにした。
そう、この姿の時は、アースステッキの力で空を飛ぶことも可能なのだ。
なのだった、のだが。
べちーん、という感じの音を出して、朝倉仁美は二階のベランダから顔から落ちていた。
「……おいコラ」
「ヒトミ、飛べなくなってるッポ……? アースステッキの魔力が足りてないッポ。
あ、でもエーテルバリアは大丈夫ッポ。顔から落ちてもあんまりダメージが」
「ふざけんなこの畜生がぁっ!」
仁美は起き上がり、やり場のない怒りを敵にぶつけよう、と一方的に誓うのだった。
もう、人生に疲れていた。
就職して2年目。田舎から出てきたけど、自分の無能さや根気のなさ、それらを思い知らされる日々だった。
やっと見つけた仕事でも、ミスを重ねて残業続き。
今日も終電にすら乗れず、タクシーを呼ぶ金もなく、
ネカフェで眠る予定になりそうだ。
外をふらふらと歩き、自販機で缶コーヒーを買う。
会社のすぐ外にある、定番の自販機。
これからまた、会社に戻らなければ。
戻って、しごとして、あしたのじゅんびして。
なんのためにうまれたの。
なにがぼくのしあわせなの。
わからないまま、おわ
……
「あ、れ?」
目の前には、破壊された自販機。
破壊された、会社の出入口。
怯えた先輩が、目の前にいた。
「……センパイ?」
「ひっ、や、やめてくれ! ころ、ころさないで!」
先輩が何を言っているのかわからないが、自分に怯えているようだった。
手を見る。
なんだか黒く、もやがかっていて、強そうな爪が何本も伸びていた。
なんだっけ。
そうだ。確か自販機壊して、ついでに会社も壊そうとしてたら、先輩が怒鳴ってきて……
そうだったそうだった。
うん、壊そう。
爪を振りかぶり、先輩に振り下ろす。
当たらなかった。
「ぐっ……!」
なんかよくわからない、コスプレしたおばさんに止められたからだ。
おばさんはこちらの爪を、右腕でガッチリとガードしていた。
「いっ……たぁっ!
ちょ、カポ! いってぇんだけどこれ!?」
「エーテルバリアはヒトミの魔力で強さが変わるッポ!
昔とは違って、今のヒトミはそんなに強くないッポ!」
「ほぼ生身じゃん!? こんなんで戦えっての!?」
うるさいので、おばさんをもう一本の手でなぎ払う。
ぶぉん、と良い音を出した。
よく見ると、左手が爪、右手の甲が刀のようになっていた。どうやら出し入れも自由らしい。
こりゃいいや。壊しやすそうな手になった。
おばさんは、刀を避けていたようだ。
こちらから少し離れた位置で、変な生き物と喋っている。
おばさんは、涙目で変な生き物の首を絞めていた。
「いやいや死ぬ! 今の当たってたら死んでた!」
「そ、そんなこと言われても……ッポ」
「だいたい、ちょっと打たれ強くなっただけでどうしろっての!? 昔なら何かバーッとビームみたいなの出せたじゃん! 拳だけでアレを倒せっての!?」
「あ、アレじゃなくて【ディスライト】ッポ……!
人間に取りつく、闇のエーテル……ッポ」
「名前なんぞどうでもいい!」
ふざけんなこの畜生ども。
魔法少女だっていうなら、なんか必殺技とか用意してこいや。ステゴロで殴り合う魔法少女がいるか!
と、怒鳴り付けたかったのだ。
しかしその前に、仁美の身体は吹き飛ばされていた。
ドォン!
オフィスビルに叩きつけられる。
「ぐぇっ」
仁美は短く叫んだ。
エーテルバリアとやらがなかったら、おそらく即死だ。
それほどの衝撃だった。
いかん、これはマジで死ぬ。
もう畜生どもに怒りを向ける余裕さえもない。
このディスライトとかいう奴を倒さなければ、こちらの身が持たない。
殴り合いは昔に経験済みだ。
あのときの魔王たちは、こいつよりも遥かに強かった。
だが、それ以上に、自分が弱くなっている。
少女じゃないのが悪かったのか?
あー、そーでしょうよ。
でもこっちだって好きでこんなことやってるわけじゃないんだ。こんな恥そのものの格好で、頼れるものが己の拳だけ。こんな可哀想な人間、なかなかいないはずだ。
「カポ、私が全力で『あの人』を殴ったらどうなる?」
「魔力がダメージになるのは、ディスライト相手だけッポ! 中の人には、ヒトミのパンチだけが伝わるッポ!」
つまり、自分のパンチだけが本人に伝わるのか。
それ、割と痛いんじゃないか?
でもそんな心配してる場合じゃない。
それくらいの威力なら、大怪我させることはないだろう。
構えて、一歩踏み込む。
アースステッキで強化されているおかげで、身体能力は全体的に向上している。
目にも止まらぬスピードで、ディスライトの足元まで入り込む。
そのまま脇をしめて、下から突き上げるようにボディブロー。
ドゥン!
手応えはあった。
魔力のうねりがディスライトを貫く。
一瞬だけ、ディスライトの闇が晴れた。
中身は普通の青年だった。
「あなたは……」
仁美が語りかけようとするが、青年はすぐに闇を纏った。
あまり効いていかなったのか?
ディスライトが再び、爪と刀を振り上げる。
「くっ」
当たると死ぬ、と感じた。
すぐに距離を取る。
「カポ! どうすれば倒せる!? 中身は怪我させない方法で!」
「……闇のエーテルは、本人が望んでいるから取り憑いてるんだッポ。殴っても駄目なら、説得するしか……」
「……は? 説得て、どうやって?」
「さぁ……ッポ」
こいつ後で殺そう。マジで。
『うああああ!!』
ディスライトが叫びながら突進してきた。
ボディブローは効果があったらしいが、怒らせてしまったらしい。
落ち着け落ち着け。
昔の私ならどうしてた?
十分に引き付けて……
『ああああああ!!』
ディスライトが大振りに刀を振るう。
仁美はギリギリでそれを避けて、身体をひねりながら顔面に右の拳を叩き込んだ。
ガンッ!
よろめくディスライト。
仁美は流れるような動作で、胴体に回し蹴りを放つ。
ドスン!
今度も直撃させられた。
だが、浅い。
足を掴まれていた。
「げっ……!」
『ああああああ!!』
そのまま足を持ち上げられ、地面に叩きつけられる。
バァン!
「ぐえっ!」
破壊されるアスファルト。
それでもバリアは優秀だ。
仁美はかすり傷で済んでいた。
だが、まだ足は掴まれたまま。
「くそ、この、離せッ!」
足を掴んでいるディスライトの手を、振りほどくために掴む。
そのとき、頭に直接何かが流れ込んできた。
『仕事、しなきゃ……』
「はっ!? 何!?」
『奨学金だって、返さなきゃ……』
「だ、駄目ッポ! ヒトミぃ! 精神汚染ッポ!」
「汚染? え?」
闇のエーテル。
それは人の心に存在する要素の一つでしかない。
エーテルには属性があり、おおむね、その性格にはエーテルの性質が大きく左右される。
光のエーテル。
未来、夢、希望を司る欲望のエーテル。
闇のエーテル。
疑念、後悔、憎悪を司る破壊のエーテル。
それは誰にでもあるものだった。
当然、仁美にもあった。
光のエーテルを常人以上に持ち合わせていたがゆえの、アースステッキ適応者だ。
しかし今は?
自分の不遇を嘆き、他人に嫉妬し、かつての自分を悔やんでいた。
それをディスライトは好む。
脳を侵食し、破壊衝動を増幅させ、それを実現する力を与える。
「ヤバ……!」
次のターゲットは、仁美だった。
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