夢現、午前四時の風 (連結版)

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 夢の中。


 そう。


 ここは夢の中。


 明らかに自分の背が違うし、見える景色も違う。なんというか、かなり高身長に設定されている。


 いつか、これぐらいの大きさになりたいな。


 ここは。


 宇宙のど真ん中。


 下にも上にも。


 夜の闇。


「違うな」


 違う。暗くて見えないだけ。草を踏む感触がある。地上がある夢。となると、ここは明かりのない、夜の草原かな。


 風は吹いていない。


 夜空。


 曇っていないようで、空には星の明かりが見える。


 ゆっくりと目が慣れていく。


「夢なのに目が慣れるってのも」


 変な話かもしれない。目はつぶっているだろうに。


 風。


「うわあ。すごいすごいすごいっ」


「えっ」


 誰か。走ってこちらに向かってくる。ようやく星の明かりに慣れはじめた目の端に。走る姿。


「うわっ」


「おっと」


 ぶつかって、抱き留める。


 ずいぶんと小さい。


「あ、ありがとうございます」


「いえ」


 急に縮こまった。


「ごめんなさい。その。人がいるって、わからなくて」


「私もです」


 小さな子供、だろうか。


 目が慣れた。姿。やはり子供。


 座り込んで、星を眺めている。


「きれい」


「綺麗ですね」


 私も、隣に座って星を眺めた。


 都市に住んでいるから、こういう、空一面にいっぱいの星空は、見たことがない。


流れ星。流れる。


「えいっ」


 隣の子供。


 体重をこちらに預けてくる。


「大きくて安心しますね」


「そうですか。まあ、夢の中ですから。何でもありなのかも」


「夢?」


「いえ。こちらの話です」


「そっか。これ。夢か」


 子供。急に、トーンダウンする。


「夢でも、まあ、いいか」


「何か、あったんですか?」


 星を眺める小さな目。暗がりのなかで、ほんのすこしだけ、輝いている。


「いや、ええと。わたし、しぬかもしれないので」


「しぬ?」


「たぶんいま、手術中なんです。わたし」


「手術中」


「なんか、わたしもよく分かんないんですけど、気付いたらここにいて。すごく楽しくて。まるでこどもみたい」


「子供じゃないですか」


「こどもじゃないですう」


この反応のしかた。たぶん、本当にこどもなのだろう。


「まあ、いいか。私も背が高くなってるし、そういうことにしておきます」


「あなたは、大人じゃないんですか?」


「現役ばりばりの子供ですよ、私」


「うそつけえ」


 彼女の身体。さらにくっついてくる。すこし、震えている。


「起きたくないなあ」


「なぜ?」


「しんどいから」


「起きたら手術が終わってますよ。きっと、目が覚めたら病気は治ってますって」


「病気じゃないもの」


「病気じゃないのに、なぜ手術を?」


「いや、ええと、そこはまあ、いいんですよ」


「そうですか」


「起きたくない。このまま、しんでしまいたい。この夜空と、草原のなかで」


「え、いやです」


「なんでよ」


「私を道連れにするつもりでしょ」


「あ、あははは。ばかみたい。なんで相討ちにする意味があるんですか」


 私の胸のなかで。めちゃくちゃにわらっている。


「あはは。たのしい」


 ひとしきり笑って。


「ありがとうございます。一緒にいてくれて。そろそろ、あなたは起きて」


 彼女。さびしそうな顔。


 こちらの胸から飛び出して。


「逢えてよかった。ありがとう。さよならっ」


 走り去る。風だけを残して。




***


 子供の頃の記憶は、ほとんど残っていない。というか、存在していない。不思議なほど、空白。


 そして、あるのは、夢の記憶だけ。


 暗闇の草原。空いっぱいの、星空。夢現ゆめうつつの、不思議な出会い。


 いつしか、探すようになっていた。学校の合間。受験の合間。そして、仕事の合間。


 あの頃と同じ身長になった。


 大人に。


 夢の時と同じ姿になった。本当に、高身長になっている。


 子供でも夜に入れる、暗闇の草原。この国に、そんな草原はあまり多くはなかった。


 そしていま、ここが、その条件に合致する最後の草原。数時間かけて、住んでいる都市からここへ来た。


 草の感じ。空の感じ。


「ちがうな」


 ここも、違った。


 これで、すべて。回りきった。


 やっぱり、彼女には。逢えなかった。


 やっぱり。あの草原は夢の中で。彼女はもう、この世にいないのだろうか。


 せめて、星を眺めてから。


 帰ろう。


 流れ星が走っている。


 綺麗だけど、ちがう。


 あの日見た星空ではない。


***


 生きる気力を、失ってしまったかもしれない。


 最後の草原からの、帰りの電車。行くのに数時間もかけて、そして何も得られず、数時間かけて帰る。


 外の景色。


 家の近く。そこそこの都市だから、街の灯りがある。星は見えない。


 いつもの街の景色。自分の部屋があるタワーマンション。街のネオンの光で、空は星ひとつ見えない。


 明るい車内。


「はあ」


 これから、自分は。


 何を生きがいにして。


 生きていけばいいのだろうか。


 上を向く。電車の天井と吊り革。明るい、ライト。


「すいません。となり、失礼します」


「あ、ああ。どうぞ」


 綺麗な女性。長い髪。異性なら誰でも振り返りそうな雰囲気をしている。


 どうでもいい。


 あの夢がなくなってしまった。


 現実から、消えてしまった。


 それだけが、心に、重く、のしかかって。消えなかった。


***


 重い。


「ん?」


 重たい。気分もだけど、物理的に。


 なにかおかしい。


 隣。


 めちゃくちゃこちらに寄りかかってきている。


「あの」


 ひたすらに体重が。押し込まれる。


「すいません。あの」


 なんだこの人は。


「ちょっと。すいません」


 引き剥がそうとして。腕に絡みつかれる。なんだ。なんなんだ。


「ねえ。なんで?」


「何がですか。うわっ」


 胸に。


 飛び込んでくる。


 しがみついてくる。


 あのときと、同じ。


 体重をかけて。


「え。うそだ」


「なにが?」


「そんなはずはない。めちゃくちゃ小さくて。駆け回ってて。そんな。こんな綺麗な女性なはずがない。何かの間違いだ」


「え、いま綺麗な女性って言った?」


「う」


「やったっ。わたし綺麗?」


 口調。声。


 なぜ。


「うそだろ」


「あなたに釣り合う女性になろうと思って。がんばったの。みてみて。綺麗でしょ?」


「いや。あの。なんで。どうして」


「なんで、って。探したのよ。けっこう時間かかったけど」


「探した。私を?」


「うん。聴いて聴いて」


「その前に離れてください」


「い、や、だ。ずっとくっついているの。離れません」


 参ったな。


「わたしね。わたしね。スパイになったの」


「スパイ?」


「内閣情報担当室付秘書官。在宅ワークなんだけど」


「在宅でスパイ?」


「うん。おうちで動画配信サイトで星空の動画を見ながら、片っ端から企業のサーバ攻撃して情報抜き出すの。ライセンス持ちで」


「はあ」


 現実味がない。


「でね。でね。ようやくたどりついたの。全国津々浦々の病院データを攻撃したんだから」


「迷惑ですね?」


「迷惑じゃないよ。カルテ電子化したり投薬情況をリアルタイムオンライン化したり。って、言っても分からないか。とにかく。がんばったの」


「はい」


「で、見つけたの。わたしの手術相手。脳細胞萎縮とニューロン異常に対する脳胚移植手術」


 手術。


「ずっと眠っていたわたしを目覚めさせてくれたのは、あなた。あなたがわたしを起こしてくれたの。覚えてる?」


「いえ。ぜんぜん。何も」


「だよね。ごめんなさい。手術の影響で、あなたはこどもの頃の記憶が、ないって、カルテにあったから。ごめんなさい」


 彼女。


 大人の軟らかい身体が、縮こまる。


「まあ、なんであれ、元気だったら、よかったですよ。私は、ほら。記憶がないから。大丈夫です」


「そう?」


「ええ。綺麗になって。よかったですね」


「うん。よかった。よい、しょっ、と」


 彼女。体勢を入れ換えてくる。


「あの」


 私が胸に抱かれる形になった。


「あの日の草原を探し回って、おつかれでしょう。どうぞおやすみ」


 彼女の胸。やさしくて。あたたかい。心臓の音が聞こえる。


「いきてる」


「うん。あなたのおかげよ。だからいまはおやすみ」


 応答しようとしたけど。


 眠くなってしまった。


***


 身体の前の部分に、暖かい感触。


 小刻みの揺れ。


「あ、起きたかな。おはよう?」


「おはようございます」


 彼女に、おんぶされている。


「なんか、はずかしいな」


「そう?」


 背負われてしまっている。


「あったかいよ。背中の、下のほうまで」


「うわちょっ。わっ。離れますっ」


「だめです。離しません」


 背中に回った手が、しっかりと私の身体をホールドしている。離れられない。


「あとちょっとだから。もうすこし寝る?」


 寝ようがない。彼女の暖かさが、背中を通して。伝わってくる。


「はい。着きましたっ」


「ここは」


 自分の住んでる、タワーマンションの屋上。


 あの夢の草原とは、似ても似つかない。


「ここはむかし、草原でした。それが再開発されて、小さめの都市になってます」


「私の住んでる、街が?」


「身体の記憶というのは、無意識の領域と繋がってるの。あなたは、無意識に、この場所を選んだ。わたしといた、あの夢と同じ場所を。わたしも同じ」


「星は、見えないですね」


 街の灯り。夜の空にきらめいている。


「はい。だから、今から灯りを消します」


「え」


「内閣情報担当室付秘書官の権限です。だあれも逆らえません。はいスイッチオフ」


 街の灯り。


 一斉に。


 消える。


 少しして。


 星空。


 浮かび上がる。


 空一面に。


 あの日の。


 星空。


 流れ星。


「あの日と、同じ」


 風。


 身体。


 優しく。


 ぶつかってくる。


「逢いたかった。あなたに。もういちど。大好き」


「私も、逢いたかったです」


「大好き?」


「ちょっと、現実が飲み込めてないです。夢だったらどうしよう」


「夢でもいいの。あなたの気持ちを、聞かせて?」


「好きです。大好きです。しかも、こんなに綺麗になって。なんか、もう、はずかしいな」


「やったっ。わたしも。大好きっ。もう離さないっ」


 彼女のことを抱き留める。


 あの夢のように。


 もういちど。


***


 夢から。


 醒めた。


 自分の部屋。


 ひとり。

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