ハートビート・プレリュード

東美桜

前編 ディストピアと青い鳥

 灰色の国民服姿が列をなす。整然と、粛々と。個性を失ったように薄い色をした影たちは、声を発することなく、ただただそれぞれの目的地へと歩いていく。その様はまるで、電車がレールに沿って走っていくようだ。暗雲の立ち込める空の下、影たちは歩く、ただ歩く。

 個性のない髪型。変化のない表情。特徴のない歩き方。飾り気のない国民服。胸元のバッジがそれぞれの所属を示し、頬に十三桁の国民番号が印字されている以外は、人々に違いはない――いや、むしろ。誰もが同じであるように、すべてが平等であるように。

『本日は西暦20××年10月7日、木曜日です。今日も一日、日本共和党の意思の下、規則と命令に則って、平穏に過ごしましょう』

 電子音が響く。しかし、その音は空気を震わせるそれではない。人間の脳に埋め込まれたチップを通じ、電気信号として直接送り込まれている。人々はそれを認識するけれど、歩みは止めない。いかなる労働も教育も、遅刻を許すことはない。


 死者の行進のような人波を、一羽の鳥が見下ろしている。ふくろうのように知性の宿った瞳のそれは、猛禽のような水色の翼をバサバサとはためかせて飛び立った。空を打つような羽ばたきを一つ、風船が膨らむようにその身体が膨張する。コンドルもかくやの怪鳥と化したそれは、行進する人々の一人に狙いを定め、さながら巨大なカワセミのように人波の中に飛び込む。そして、目標を的確に咥え――天高く舞い上がり、飛び去って行った。

 人波は止まらない。その一人など、最初からいなかったかのように。ピースが一つ欠けたことに気付くことなく、人波は静かに行進を続ける。整然と、粛々と。



 怪鳥はどこかのビルのヘリポートに降り立ち、鮮やかな水色の羽根を畳んだ。咥えていた人間をペッと吐き出し、知性の宿った瞳でそれを眺める。

 それは、中等教育機関に所属する程度の年齢の少年だった。清潔にカットされた黒髪、平均よりやや低い身長、痩せても太ってもいない丁度いい体躯。頬に刻まれた「J-13-05 2120-1052」の識別番号。黒い瞳は焦点が合っていないかのようにぼんやりと、静かに怪鳥を見つめている。

 怪鳥は器用に首を傾げ、徐々にその身体を縮めた。人間と同程度のサイズにまで縮み、徐々にその身体を細く、長く変化させる。それはまるで水色の粘土が、意志を持って伸縮しているかのように。

「……?」

 少年はその様を、どこか幻覚を見ているかのような無表情で眺める。その視線の先で、水色の粘土は人間の形を取った。それは高校生くらいの少年のようで、しかし明らかに人間ではない。屋上の風になびく水色の髪、落雷のような白金の瞳、耳を飾る羽毛、そして巨大な水色の翼と化した腕。鳥人と化したその姿を、少年は興味のない映画でも見るように眺める。やがて、小さな唇をゆっくりと開いた。


「あなたは誰ですか?」

 抑揚のない声は、死者の心電図を思わせる。どこか虚ろな声に、水色の鳥人はバサバサとその翼をはためかせた。人のよさそうな笑顔を浮かべ、少年を見下ろして口を開く。

「オレはにのまえ きさら。〈感情を司る者アフェクトゥス〉日本支部所属、生物たちの感情を守る〈内界戦士団〉のメンバーだ」

「ニノマエ・キサラ……アフェクトゥス……」

 鳥人――キサラの言葉を復唱し、少年は目を閉じる。その瞳の裏に水色の雷が走り、データベースから情報を精査してゆく。数秒後、少年はゆっくりと目を見開いた。未だ焦点の合わない瞳をキサラに向け、口を開く。

「データベースに情報がありません」

「そりゃそうだよ。オレ人間じゃねーもん。見ればわかるっしょ?」

「……?」

 ぼんやりと首を傾げる少年に、キサラはやれやれ、と両の翼を広げた。片翼を粘土のような不定形に変化させ、今度は巨大な百合の花に変化させる。

「これ見てまだ人間だと思うか?」

「ホログラム投影などの技術を応用すれば十分可能かと思われます」

「マジかよ……あのなぁ、これ見て何も思わないわけ? スゲーとか、怖ぇーとか」

「思いません」

 きっぱりと言い切り、少年は淡々と言い放つ。死者の心電図のように無機質な声が、死刑執行のスイッチを押すように響いた。

。そんなものは人間の活動において、邪魔でしかありませんので」


 少年の瞳に光はない。その表情はマネキンのように無機質だ。キサラは片腕を水色の翼に戻すと、器用に腕を組む。これだ。人間ではない彼がわざわざ下界に降りてきた理由。

「……人間に感情失われると、こっちとしては困るんだよ」

「何故ですか?」

「オレたち〈感情を司る者アフェクトゥス〉は世界の守護者にして管理者。世界には生物が生み出す感情のエネルギー……情動ビートが溢れていて、そのエネルギーが循環することで世界は保たれてるんだよ。なのに1億人以上も無感情な存在が生産されたら、世界的には危機なわけ。この穴が世界中に広がる前に、なんとしても日本人に感情を取り戻してほしいんだよ」

「にわかには信じられません」

 その声はまるで殻に閉じこもったカタツムリのようで、キサラは腰に手を当てて盛大に溜め息を吐く。水色の片翼を大きく伸ばし、粘土のように変化させながら、口を開いた。

「まぁ、洗脳された人間に信じろっていう方が無茶か……うーん、どうしよう」

 光のない瞳は鋼鉄製の盾のような色を宿していて、キサラはやれやれ、と粘土状の腕を伸ばす。それは冒涜的な音を立てながら収束し、人肌色をした人間の腕に変化した。彼は何度か手を握り、開き、少年に一歩近づく。何度か反動をつけ――曇天を掻き消さんばかりに、絶叫した。

「歯ァ食いしばれ!!」

 大人しく歯を食いしばる少年に、キサラは派手に片手を振る。その指先に静電気のような光が宿ったのを彼が認識した、刹那――。


 バチコォンッ、と乾いた音が、暗雲を吹き飛ばさんと響き渡った。

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