アイリス〜虹の方角〜

 《1》口は閉じておけ、目は開けておけ


 今朝、この道を今とは逆方向に進んでいた。今は帰り道だけど、今朝は行く道だった。今と同じ様に雨が降っていて、今と同じ様に町が水浸しになっていた。

 見渡す限り僕も含めて周りの人ほとんどが不機嫌で、憂鬱で、イライラしていた。

 朝から雨がザーザー降りで、始まったばかりの今日に時間もさることながら、心にも余裕がないといった感じだった。他人の出勤時間なんて知らないけれど。

 きっとこの人達にとって、できるだけ濡れない様に歩くいつもの道は、いつも以上に歩き難く、視界を狭める傘はまるで目の上の瘤。傘一本じゃどうしたって雨から全身を守りきれないし、水溜まりだって確実に跨いでいるのに、何故か靴の中は濡れてしまう。

 傘一つ分の幅を取って歩く人たちは、それぞれ傘をぶつけ合って、その度に傘が弾いた雨粒でまた濡れる。いつもならすれ違える道幅も傘を差した今日ばかりはぶつかる。

 そんな風にまるで一隻眼でもあるかの様に俯瞰的で、客観視した物言いをしているけれど、僕だって今朝の行く道は自分の事で精一杯だった。道を譲るつもりなんてさらさら無かったし、人にぶつかろう物なら舌打ちもしたかもしれない。周りの人を見て歩いてすらいないくせに、やっと周りの人を見る時は鵜の目鷹の目だった。目くそ鼻くそを笑うといった感じだった。横目を使いながら歩いては、生き馬の目を抜くが如く、抜け目ない足取りで進んだ。



 《2》目の寄る所へは玉も寄る


「人の悩みは尽きない」と言う。「人の欲望は尽きない」と言う。

「案ずるより産むが易し」「やらずに後悔するより、やって後悔する方がいい」こう言う事を言われると何よりも腹が立つ。産んだ先に、やった先に、取り返しのつかない結果になったら、そんな人に向ける次の言葉は用意できているのだろうか。次はどんな言葉で慰めようって言うんだ。

 まさか、人生は何度でもやり直せるなんて思っているんじゃないだろうか。体のどこかにリセットボタンでもあると思っているんじゃないだろうか。そんな助言で背中を押して、その通りに行動した人がそれ以上の深い悩みに陥っても、リセットボタンを押せばいいだけだと思っているんじゃないだろうか。


 僕は人の背中を押すなんて怖くてできない。それこそ、崖から突き落としているのかもしれない、と思ってしまうから。

 「悩みは時間が解決する」なんてよくわからない助言もしない。それはただ単に違う悩みができただけじゃないか。目には目を、歯には歯を、悩みには悩みを。まったくもって目も当てられない。

 

 なんて目に角を立てて、八つ当たりしている自分が何よりも不愉快だ。

 わかっている。何をどうしたって、どこをどう見たって、いくら逆さまにしたって、誰の所為でもない、自分の所為なんて事は。自分の悩みは自分だけの悩み。自分が選んで進んだ道の先で躓いたのは、他の誰でもない自分なんだ。


 こんな時、みんなはどうやって乗り越えているのだろう。否、そもそもみんなは乗り越えているのだろうか。案外本当に時間が解決すると思って、なんとなく考えている程度で、時間が来て解決に至っているのだろうか。雲煙過眼なのだろうか。こんなに悩んでいるのは自分だけなのかもしれない。こんなに大変な思いをしているのは自分だけなのかもしれない。今までの自分は他にどんな事で悩んで、どうやって乗り越えてきたのだろう。そもそも自分は今まで乗り越えて来た悩みなんてあっただろうか。もしかしてこのままずっと悩み続けて、ずっと解決できずに、一人で、独りで歳を取るのかもしれない。このまま何も解決せずに、何もわからないままに、悩み続けて、迷い続けて、迷子のまま、また今日が終わって、明日に繋がるのだろうか。あと何回寝れば、あと何回練れば、迷子で無くなるのだろう。もしかして、気が付かなかっただけで、今までもずっと迷子で、迷子じゃなかった時なんてないのかもしれない。


 ここ数週間はずっと雨が続いていて、憂鬱な心に拍車がかかっていた。別に晴れていたとしても悩みは無くならないし、迷子に変わりはないのだけれど、どうしても次は天気の所為にしてしまう。弱り目に祟り目なんて思ってしまう。

 そのくせ「どうせまた雨だろう」と天気予報をチェックしているわけでもない。明日に期待すらしていない。脇目も振らず、夜の目も寝ずに向き合うこともしていない。


 なんて言うと、本当に全てに悲観した言い方になってしまうけれど、数週間ずっと雨が続いているのも、明日の天気予報をチェックしないのも今が梅雨の時期だからである。どうせ見ても同じ天気の予報をチェックする程マメな人間ではない。

 否、期待したいからチェックしていないという見方もある。聞けば気の毒見れば目の毒。明日になる前から明日に失望したくないのかもしれない。でももしかしたら毎日天気予報をチェックするなんてらしくない事でもしてみたら、解決するヒントを見付けられるかもしれない。そんな事しなくても、明日起きてみたら大した悩みではなくなっているのかもしれない。

 なんて御呪いというか、願掛けじみた事ばかり言っている。堂々巡りだ。目を掩うて雀を捕らうとはこの事。


 迷子、祟り、御呪い、願掛け、か。

 そんなことを言うと、期せずしてあの頃の出来事を思い出してしまう。迷子じゃないなんて確信は、一度躓けば簡単に迷子に変わってしまうこともある。

 そう言えば、あの時も確かこのぐらいの季節だったっけな。


 なんて情緒不安定にセンチメンタルが加わってしまったのは、今朝、この道を行く道として使った時の目的地が実家だったからだろうか。昔、守ることのできなかった約束を持って、明日あの人に会いに行くために、実家に帰ってあの部屋を開けたのだ。久々の帰省に、目渡る鳥に、思い出に浸ってしまった。あの部屋では自分の心が表れたが、この雨で自分の心が洗われることはないみたいだ。

 それでも少し気が紛れたからか、今朝と同じ様に雨が降っていて、逆方向とは言え、今朝と同じ道を歩いている今は、今朝より少し心に余裕があった。傘をさしているからやっぱり道幅に余裕は無いけれど、心にはほんの少し余裕があった。

 

 見渡す限り、今朝見かけなかった人がほとんどだ。この人たちは行きの道なのだろうか、帰りの道なのだろうか。しかし偶然にも今朝見かけた人もチラホラいた。この人の今日はどんな一日だったんだろうか。行きと帰りとで思う事に変化はあったのだろうか。


 そんな風に、今朝に比べて周りを刮目して見ることができた。それでもやっぱり、町は不機嫌で憂鬱でイライラしている様に見えた。人の事は言えないが、まるで自分ばかり大変みたいな顔をしている。否、目をしている。目は口ほどに物を言う。目は人の眼だ。

 ほんの少し、今朝より心に余裕のある自分だから、何か力になれる事があるんじゃ無いかと、余計なお世話な事を思ってしまう。とんだ手の平返しだ。

 少し心に余裕ができたくらいで、そのスペースを「他人に優しくしたい」なんてことに使おうなんて。これが偽善でもなんでも、僕にできる優しさはこれくらいだ。

 そりゃ誰だって優しくできるものなら優しくしたいに決まっている。優しくしたいし、優しくされたいに決まっている。

 でもそんなの、簡単にできる事じゃない。偽善だとしても、簡単にできる事なんかじゃない。自分にそれだけの余裕がなきゃできない。

 その優しさだって、別に相手にとって本当に優しい行動になっているかなんてわからない。

 それでも相手を想いたい。相手を想っているという事で、自分を想いたい。そんなやり方でもなきゃ、自分を想う事は僕には難しいから。自分が自分にする自愛なんて、下手したらただの傲慢と怠慢になるかもしれない。だからそうじゃない確信が欲しい。確かな自愛が欲しい。故に他人を介して、自愛の手応えを得ている。

 結局やっとできた自分の心の余裕だって、他人の為に使った様で、やっぱり自分の為に使っているんだ。偽善なんだ。自分で自分の面目を施す。

 決してそれが悪い事だとは思わない。


「人のふり見て我がふり直せ」この言葉だって、他人を介して自分を戒めている。

 みんな本当の今の自分なんてなるべく見たくないんじゃないだろうか。ここで言う本当の自分とは、内側から自分なりに見ている自分ではなくて、外側から見られている他人目線の自分である。

 今を生きるのがいつだって大変で、迷子にならない様に進む事が大変なんだ。

 そんな中、素直に自分を客観視なんてできて、他人の目線になって自分を見ることなんてできてたまるか。

 そんな事をしていたら、簡単に道を見失う。

 正しさが何かなんてわからないけど、少なくとも今の自分が間違ってない事を信じて進むには、どうしたって今の自分を直視しなんてできない。

 それなら、一方的でも偽善でも、人を介して自分を見る事しかできないだろう。責められる様な事じゃない。

 


 《3》四つの目は二つの目より多く見る


 そんな事を考えながら帰り道を進んでいたら、ある事に気づいてしまった。

 何故いつも以上に町が不機嫌で、憂鬱で、イライラしているのかと言えば、もちろん先述した、雨に濡れるという直接的な影響が理由である事も含まれている。

 けれどそれより何より、もっと大きな影響を与えている、元凶とまで言っていい間接的な理由に、気付いたかもしれない。


 自分を自分の目で見る事ができる方法といえば、鏡だろう。でも鏡の前ではどうしても意識して自分を見てしまう。カッコつけなくても可愛い子ぶらなくてもわざと根暗な表情をしなくても、自分を見ているという自覚がある以上、意識して見てしまう。無意識にも装ってしまう。

 しかし、町を歩いている時、通りかかった建物のガラスの反射で映った自分を不意に見てしまった時、一度目を疑う様に今一度確認する事はないだろうか。その時点ではすでに意識してしまっているので、一度目と同じ様には見れないが「もしかして周りから見るとあんな風に見えているの?」と思う事がある。

 つまり、きっと雨で水浸しになった町は、それと同じ状態なのだ。

 水は反射する。水浸しになった町は、さながら鏡張りの様に四方八方から自分を写して、目を開けている限り自分がいろんな角度で目に入る。もちろん無意識で無自覚で。

 だから今の色んな自分に気付いてしまう。いつも以上に優しくできない自分にも、色んなことを気づかないふりしている自分にも気付いてしまう。

 客観視なんてしていたら、うまく進めないのに、強制的に客観視させられてしまう。

それじゃあ、どうしたって不機嫌になってしまう。どうしようもなく憂鬱になってしまう。どうにもならずイライラしてしまう。どう歩いたって迷子になってしまう。

 目は心の鏡ならぬ、雨は心の鏡。



 《4》餓鬼の目に水見えず


 そんな日々が続いて心身共にフラフラな人を介して自分を見ていたら、一人傘を閉じている人が目に入った。「目病み女に風邪引き男」なんて言葉がある。心身共に参ったのだろうか、もう一層の事濡れてやれ、と思い至っての行動なら目から鱗だ。自分も一層の事それくらいしてしまおうか、と思い切って傘を下ろした。

 しかし、思っていた以上に濡れなかった。むしろほとんど濡れていないと言っていいくらいの雨粒しか落ちてこない。何故だろう、ゆっくり周りを見渡すと、他にも傘をささずに歩いている人が沢山いた。

 そこで気付いた。雨がほとんど止んでいた事に。

 もちろんほとんど、と言うだけあってまだ少なからず降ってはいるのだが、もう傘をささなくても良いくらいの雨量だ。むしろ傘をさしているのが煩わしいと思うほど。

 個人差はあるので、このくらいでも濡れたくない、と傘をさし続ける人もいるのだろうが、見渡す限り全員が傘を閉じて少し雨に打たれながらも歩いている。

 しかし、その光景は決して不自然に思えなかった。なんせ傘をささずに外を歩く事が本当に久しぶりだからだ。今年の梅雨は長いと言われていたけれど、実際どれくらい降っていたのだろう。そんな事ももうわからないくらいに長く感じた雨がここまで止んだのは久しぶりだった。傘を下ろす基準がみんな同じになるくらい、久々に傘をささずに歩いている。

 もちろん、水浸しには変わりない町ではある。それでもみんな今までより悠々と歩いている様に見えた。

 そんな人々を見ていると、先程までの自分の雨による鏡張りの反射論は皆目見当外れだったのかも知れない。少し心に余裕ができたことによって、酔って変な事を言ってしまった。みんな長く降っていた雨に、ただただ不機嫌だっただけなのかもしれない。

 そんな風に、ついさっきまでの自分を少し恥ずかしく思い、心なしか少し下を向きながら歩いていると、急に眩しさに目を少し細めた。

 何かと思い、細めた目を凝らすと、足元の水溜まりが光っていた。

 否、水溜り自体が光っているのではなく、水溜りが何かを反射している。その何かがなんなのか気付くまでに、そこまで時間は掛からなかった。



 《5》魚の目には水見えず、人の目には空見えず


 空の雲が晴れ始めたのだ。

 日差しが差し込み、水浸しになった町中が太陽の光を反射して、どこもかしこもキラキラ光っていた。

 雫を乗せた葉っぱや木々なんかも、キラキラと光合成をしていた。

 こんなに町中が光る光景は、連日ずっと薄暗くて雨が降っていた町とは思えないほどに綺麗だった。

 「青葉は目の薬」という。二階から目薬の様な日々に、突然目に差された薬だった。目の保養だった。季節は梅雨でも、目の正月だった。

 そんな風に見惚れている頃には、雨は完全に止んでいた。周りの人々も、そんな町に清々しい表情だった。

 そういえば、行き帰りの電車の中で、ボーッとしてちゃんと見てはいなかったけれど、電車のドアの上にあるモニターで流れていた天気予報に、「梅雨明け」の文字があった様な気がする。

 さっきまでの雨が止んだことで、やっと梅雨が明けたと言うことなのだろう。

 そう思うと、周りの人たちが悠々と歩いている理由が、雨が止んだから、だけではない様な気もしてきた。もちろん梅雨が明ける、と言う理由は大きいのだろうけれど、そこには少しだけ、明日から反射して自分が写ってしまう町を歩かなくて済む、と言う理由もある様な気もする。否、あってほしいと、自分を少し自愛したくなってしまう。

 もちろん、晴れたからと言って悩みまで晴れる訳ではないし、自分が反射しないだけで周りから見た自分が聖人君子のように映る訳でもない。

 それでも今だけは、まだ乾いていない水浸しの町に、四方八方から反射して映る自分は、先ほどとは違って、太陽の反射が加わってキラキラ映っていた。

 まるで、正しいか間違っているのかわからなくとも、なんとかしようと悩んでいる自分の姿が、迷子のままの自分の姿が、一番正しい姿なんだと言っているかのように、キラキラ輝いていた。


 そんな風に思えた事が嬉しくて、誰かに伝えたくなってしまう。だからって誰でもいいからと直ぐに誰かと連絡を取って今の気持ちを伝えられるほど、素直な性格はしていない。でもそんな自分すら、今なら許せる。


 すると、先ほどから自分の数メートル先を歩いていた人が、何もないところで立ち止まっている事に気付いた。何かを落として探しているのか、と思ったが、その人が見ている方向は地面ではなく、むしろ上を、空を見て立ち止まっていた。

 久々に見れた夕日に見惚れているのかと思ったが、その人が見ているのは日の沈む西の方角ではなく、反対側の東の方角を見ていた。


 訝しげに自分も東の空を見てみると、

 そこには今まで見た事もないほどの、大きな虹が架かっていた。

 その大きな虹を見た時に、泣いてしまった。涙が一つ流れてしまった。その涙も、ほんの少しで良いから、反射で光っていたらいいなと思う。

 涙が頬を伝って顎に着いたところで、不意に周りを見渡してみたら、自分の位置から見える人全員がその虹を見ていた。

 今までみんな自分の事で精一杯で、これからだって精一杯な事には変わりなくて、それぞれの人がそれぞれの悩みで、それぞれの道で迷子になるのだろう。

 それでも今だけは全員が、車に乗っている人も自転車に乗っている人も、全員が同じ方角を、虹の方角を見ていた。

 そんな人達に加わって僕も虹の方角を見た。

 その瞬間、少しだけ世界が止まった様な気がした。


 しばらくして、一人、二人と、それぞれまた歩き出して、それぞれの方角に進み始めた。それぞれの止まった時間が動き出していった。

 「雨降って地固まる」というけれど、僕の地は、僕という自は、相変わらず不安定で、相変わらずの葛藤劇だったなと思う。

 そして周りから少し遅ればせながら、僕も自分の進む方角へ、歩き始めた。



 きっとこれからは猛暑が始まり、次は暑苦しい毎日に不機嫌になり、憂鬱になり、イライラするのだろう。

 あの世界の止まった様な瞬間が、迷子の日々にピリオドを打った訳ではない。

 それでも、溶けたアイスの様に戻らない時間は、僕の中でずっと光っていると良いな、と思う。

 そう思えただけでも、目付け物(めっけもの)だ。

 



【鑑】

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