UNPACK PAST〜Packing Past〜
《1》
その扉を開けると、向こう側の時間は止まっていた。
それは文面通りの意味に捉えて貰って構わないし、あともう一つ、扉の向こうに掛けられていた時計が止まっていた、という意味もある。
最後に自分がその扉を閉めたあの日から、六年ぶりに開けた。そしてほぼ六年分の時間が止まっていた。
その扉の向こうとは、六年前まで使っていた自分の部屋だ。
つまり実家に帰省中。
六年前、この部屋を空にして、おもい扉を閉めた。この場合の「おもい」は、言わずもがな「想い」と「思い」と「重い」が掛かっている。十余年と過ごしたこの部屋を空にするにあたって、思うところは沢山あったし、それ故に今までの色んな事を想う事が出来たし、そして最後に閉めるこの扉はいつもより重く感じた。
その最後の「おもい」だらけのあの日から、微動だにしていないかと追求されれば、首を縦には振れない。ぐうの音も出ない。
目に映る限りでは、両親の趣味で使うであろう道具なんかがチラホラ置かれている。でもそれだって、置く場所が他にないから申し訳程度に置かれているくらいであって、この部屋を物置代わりに使っている、と言う訳ではなさそうである。頼めばすぐにどかして、一往復で部屋を空にできるくらいの量である。これくらいならほぼ変化と捉えなくても差し支えないだろう。部屋の壁に掛けられた時計が止まっているのも相まって、瞬間的に「時間は止まっていた」なんて表現をしてしまっても過言ではない。
別にこの部屋を使わないで、なんて言ってもいないし、思ってもいないので、正直散々と物が入れられていて、それこそ物置代わりに使われているんじゃないかと思っていたけれど、ここまで使われていないとなると、さほどこの家の収納には自分がいてもいなくて不便はなかったんだな、と思う。もう少し使ってくれていたらこの家を出た甲斐もあったのに、なんて思うのは筋違いだろう。この部屋が使われていようがいなかろうが、自分にはこの部屋の所有権なんてないのだから。
それこそ六年前の最後の日に、空になったこの部屋に所有権なんてものは置いてきた。今更この部屋に戻るつもりなんて毛頭ない。それくらいの覚悟でこの家を出たのだから。
この部屋を空にする時の荷造りは、我ながらなかなかの奮闘劇で葛藤劇だったと自負している。だからこそ、自分にはこの部屋の所有権はない。いらないとまで言ってしまおう。
しかし、この部屋の所有権はないとしても、通行手形くらいのものはあるだろうと思う。そもそもこの部屋の扉を六年越しに開けたのにもしっかりとした理由がある。なにも旧自部屋を、旧所有者だからと言って古参ぶった態度で確認しにきた訳ではない。
この扉を開けた理由は、通行手形を振りかざして、ある目的地に辿り着くため。
その目的地とは、この旧自部屋にある隠し部屋である。
《2》
失礼、隠し部屋もといクローゼットである。つい自分の心の中での呼称を使ってしまった。……だって隠し部屋の方がかっこいいじゃん!自分としては嘘偽りなくこのクローゼットを隠し部屋感覚で使っているので、決して物語の捏造を図ったつもりはない。
なぜならこのクローゼットは、六年前の荷造りによる奮闘劇、葛藤劇の末に手にしたこの家の自分の唯一の居場所、中途半端な自分が中途半端である事を許された最後の場所。
つまり、この小さなクローゼットだけ、これからも自分の場所として使って良いと、母親から所有権をいただいた場所である。
しまうと言うより、部屋の模様替えをするかのように、残された物達をこのクローゼットの中に飾り、まるで小さな部屋のようにしまわれた物達。そんな場所を隠し部屋と言って言い過ぎと言う事はないだろう。言い過ぎだとしてもやめない!
旧自部屋に少し両親の物が置かれたくらいで、ほとんど時間が止まっていたのだから、この隠し部屋は完全に止まっていたに決まっている。ここには手を付けない、と六年前に母親にも言われていた。見る限り、約束を守ってくれているらしい。
隠し部屋の扉を開けて、こうして置いていった物を見ると、なるほど納得、流石の葛藤劇だけあって洗練された荷造りだったのだろう。今こうしてみても、一つとして捨てようなどとは思えない。もちろんだからと言って全部持って行こうとも思えない。相変わらず自分の中途半端さが伺える品々だ。あんなに当時、中途半端である自分を根っこから嫌っていたのに、六年経った今もこうしてこの隠し部屋をみて納得するあたり。結局変われてはいないみたいだ。
しかしそんな自分を忌み嫌うことはもう無い。そこはどうやら変われたらしい。否、そこは六年前のあの日、荷造りによって変わる事ができた。変わる事で荷造りにピリオドを打てたのだ。この隠し部屋がなければ、今でも自分の中途半端を忌み嫌っていただろう事は想像に難く無い。
では、何故今日六年越しにこの隠し部屋を開けに来たのか。
それはもちろん、全部では無くても、ある一つの物を取りに来たからである。そのある物とは。
《3》
おっと、つい口が滑る。別に恥ずかしい物でも何でもないけれど、それを取りに来たのにはまた別の事情というか、別の物語があるので、ここで開示するとややこしくなる。
今回はあくまでそれを取りに来るにあたって久々の帰省に、久々の隠し部屋にいろんな事を改めて思ったと言う話だ。感傷に浸ったと言う話だ。話が枝分かれして訳がわからなくなる前に、敢えて取りに来たものが何なのかは伏せさせて頂く。二兎追うものは一兎も得ず。
いくら隠し部屋と称して、しまうというよりは飾るという感覚でこの中に物を収めていたとしても、全てにそんなしまい方をしていたら、直ぐに入らなくなる。あくまで手前側は飾るように置いていたとしても、奥の方は流石に箱に詰めて箱ごとしまっていたり、裸のままでもテトリスのように隙間なく敷き詰めてしまっていたりしている。テトリスなんていうと上手く収めたら消えてしまいそうに思えるけれど、よしんばテトリスだとしても消えてくれないから行われた奮闘劇だ。否、もしも本当に消えてしまうとなると寸前でやはりわざとずらして消さなかったかも知れない。
奥の方というほどに奥行きもないけれど、今回取りに来た物はその奥の方にある箱にしまってある。ここに来る前から想像するだけで少し億劫だったけれど、やっぱりいざ行動に移るとなると綺麗に「はぁ〜」と溜息が声と共に出てしまった。
それじゃあ早速、手前の物から出していきますか。
手前に飾られた物達から一つ一つ取り出して床に置き、奥の箱を取り出すためのスペースを作ろうと試みた。しかし今回出したい箱は一番奥の壁にドン付けされてしまわれていて、それを引っ張り出せるだけのスペースがあれば十分だと思っていたが、そのスペースを確保したところで、先述した通り奥は奥でテトリスのように敷き詰められているのだ。そんな状態で箱だけ引っ張り出せば、当然周りの物も崩れ落ちてしまうし、それによって物が壊れるなり手を怪我するなりしてしまう事は想像に難くない。
面倒臭いけれどここはしっかりと段階を踏もう。
ここまで大掛かりになると思っていなかったので、先に出した手前の物はとりあえず足元に置いていたのだけれど、一度足の踏み場を整えるつもりで陣地を広げよう。足元の物を一度旧自部屋の中央あたりに集めて、足元を整理してから再び隠し部屋へと手を伸ばした。
身を少し乗り出して、崩れないように六年前のしまい方を何と無く思い出しながら逆再生のように順番に物を取り出す。その度に「うわぁ、懐かしい。」なんて溢しながらやっと最後の目的の収納箱だけになった。
両手でがっちり掴んで手前にグッと引き寄せると、思ったより重くて驚いた。これはしっかり手順を踏んでおいてよかった。確実に周りの物も崩れただろう。
そして何とか引き寄せて、隠し部屋から出した。こんなに重くなるほど入れたかな、と中身をあまり覚えていない事にそこで思い至る。
でも目的の物をここにしまった記憶はあるのでそこは心配いらない。いざ、箱の蓋を開ける。
その刹那、一気に六年前のあの日を思い出した。匂いもカラーで思い出せる。あの日の心境がしっかり詰まった箱の中身が今の自分を見上げていた。
「っはぁ。」不意に出た深い溜息が、箱の中の中途半端な自分に深く覆い懸る。
見事なまでにあっぱれだ。あんなに中途半端な自分を殺そうと、今日限りでそんな全ての自分の息の根を止めようとしたにも関わらず、付け焼き刃の心構えじゃどうにもままならない中、この隠し部屋の所有権を母親から貰えた。もちろんそれを貰えたからといって喜び勇んでドンドン物を詰めたわけではない。あれだけ忌み嫌い続けた自分に、ピリオドを打てる御誂え向きの状況だったのだ。そんな時に頂いた場所をパニックルームなんかに使いたくなかっただろう。それでも心が抉れるくらい悩んだ中、そこを嫌いな自分を生かす場所として使うことを選んだのだ。だからこその奮闘劇で、葛藤劇だった。
大嫌いな自分を、許す事にした。それは思っている以上に簡単な事ではない。
許す事は殺す事より難しい。殺してしまえばいっそ楽なのに。
それでも、許す事で、生かす事で自分と向き合った。
そんな自分が、しっかりこの隠し部屋の中で温度を保って息をしていた。
我ながらよくやった。
許された事で生かされたあの頃の自分に、許す事で生かした今の自分が六年越しに会いに来た。時間の止まった部屋が、またあの時の時間を動かしたような、そんな気がした。
箱の中を見る限り、目的の物はもう少し底の方にあるようだ。一つ一つ箱から出して、目的の物を見つける。そして手に取り、改めて現時点で旧自部屋に広げられた物達を見渡す。
うん。ごめん。今の僕には、持ち帰れるのはこれ一つだけみたいだ。せっかくだから何か他の物も持ち帰ろうか悩んだけれど、今の僕にはまだそれはできないみたいだ。
ここで勢いで持ち帰れば、あの頃の自分に申し訳が立たない。また、自分に必要な時が来たら、この扉を開けて取りに来る。もうしばらくこの中にいてくれ。
順当な手つきで箱にしまい直して、今一度クローゼット、隠し部屋に一つ一つ閉まっていく。奥から順番にしまい直して、例に倣って手前を飾る様にしまい始めた時、手つきは止めないままで気が付いてしまった。
あの頃のしまい方、飾り方とは異なっている事に。
決してしまう手順を間違えてこうなったのではない。順調にペースが劣る事なくしまい、飾っているのだけれど、飾り終わる前からすでに元の状態ではない事は火を見るよりも明らかだった。
それでも手を止めずに、やっと飾り終わると。うん、やっぱりそうだ。全然違う。
それでもすごくしっくり来る。今はこれの方がいい。
「隠し部屋」なんて呼称していたけれど、きっとこの部屋(クローゼット)の中は自分の心の表れなのかもしれない。このしまい方が、飾り方が、今の自分の心の表れ。
そういえば、ドラえもんは押し入れを寝床、寝室に使っていた。ここは押し入れではなくクローゼットだけど。小さい頃ドラえもんの真似をして、屋根の上に登って星を眺めようとしたり、このクローゼットの中で寝ようとしたりしたものだ。結局屋根には怖くて登れず、この大きいとは言えないクローゼットじゃのびのび寝れるスペースが無くて断念したんだっけな。
それならこの隠し部屋を、寝室ならぬ、『心室』なんて名付けるのはどうだろうか。
心中が表れる心室。心中か。ここにきてやはり『中』が付くのも何だか感慨深い。
小さい頃、手当たり次第に本を読んでいた自称博学少年だった僕としては、「心室」「心中」の言葉に違う意味があるのはわかっているけれど、そこは突っ込まないでくれ!もうすぐこの話終わるんだから!格好つけさせてくれ!それでも己の博学さを発揮したいのなら、この話が終わった後にかかって来い!
次また来るのはいつになるかわからないけれど、その時はまた、その時の心で心室を飾ろうと思う。
その時また会おう。
そうして、心室のドアを閉めた。
改めて旧自部屋を見渡し、天井に貼り付いた思い出を見つめた。
そして、壁に掛けられた時計の電池を交換して、時刻を合わせた。
十七時十三分〇〇秒。
「やっぱり君には、この部屋の時間を刻んでもらうよ」
この部屋の時間を今日分まで進めて、壁に掛け直した。
あの荷造りが葛藤劇なら、今回は感傷劇と言ったところか。
心室の鑑賞による感傷劇。あの頃の自分に野暮な干渉はしないけれどね。
なんちって。
そして再び、おもい扉を閉めた。
【感】
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