居酒屋ロマンティカ
タカツカサ
プロローグ 「居場所」
私はどこにでもいるしがないただの会社員、特筆すべき点といえば18歳の高卒で社会人デビューし今年で早いもので社会人6年目ということだ。
デビューして間もないころと比べ今では、早く帰ってもやることはないので、
結局仕事に手を出してしまうし、かといって会社に遅くまで残って総務や上司に
目を付けられるようなこともしたくはないので、結局いつも一人で居酒屋に
行っても特別女将さんや常連の人他たちとは仲がいいわけでもないので、
いつもやることもなく手が寂しくなると画家を気取って瓶や食事の写生を
してみる日々である。
居酒屋は面白い。来店する客層は老若男女様々で、隣にカップルが来ることも
あれば少々くたびれた会社員の先輩後輩などが座ることもる。
なんだかんだ言ってもドラマや映画であるような居酒屋に一人で来る人は、
実際さほどおらずどちらかというと1人での来店のほうが少ないのだ。
そして私が行う写生は、決して誰かに認められようとか目を付けられたいと
いった本気度の高いものではなく、その時カバンに入っている付箋やメモ紙に
ボールペンで線画を描いて、コピックペンといわれる色付きマジックのような
ペンで色をのせる位のものだ。画角や書き方に強いこだわりはない。
強いて言うのであれば軽くデッサンの基本を押さえて、光が当たる部分で
“ハイライト”といわれるものに気を付けているくらいのものだ。
今日もいつものように特別疲れているわけでもなくかといって、元気があるわけでもないサラリーマン特有の少しふわふわした感覚だったので、いつものように
私が行きつけている居酒屋に入った。席は決まっている。
店の入り口からみて一番右奥に8人掛けのテーブル席が壁にくっつける形で設置されており、私は決まってその机の一番奥の壁際に座るのだ。
グループの予約が入った際は渋々カウンターに移るが、基本はこの広いが
何となく壁に囲われてパーソナルスペースのようになったこの席を陣取る。
女将さんも直接注文の時以外は言葉を交わすことがないのだが、最近では
常連としてやってくる私に気を使ってなるべく開けておいてくれるようになった。
私はいつものようにお通しと葉物野菜のつまみを眺めながら、日本酒を一人で
傾けていると入り口のベルが”カランコロン”と鳴って間もなく、会社員の先輩後輩と
みられる2人組が入店してきた。
この日はちょうど週末ということもあり店は賑わっていたので、その会社員2人組は私の隣にやってきた。その2人組は男女ペアで女性が私の真横を陣取ると
後輩とみられる男性はその向かい側の席を陣取った。
普段は混んでいても真横に人が来ることはなかったのだが、今日は違った。
あまり隣に人が来ることは無いので何がといわれると難しいが、正直なんとも
言えぬ恥ずかしさというか、一人で飲んでいると隣の人の対面席の人と目が合う
ので、男性同士とはいえ少し気まずい雰囲気になるので私はいつもの様に絵を書くことにした。
今日の題材は“ほうれん草のお浸し”だ。光が当たり反射して白く見えるハイライトを考えて書かなければ、ただのクタクタの葉物野菜になってしまうから、お浸しのヨレヨレ感を出しつつどこかシャッキリした雰囲気を出すにはとにかくハイライトが大事なのだ。
絵に特別こだわりはないが、少なくとも第三者が見ても何を書いているのかは
わかる程度に書き込むのが私の絵に対する“流儀”だ。そんなこんなで私はほうれん草のお浸しを書き上げて、題材を探すのに疲れて適当に瓶ビールのラベルを
写生していると、隣に座った会社員の上司と見られる女性の方から、
「何を描いてるの?みせて?」と尋ねられた。
私は正直戸惑った。というのも今まで見せてと言われたことがあったが、
今回の場合は直近でなんの前触れもなく唐突に言われたからだ。普通ならチラチラとこちらを伺いながら覗き、絵の上手いヘタをある程度みてどういった
リアクションを取るべきかなどを考えてから、声をかける人が多いからだ。
多少戸惑いはしたものの、私は隠す気はないので素直に先ほど描き上げた
ほうれん草の絵を女性にみせた。
大体この場合返ってくるリアクションは大きく分けて2つ予測できる。
一つ目は単純で「わぁーすごーい!」という安いリアクションだ、そして
もう一つは「ここはこうした方が良いよ」という謎の上から目線のアドバイスを
投げかけてくる威圧的なリアクションというか、指摘だ。
この女性はどちらでリアクションを取るのだろうかと少し気構えて相手の
リアクションを待った。
すると女性はリアクションを私に投げかける前におもむろに、お店の女将さんを呼び出した。そして私の絵を見せて何やら交渉を始めた。しばらくして女将さんがニヤニヤしながら女性を見送り、戻ってきた女性がふいに口を開いた。
「この店のメニュー描いて!」
私は何を言ってるのか一瞬理解が出来なかった。どうやらこの女性もここの
常連らしく、店のメニューは文字ばかりでオススメの料理くらいしか写真が
なかったのが、気に入っていなかったらしい。
正直私の絵は上手いものではない。光の当たり方やデッサンの基本を踏まえて
描いているが酔っているせいもあり線はヨレヨレでどちらかと言うと“味”のある絵に近いのだ。しかし女将さんにはそれが刺さったらしい。
私は2対1では断っても勝ち目はないと判断し、渋々その話を承諾した。
周りの客はそれぞれの話に夢中になっておりこの騒動には全く気が付いていない。
そんなガヤガヤとした店の雰囲気の中一人、私は少しの心地よさを覚えた。
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