第九話


 長野が山に来てから五日が経った。今日はヤマギシが街に出る為に朝早くから出掛けて行ったので、長野とチハはお昼頃から大岩壁を超えて山菜を採りに出かけていた。

「これがフキですか」

「ああ、でこの蕾がフキノトウだ。あっちのフキは少し成長が早いから蕾がもう花開きをはじめている」

「ホントだ。あ、じゃあ私はあっちのフキを採ればいいですか?」

 長野が指をさした方を見てチハは「それはフキじゃない」と言った。

「え、これは違うのですか?」

「これはツワブキと言って似ているけど違う。ほら、色がそっちの方が深いだろ?」

 長野はどちらも緑色の葉っぱに見えた。

「よく分かりませんね」

「はあ、これだから街の女は。どっちもそのままだと苦味やアクが強いから一度アク抜きしたりしないといけない。でも天ぷらにするならアク抜きしなくていいから少し楽が出来る」

「へぇ。天ぷら美味しそうですね」

「でも今日はフキだけでいいんだ」

「どうしてですか? 一緒に採っておいたらいいじゃないですか。選別も面倒だし」

「山はワタシたちだけが生きているわけじゃないからな。ハハンがよく言っていたんだ」

 そう言ったきりチハは「ダイチ。カンシャ。アイ」と呟きフキを背中に背負った籠に入れはじめた。籠は蔓で編まれていた。

 二人は大岩壁まで戻ってきて、一度家に帰った。採集したフキを倉庫においたチハは、二本のクワを一本長野に差し出して、二人はそのまま竹林を歩いた。二人は散り散りになってしばらく地面の枯れ葉を見つめたり、怪しいところでは手で土を軽く掃いてみたりした。

「どうだあナガノ。見つかったかあ?」

「見つかりませえん!」

「ああん、ほら、そこにあるだろう!」

「そこ? どこ?」

「へっ、これだから街の女は」

「すいません」

 長野は生まれてはじめて自然に生えているタケノコを見て興奮していた。

「うわぁ、このつま先がタケノコ?」

「そうだ」

「チハさん、これを採るんですか?」

「ああ。可愛いいだろ」

「はい、何となく」

「こいつらは冬の寒さを乗り越えると急速に伸びて固く苦味が増してくる。それ以上伸びるとほら、それだ。とてもじゃないけど竹は食べられないだろう?」

 チハはちょっとした冗談のつもりで言ったのだが、長野は顎が外れそうなくらい驚いて口元をパクパクしていた。

「タケノコが、竹? タケノコは竹に、なる?」

「え?」

「やっぱりたぬきも狸? きっとたぬきも狸なんだ」

「は?」

「タケノコって成長したら竹になるからタケノコなの?」

「当たり前だろ。だから今が食べ頃なんだ」

「ええ⁉」

 チハは長野のあまりの驚きように驚いていた。

「いいか、こうやってタケノコのまわりの土から掘っていくんだ」

「はい」

「で、こうやってタケノコの根がぐらぐらと揺れてきたら、ネコの原理で、こうだ」

 クワの力で見事に採れたタケノコの根本はとても白く太かった。

「どうしたナガノ。タケノコの皮が欲しいのか?」

「いや皮なんていりませんよ。それよりチハさん。ネコじゃなくてテコですよ。テ、コ。テコの原理です」

「……」

 チハは一瞬固まってじわじわと赤面しながら長野に背を向けて採ったタケノコを背中の籠にぽいと投げた。

「タ、タケノコの皮をいらないなんてこれだから街の女は……情けない」

「タケノコの皮ってそんなに大事なんですか?」

「え、あ、ああ……タケノコの皮だろ……皮は動物たちに食べられない為にあって……成長して高く伸びていくにつれて剥け落ちていくんだ」

「へぇ。だからつるつるなんだ竹って。で、どうして皮は大事なんですか?」

「いいかナガノ! タケノコは最低でも三十は採るんだぞ! 死ぬ気でやれよ!」

「え、えぇ、三十? さっき山はワタシたちだけじゃって」

「いいから採れ! バカモノ!」

 幾らなんでも三十は取り過ぎだろうと思っていたが、のちに竹は繁殖力が強いので周囲が竹だらけになってしまう問題を防ぐ為でもあったのだと知った長野だった。

 帰り道。二人はタケノコをたらふく背負っているせいか、両肩の重みに耐えかねて、気張った顔をしながら歩いていた。

「チハさんって本当に、山に、詳しいのですね」

「ヤマギシが、色々と、教えて、くれたからな」

「ヤマギシさんって、チハさんの、おじいさん、ですか?」と聞いて長野は自分でもそれは何かおかしいと思った。がチハは既に違う場所のタケノコを採集していた。

「チハさん、もうタケノコはいいですよ!」

「うるさい! いいかナガノ、だいたいお前の採ったタケノコはどれも浅いやつが多かった。それはな、こう、ほれ、見てろお。こうだ。ワタシみたいに、上手く、こうテコの原理をだなあ、テコだぞ? テコの原理をしっかり使っていないから浅い、ままに、なるんだ!」

「もう分かりましたから、早く帰りましょうよ」

 もうすぐ陽が落ちそうだった。家に帰ると街から戻ってきたヤマギシが玄米を精米にしていて、ようやく作業が終わろうとしていたところだった。

「ちょうどいい流れだヤマギシ。そのまま米を研いで、ついでにそのぬかもくれ」

 チハはどっさりと籠に入ったタケノコを適当に人数分取り出して、泥のついた皮を剥きはじめた。次に先端を切り取り、二本の切り口を繊維に沿って手際よくナイフを入れていく。

 鍋に米の研ぎ汁とぬかが混ざって茶色く濁っていた。そこにタケノコを投入して茹ではじめる。

 長野は手持ち無沙汰になって、二人のやっていることをただ子供のように見ていたら、チハが母親のように答えてくれた。

「これはタケノコのアクをとっているんだ」

「アクを」

「タケノコは採った直後からどんどんアクやえぐ味が強まっていく」

 横からヤマギシが「例えば街に出回っているタケノコは、収穫してからだいぶ時間が経ったものだから、その分アクが強くなりすぎる。だからアクとりにも時間がかかるけど、今日二人が採ってくれたものはまだそんなに時間が経ってないから手早く済むんだ」と言ってから「でもスーパーなら水煮しているものもあるか」と付けたした。

「水煮? あれはダメだぞ、ヤマギシ。風味が足りん」

「チハさんもスーパー行ったことあるんですか?」

「これだよ」と言ってヤマギシは、長野も見たことのあるチューブ容器を、棚から持ってきた。

「醤油ですか」

「そうだ。私達も出来るだけ山にあるもので生活するが、育てるのが環境的に不可能だったり手間が掛かりすぎるものは、今日みたいに私が買い出しに行くんだ。で前に一度タケノコの水煮を試しに買ったんだよ。ほら」

 ヤマギシは突然、ポケットから現代人なら誰もが見慣れた機器を取り出した。

「あ、スマートグラス!」

「私は古い人間だから後入れなんだけどね」と言って手の甲を指した。

「未だに使い方がよく分からないんだ」

「私の叔父も叔母も似たような感じです」

「そうだナガノ。食料庫に稲が保存してある。籠に入りきるだけとってきてくれ」

「いや私が行こう」

「いいえ、行きますよ。私だけなにもしてませんし」

「いいんだ長野さん……私が」

「いいからヤマギシは米に水と醤油を入れてタケノコご飯の準備をしろ」

「タケノコご飯かあ。楽しみだなあ。あ、食料庫って裏庭にあるやつですよね」

「そうだ」

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