第15話 そばにいたい

 夜、夏姐さんとわたしと常田くんであのバーに行った。カウンターのマスターが夏姐さんを見て笑顔を振る舞ってた。彼女のこと、仙台さんが連れてきた女性だって思ってるわよね……。


 初めてこの店に三人できた時よりもとても空気は重く感じた。美味しそうなリゾットも、パスタもピザも……なかなか手をつけられない。

 でもそれを三つにパッパと取り分けて目の前に置いてくれる夏姐さん。


 応接室から目を腫らして出てきた彼女だったが今は気丈に振る舞う。弱そうで強い彼女は本当にすごい。


「梛の件は前から上がっていたのよ」

 常田くんの大阪に帰る話の後に、わたしにもとあることを館長から言われたあのこと。


「でも、梛は児童書担当だし……ね。力は発揮できるし」

「うん……それはそうだけど」


 わたしは館長に来春、市内の子供図書館に異動しないかと打診されたのだ。正直常田くんが大阪に帰ることになり、ついていきたい気持ちが山々である。

 だが大阪に行ってもすぐ正規で司書として働ける保証はない。


「わたしは梛にとっては栄転だと思ってさ……市内だし、給料も上がるし、今の図書館とも提携してるからポジティブに考えていたわけ。そしたら蓋を開けたら違ったのよ」

 ダメだ、夏姐さんのスイッチが入った。お酒も飲み始めてるし。


「来年の春に子供図書館のスタッフが産休で抜けるから、まぁそれはいいとして。他にも彼氏持ちの独身や新婚の司書が多いからいつ産休とか結婚とかで抜けられても困る、だから結婚や妊娠しても辞めるリスクの無い梛に声をかけたとか失礼極まりない!」

「まぁ、確かにそうですけどもぉ……」

「女を舐めんなよ! こちとら三人産んでもギリギリまで産休取らず産後すぐ復帰した私がいるんだっつーの! 女だからなにさ! なにがリスクだ! 梛をなんだと思ってるんだ」

 悪態ついてきた夏姐さん。こういうときは常田くんが宥めるけど今日はそうではなく、わたしが宥めている。常田くんは俯いている。


「でもわたしと常田くんが抜けたら……輝子さんが入りそうだけど……」

 と言い終えたと同時に夏姐さんがワイングラスをドン! と置いた。


「そーなのっ! あと大学生の歩ちゃんいるじゃない。あの子が正式に採用されるのよ。他にも数人正規雇用狙ってる人もいるのにあの子はパパか市役所役員だからって……」

 歩ちゃん……大学通学の合間にボランティアに来てる子なんだけど、よく常田くんが彼女に点字図書とかのことを教えてた、あのあざとそうな子!


「それにあの輝子さんも正規に復帰したら……もう無理、ストレスで死ぬ」

 と机に突っ伏す夏姐さん。感情の波が激しい時にお酒は危険である。もう何年前から知ってるのにわたしは学習能力が無い。


「わたしは市内にいるし、愚痴なら聞きますよ」

 なんぞ言ってしまった。まぁ同情してしまう。どんなに強くても輝子さんの強烈さには耐えれない夏姐さんを。


「それよりも常田くん、大阪になんて……ひっく」

 しゃっくりまじりでグダグダとまくし立てる夏姐さん。常田くんは顔を少し上げた。


「大阪の先生は子供の頃からお世話になってるんで……その先生でも完全に治るかわからへんって言うてる」

だったら……今のところでもいいのに。


「何度も大阪に戻ってあっちの図書館の試験をまた受けろって、毎年言われてたし、僕はこっちの暮らしが良かったし、何より今年は梛と付き合ったから尚更……」

彼は家族の反対を振り切って、こっちの親戚をたよって司書になったとは聞いていたけど……。やっぱり親たちは常田くんはそばにいて欲しかったのだろうか。

30歳といういい大人だけどやはり病気の子供のことは心配になるのだろうか。


「常田くんがだいぶ前から大阪に帰れと言われていた話は前も聞いてた、実は。でも梛には話さんといてやーって言われてて」


 全く知らなかった、そんなこと。わたしを大事な人と言ってくれたの? 

「今結婚したとしても……いつかは僕の目は見えなくなる。僕は梛と一緒にいたい……そばにいて欲しいのは梛しかいない」

 わたしも常田くんを支えたい。どうやったら説得できるかしら。


「うちの弟のことで迷惑かけてすんません、」

 どこからともなく出てきた常田くんのお兄様!? いつの間に! 親戚の人とご飯じゃなかったのかしら。夏姐さんはびっくりして椅子を立ち上がってお兄様を座らせる。


「僕がここのお店で食べてることを連絡した……」

 そうだったら早く言ってよ……常田くんのお兄様は店員さんからお水をもらって、夏姐さんから勧めれたピザを頬張る。

「親戚と父は仕事の話で盛り上がってて退屈だったからここにお邪魔させてもらいますわ」


 ……お兄様は常田くんの代わりにすごくニコニコしていた。





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