ちょっとした小話集

烏賊モドキ

君がいい

※ファンタジーっぽいです

※軍人×軍人です

※強いおなごはいいものだ



 近所の御屋敷に住んでいた、淡い、ミルクを沢山とかしたような赤い髪色の女の子が好きだった。遊んでいると、ドレスをわざわざ着替えて、男の子のような格好で遊びに混ざってくるその子が気づけば好きだった。

 君に嘘は言わない、と、彼女はそう言った。好きだと言ったら、彼女はまだよくわからない、と告げて、それでも俺の気持ちは酷く扱いたくないから、と、時間をくれるか、と、彼女はそういった。


 そうして随分、長い年付が経った。


「書類不備」


 わざとらしく音を立てて、それほど立派ではない机に書類を置く。片眉を上げて、目の前の人はこちらをその淡い紫色の瞳で捉えてから、書類に目を落としてがっくりと項垂れる。


「サイン漏れだ」

「見たんだぞ?見たんだけどなあ」


 おかしいなあ、と呟き、一枚、一枚と傷だらけの手で捲っていく。


「そんなことじゃ陽が暮れる」

「そうだなあ、陽が暮れるから帰っていいぞ」


 俯くせいで高い位置でひとつに結っている髪の束がいくつかその肩を滑っていく。深い夜の色をした軍服を、いくつかその淡く薄い、沢山のミルクを混ぜたような微かな赤が撫で落ちるのを見ながらため息をついてみせると、もう一度、帰っていいぞ、と彼女は言う。


「帰らん」

「何も律義に待っている用はないんだぞ?」

「お前を送りたいから帰らん」

「そうか?夜になってしまうかもなあ」

「猶更だな」


 熱烈だ、と彼女は笑う。彼女とは似た時期に入隊した仲であるし、今日にいたるまで何度か、幾度か、好きだと伝えている。伝えているのだが本気にされているかはわからない。応えて欲しいかと言えば勿論、良いか悪いかくらいの返事は欲しいところだが、現状、こういうものでもいいかと思う。なんてことを同僚に話すと枯れているのかと失礼なことを言われるが放って置け、というのが素直な所だ。


「本当にいいのに」


 カリカリとペン先が紙をひっかいていく音を聞く。


「気にするな」

「いや、そうはいってもだ、疲れているだろ?」

「お前もだろ」

「お互い様か」


 はは、と笑う彼女の口元はかさついているように見える。


「水分は摂ったか」

「ん?あ、あー忘れていた」

「……嫌でないなら、茶でも淹れようか」

「ああ、そんな、恐れ多い、私の部屋だ。私が淹れるさ」

「気にするな、勝手知ったるだ……と、言いたいが触られたくないなら黙っている」


 僅かに口角をあげて彼女が微笑む。椅子から立ち上がり、座ってくれ、と告げるその言葉に従って、これまた立派とはいえない使い古された椅子に腰かける。軋む音がこの間よりもかなり大きい。


「今、椅子が結構な悲鳴だが、いい加減新しいものにして貰え」

「してもらってもいいが、備品管理のとこの、ほら、御老体。昔ながらの御方で女軍人はあまり好かんらしくて苦手なんだ」


 ああ、あのご老人か、と頷く。確かに、少なくなったとはいえ女性に厳しい御方は何人かいる。


「なら俺の所の椅子を今度持ってくる。お前が怪我をするのは好まない」

「や、それは、」

「怪我をするぞいずれ、かなり痛んでいるし、すっ転ぶのが趣味なら止めないが」

「はははは!!そんな趣味はないな!」

「なら持って来よう」


 僅かに乱雑に置かれたカップに入った茶は少し薄い色をしている。


「茶葉を替えたか?」

「うん、替えたとも、あ、しかし少なかったかな……いまいちこの塩梅がわからん」

「もう少し多くて良い」


 彼女にいつだったか、渡した事がある茶葉だったが、あれからずっとこれを常備してくれているらしい。気に入ってくれたのか、単純に彼女の性格的にこれでいいかとしているのかはわからないところだが、少し嬉しい、と口が緩む。


「うまいか?」


 そんなことを此方に聞きながら、向かい側に腰かけた彼女もカップに口をつける。


「あ、薄い!薄かったな!!あははは!」

「うん、薄いかもな」

「すまん!!はははは!!!茶も満足に淹れられんとは自分に呆れた!」


 豪快に笑う彼女の笑顔は好ましく思う。入隊したころから、彼女の笑顔は良くも悪くも目立ったが、悩みさえ笑い飛ばしそうな快活な笑顔は好きだ。さっぱりとしたところも好きだし、身体を動かすことが好きだというのも、裁縫や家事より剣を持って戦う方が好きだという所も好きだ。改めて思うが、俺は彼女に盲目的だろうか。欠点はまあ、誰にでもある。彼女も例外ではないが、それよりは好ましい部分がよく目に飛び込む。

 彼女は腕もたつし、仕事も出来る。豪快な笑い声も笑顔も好きだが、時々見せている優しい顔も好きだし、血の気が多くなっている時の凛々しい顔も好きだし。うん、やはり彼女になんの応答も貰えずとも俺自身が彼女を好きならいいか、と思う。


「茶葉が淹れれずとも死なん」

「うーーーん、そうは言うが、折角ホラ、君が私にと、くれたものだし」

「……」

「おっと、どうした、そんな顔して」

「や、その……そうか、その、う、ん、嬉しい、と思ってだ」


 想定していたものと、別の方向から刺された気持ちだ。耳が熱を持つ。気に入ったでもこれでいいとしていたのでもなく、俺が彼女へ渡したものだから、という言葉がなんというか、そうか、そうか、という気持ちで、恥ずかしく、嬉しく思う。


「失礼だと思うんだが、お前のことだから、」

「はははは!!!適当にこれで良いかとそのまま買い足し続けていたと思わせていたならすまん、謝るよ。君が私へプレゼントしてくれたものだったから嬉しくてね」

「……そ、そ、うか」

「お、君、耳が赤いが照れてるか?」


 にこにこと笑う彼女に咳ばらいをしてから頷くと、彼女は、眼を細め、柔らかに微笑んで頷く。


「いくら大雑把な女と言われている私だって、わざわざ、どうぞ君に、なんて、プレゼントされたら嬉しいもんだ」

「そ、そう、なのか、そうか、なにより、なによりだよ」


 うん、という彼女の声は一層柔らかく聞こえる。


「好きな人、に、喜んでもらえるのは、嬉しいさ、俺も」

「ふふふ、そうかい?」

「そうさ、」


 純粋にうれしい、というと聊かの下心はあるから、間違いではあるが、それでも素直に、ああ嬉しいと思う。彼女は笑顔こそ多いが、他の表情は大きく変化をしない。茶葉を渡したときも、「おお、悪いな」くらいの返事だったし、表情も普段通りだったので、予想外ではあった。

 こういう、口先だけの褒め言葉を言う人でもない。だから言葉が嘘偽りも、彼女に妙な策がないことも、わかる、と思う。確信は持てないが。


「そ、それよりも、サイン漏れのチェックを進めたらどうだ」

「進めているとも、大丈夫だ、安心してくれ」


 豪快に飲み干して、彼女は笑う。それから再び、席を移動してチェックを始める。先ほどよりはスピードが速いように感じる。

 遅くても早くても一緒にいる時間が好ましいので、なんでもいいのだが。


 気づけばすっかり陽がおちきって、星々が見え始めている。ばらばらと最終的なチェックを済ませたらしい彼女は、待たせた、と告げて立ち上がる。帰り支度を進めるのを見ながら点けた灯りをひとつずつ消していく。


「灯りも、どうもありがとう」

「いや、勝手にやったことだから」

「うん、ありがとう」

「ああ」


 では帰ろうか、と、窓にカーテンをひき、快活に笑う彼女に頷いて部屋を出る。暗い廊下を彼女と、自分の靴の音だけが響いて、あとは野鳥の声が遠くから聞こえてくるばかりだ。相変わらず後ろから見る歩き姿が恰好が良いと惚れ惚れする。ぴんと伸びた背も、迷う事がない足の運びも。


「そう言えばとうとうアコニトが我々と手を組むことに頷いたらしいじゃないか、君、聞いたか?」

「ああ、聞いているとも」


 彼女は後ろを振り返らないが、歩く速度を緩やかに落としてこちらに並ぶように、ゆったりと歩く。なかなか説得に応じなかったあの国が、やっと和平に頷いたというのはこちらにも聞き及んでいる。


「オルフェ領主殿がご尽力されたと聞いている、だがお前の関心はそこじゃない」

「ははは!!!そう、そうなんだこれが!!」


 からからと笑う彼女の横顔はいつも楽しそうだ。


「お前が以前、噂に聞いてから気にかけている女狼だろ」

「時が来れば何れ会えるんではないかと思っているんだ、いやなに、会いに行っても良いくらいだ。年も近いし、一度ぜひ会ってみたかったんだ……落ち着いてくればどこかでオルフェ領へ足を伸ばしてみたい……戦死したという噂も聞かないし、生きているなら」


 オルフェ領の女狼、と言えば女性軍人の中では有名な方だ。比較的若いうちから名前は知れている。男も負かす程の腕だとも風の噂で聞いているし、首だけになっても食らいつく気概のある人だとか、何ならバケモノだ、なんてことも言われている。どんな人かは知らないが、同性だという点も、同じ軍人の家系出身というのも重なって、彼女は随分その女狼に興味を持っているらしかった。


「顔でも拝んで帰るのか」

「手合わせできたら最高だ……、あちらは此処よりもっと女軍人はやり辛い環境だ、そんな所で名を馳せている人だ……、会ってみたい、いつか」

「さっさとあって見ればいいだろ、お前ならさくっと行ける」


 道中多少の危険はあるだろうが、それでも彼女の実力を考えれば難しいことではない。話乍ら気づけば街の入り口だ。彼女の家はさらにここから奥の方にある。立派な家だし、遠めにも目立つには目立つ。


「うん、私もそう思う。それでだ、君も一緒にどうだ?行かないか?」

「……は?俺?」

「うん、あ、蝋燭を買ってもいいかな、在庫が切れそうなんだ」

「あ、ああ、蝋燭は買って置け」


 では向かおう、と歩き出す彼女を追いかけて、なんどかくるくると言われた言葉が頭をめぐる。何故俺を誘う、と考え込む。彼女の交友関係は広い。分け隔てがないし、男性の友人も女性の友人も大勢いたと思う。

 俺が彼女のそばを選ぶのは俺の勝手だ、一方的な感情故だ、昔から、嫌がらない彼女に甘えているからで、見返りを求めて尽くしている訳でもなかった。憐れに思って声をかけるような人じゃない。そういう人じゃないから好きなんだが、俺に一緒にどうだと誘いをかけてくることは想像しなかった。

 蝋燭を選ぶ彼女の背中を見ながらぐるぐる、ぐるぐると考え込む。気を遣うような人じゃないが気を遣わせてしまったかもしれない可能性は大いにある。だとしたら断らないとならない。そうまでして共にありたいのではない、と彼女にわかってほしい、いや、わかって、くれてはいそう、だが。


「またせたな、行こう」

「お、おお、行こう、」


 秋の風が冷たい。彼女の吐き出す息が風に流れるのを見ながら、どう切り出したものかと悩む。


「さっきの話だが、」

「あ、ああ、さっきのか」

「君はわかってくれると思うが、君を憐れに思って言ったんじゃないぞ、私は」

「……お前がそういうことをしない、というのはわかっている」


 なら良いんだ、と、彼女が笑う。


「君だから誘っているんだよ、私は。下手な男と旅行なんかごめんだ」


 男としては見られていないという通告だろうか、と背筋を伸ばす。そうならそのように彼女に同行出来るよう頭を切り替えていかなければと思う。


「新婚旅行ついでにどうだい?」

「は!?」

「んん??」

「ちょ、ちょっと、待て、ちょっと待て!!!」

「こらこら、夜だぞ、シーーーーッ」

「う、す、すまん、」


 し、と彼女自身の唇に添えられた人差し指にどぎまぎとしながらすっ飛びすぎた発言に頭を追いつけなくてはと必死になる。


「し、新婚旅行、って、」

「うん、実はだな、そろそろどうだと周りが煩くてかなわない」


 ああ、ああ、そういう事か、そういう事なのかと聊か安心する。そういう事なら多少は悲しいが、彼女の力になれるなら頷こう。


「だが下手な男と夫婦になる気はさらっさらない」

「ははは、なるほどな。それまでの繋ぎなら喜んで請け負うさ、お前の頼みだ」

「あ、違う違う」


 背中を向けて歩いていた彼女がくるり、とこちらに足を揃えて向き直る。


「私は君が良いんだよ、夫にするならば君が良い」

「……、そ、れは、なんと、言うか、ええと」


 一歩、彼女が近づく。堂々とした振る舞いはそのままに、幼いころから時々見せていた、はにかむような表情を浮かべて、眼を細める。こういう可愛い表情をするとこも好きだ。


「君、私が好きだって言ってくれていたじゃないか」

「それはまあ、言っている」

「君が私に偽りを言わない男だというのは良く知っている、だから私も君に嘘は言わない。君が良ければ私を妻にしてほしい」

「ま、ってくれ、きゅ、急すぎて、苦しい」

「うん、待つよ、」


 夫婦は急激に飛び過ぎだ、というべきか、その前にそんな素振りあったか?!というべきか考えてしまう。煩い心臓の音が聴覚を支配する。振り向かれなくても良いから、伝えたいから伝えていたものだった。彼女は己のことは己で決める人だ。憐れな情で俺の気持ちに同意する人などではない、だから好きなんだ。ずっと好きなんだ。

 だからきっと、この申し出も、決して、


「君の、長年の言葉に同情しているわけじゃない事は改めて言っておくよ」


 首が熱い、と思わず項を掌で抑えてしまう。


「私も長く色々考えた。君の言葉を。それで、やっとすとんと落ちた。収まるべき場所に感情が落ち着いた、という感じだ。でも君からすれば受け止められないだろう。不安や疑心もあろう、ということは想像できる。私もこういう言い方しか出来んから、無理もないと思っている」


 ふうー、と深く深呼吸をして、何度も彼女の言葉を受け止めようとするが、言われた通りだ。なかなか、その言葉を素直に飲み込めない。飲み込みたいが、出来兼ねる。


「だから今度は私が、きちんと待つ番だ、良いか悪いか、すとんと、君の中で決まったら言ってくれればいい」

「そ、そ、れは、」

「君にはずっとそれをさせた、私がする番だ。苦じゃないさ、何も。だから君も焦ったりしないで欲しいんだ。私は君が良く知っている通り、料理も裁縫もてんでな女だからな」


 ははは、と笑う彼女は、昔からこうだ。突拍子がないが、俺の言葉を待つ人だ。


「わ、かった、良く、考えることにする、」

「悪い話じゃないぞ、と、言いたいが、悪い話かもしれん!!はははは!!!妻に迎えるにはいささかどころ以上で不出来なもんだからな!!」

「そんなのは関係ない、た、ただ、あれだ、その、夫婦になるかどうかはまず保留、なんだが、」


 深く呼吸をする。顔が熱いのを自覚する。夢ではない、と目の前で微笑む彼女を見て、思う。


「恋人、から、始めさせて欲しい」


 お前が好きだ、と、そればかりを俺は告げた。彼女はうん、ありがとう、と頷くだけだった。それでも、否定されないから構わなかった。悩む日も当然あったが、彼女が俺をもてあそんでいる訳でもないがしろにしている訳でもないことは伝わっていたから、今日までそれを言った。好きだと。

 今日初めて、その先を、伝えることが出来た。君と恋仲になりたいのだ、と。


「夫婦は、飛び過ぎだ、」

「ふむ、そうか、じゃあ、恋人から始めさせてもらえるかな、クラウス」

「ああ、俺も、そうしてくれると嬉しいよ、アルムボルト殿」

「恋人だぞ?私たち」


 にこにこと笑う彼女に、気恥ずかしくなる。ただ、うっすらと、彼女の目じりが赤いような気がして、咳ばらいをひとつ落とす。


「エルヴィラ……」

「はい」

「……、はっ、恥ずかしいなこれは、」


 彼女の名前をむやみに呼ばないよう、軍に所属してからは無意識、というまでに癖として叩き込んでいた。家の名で彼女の事を呼び止めることはあったが、本当に、幼い頃以来、彼女の名を呼んだ。

 それがなんだか、恥ずかしくもあり、嬉しくもある。


「確かに、久々でこそばゆいな、でもまあ、良いじゃないか。家までエスコートを頼むよ、クラウス」

「エス……、お、送るだけだ、君の家まで」

「うんうん、いつもありがとう、これからも宜しく」


 勿論、と頷くと、彼女は無邪気に笑ってみせる。


「あ、旅行の件は考えておいてくれ、君の都合がいいなら冬にならんうちに行きたい」

「わかった、考えておく。……ただの旅行だからな?」


 手は出さないぞ、という意味で念を押したが、彼女に通じたかどうかは、彼女しか知りえないことだろう。


2020/11/04

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