二度目の大東亜戦争 サイドストーリー
高宮零司
第1話 井上武美は何故「残念美人」と呼ばれるのか
ソロモン諸島での極秘作戦を終えて、元々の駐屯地がある熊本県に戻った柴山智香一曹は、憲法改正と自衛隊が国防軍へ組織改編されるに従い、軍曹という階級を与えられることとなった。二週間程度の休暇を与えられた後、彼女の所属する第8師団は先日のソロモン作戦での経験を買われて新たな任地に派遣されることとなった。
その任地の名は硫黄島、本土から1000キロ以上離れた南洋の孤島であり、日本軍と米軍とが死闘を繰り広げた、かつての大東亜戦争の激戦地である。
「それにしても過酷な環境だわ。ご先祖さまはよくもまあ、こんな暑い島でドンパチをやらかしたもんね…」
彼女はじんわりと染み出てくる汗を拭おうともせず、うんざりした声でつぶやく。
この日の気温は35度にまで届こうかという猛暑日であった。
かつて、有名カメラマンが撮影した、女性自衛官の写真にモデルとして載ったことのある彼女だが、今のだらけた姿はあまり見せられたものではない。
ちなみに彼女の姿はタンクトップに迷彩服である防暑服4型改のズボンだけというラフな格好である。
一応制帽は被ってはいたものの、ラフな姿ではある。
彼女は双眼鏡を片手に、この硫黄島の地形を把握するために高所である摺鉢山へ登ってきていたのだった。米軍の艦砲射撃をはじめとする猛攻によって形を変える前の山なので、幸い足場が崩れやすいということもない。
第8偵察隊の狙撃小隊に所属する彼女にとって、戦場地形の把握は基本的な任務の一つである。狙撃兵として周囲の地形を把握して、障害物や敵の侵攻路、戦闘のキーポイントとなる丘や橋などの緊要地形などを把握しておくのは基本中の基本である。
そして、島の地形を高所から把握するのに、ここ摺鉢山ほど適した場所はなかなかないだろう。「一度目の世界」のアメリカ軍も、上陸当初は島全体の状況を把握できるこの摺鉢山を奪取するのに全力を注いだ。
「軍曹殿、あんまりだらけた格好を晒すのはやめてください。いくら周囲に私以外の部下がいないといっても、限度というものが」
呆れた顔をしているのは智香の相棒として観測手を務める井上武美伍長。自衛隊の身長制限である身長150ギリギリの151センチという小柄な彼女だが、一時期五輪強化選手候補に選ばれそうになったほどのスプリンターであり、裸眼視力も2.5を誇る。
「…その軍曹殿っていうのやめてくれないかなあ。なんつーか、可愛くない」
「一曹ってのも特段可愛いとは思えませんけど」
「なんだなんだ、今日の武美っちは冷たいなあ」
「ちょ、ちょっと何で胸を揉むんですかっ!いい加減にしないとセクハラで訴えますよ。同性でもセクハラなんですからね」
素早く武美の背後に回りこんだ智香は、そのずっしりとした重みを感じさせる豊乳をいやらしい手つきで揉みしだく。武美も武道の達人であるからそう簡単には背後を取らせないのだが。ことセクハラにかけての情熱に燃える智香は気配を察知される前に背後へ回り込んでいる。
手の平のかたちに合わせて自由自在に変化する胸。この場に男性兵士がいたならば思わず前屈みになること請け合いの光景だが、荒涼とした摺鉢山には彼女たち以外の兵士はいない。
「…いい加減にしないと、その首をへし折りますからね」
武美の顔が戦闘モードに切り替わるのを察して、飛び退くように智香が距離を取る。
彼女はこと徒手格闘や銃剣道においては、それなりに訓練されている智香ですら瞬殺できる腕の持ち主である。彼女を絶対にマジギレさせてはならないというのは部隊員の共通認識である。
「私のおっぱいを揉んでいいのはお兄様だけですので。いいですね?」
「…いや、それ真顔で言うのはどうかと思うよ、うん」
智香は急に真顔になってつぶやくように言う。
「問題ありません。恋愛の自由は憲法で保障された重要な権利ですから。兄妹は法律上婚姻出来ないというだけで、事実婚なら問題ありません」
(いやそれ法律上はともかく、倫理的問題は多分にある奴だからね?)
そう全力でツッコミたくなる智香だが、命が惜しいのでやめておいた。
卓越した戦闘技能を持ち、座学での成績も優秀、そして協調性やコミュニケーション能力も問題ないという、狙撃兵としての
智香は上官として、友人としてその点を矯正するようにあの手この手で努力してきたのだが、その悉くが失敗に終わっている。
第8師団の残念美人コンビとして名高い所以であった。智香としては自分まで残念と表現されることに対しては厳重に抗議したいところだが。
「…真面目に仕事しようか」
「ええ、そうですね」
瞬時に兄狂いモードから、模範的国防軍兵士モードに戻った彼女は男性兵士を「瞬殺」するような笑顔になる。
-同性から見ても、本当に可愛いわこの娘。
「いや、本当に。お兄様、なんとかしてくださいよ…」
思わず小声でつぶやいてしまう智香であった。
ちなみに智香は武美の兄とは、一度だけあったことがある。
経済産業省に務めるノンキャリア官僚という話だった。
アニメオタクで長身ながら小太りの体型という外見からは、けっして彼女がいつも褒めそやしている「理想の兄」には見えなかった。まあその手の趣味人にありがちな人付き合いの悪さとは無縁のようで、趣味の事となると話が長いことを除けば常識人ではあった。
武美が言うには「官僚としては有能だが出世にはまるで興味が無い」らしい。
妹のことは大切に思っているらしく、週に一度は駐屯地に手紙を寄越す、SNS全盛の昨今では絶滅危惧種レベルの筆まめな男でもあった。
智香としては、その辺が妹の暴走の原因のような気もするのだが。
友人としては心から彼女がマトモな相手とお付き合いするようになるよう祈るしかないといったとこだ。
幸いというべきか、兄の方はNSC経済班の班長に抜擢され、戦時経済に関する作業で忙しいらしい。それ故に、最近とみに武美が暴走しやすくなっているような気がする…。
そういった頭の痛いことを思考から追い出して、本来の任務に復帰する。
バインダー式の手帳を取り出してメモを取りはじめる。これは「レンジカード」と呼ばれるもので、、周囲の状況や敵の予想侵攻路、自分の使用する狙撃銃の最大射程などの情報を盛り込みつつ、同心円が刻まれた半円の記入欄に鉛筆で周囲の状況をスケッチしていく。そして、双眼鏡で目印となる目標をへの距離を計測しつつ、最終的に
この一連の作業は狙撃の前提となる情報を把握する作業である。今回は敵の来襲が予測されるとはいえ、味方の勢力圏内であるから落ち着いて行えるが、むしろ今回のように呑気にバカ騒ぎする余裕のある状況の方が珍しい。と言っても、彼女たちにとってこれが二度目の実戦なのだが。
なお、狙撃部隊の運用方法はアメリカ陸軍の影響を多く受けている。
-その技術を今度は75年前のアメリカに向けるんだから、皮肉なものよね。
智香は海岸線を双眼鏡で観察しながら、来襲するであろうアメリカ軍を思い描く。
「国家には永遠の友はなく、永遠の敵もない。永遠なのは国益のみである、か。ジョンブルもたまにはいいことを言うわよね」
-まあ、流石にヘンリー卿も時震なんて現象を想定しちゃいなかっただろうけど。
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