アンリアル(アーカイブ)

生坊

第1章 1

Cross section 1857(断面 一八五七年)

"The Revolt"(「大叛乱」)


――Indian Sub-continent(インディア亜大陸)

  Cawnpore (コーンポー)



 赤。

 聖ガンジスの夜明けを染め上げたその赤は、大英帝國ブリティシュ・エンパイアという巨人の手のひらもまた濁りの赤に染め上げた。その血の赤こそがまた別の血を求め、大陸を跨いでそびえ立とうとする巨人を、血を糧とした鋼鉄の魔人へと変貌させていったのだろうか。

 帝國の版図はいまや七つの海の至るところを赤く塗りつぶしていた。

 すでにこの地もその赤のうちの一部。そこでさらに多くの血を流し、赤は濁りを増していく。


 暁がガンジスの川面を照らすより激しく、燃え盛る炎の赤と、おびただしい数の死者の体から流れる血の赤が、聖なる川を赤く染めている。あらゆる死を受け入れ、流し、神々の世とつながるガンジスは、この赤をも輪廻の中に受け入れるのか。

 正視に耐え難いはずのその様を、その場にいた多くの目撃者たちは食い入るように見つめていた。むしろ目に映るその惨劇から目を引きはがすことができないでいるように、その身を震わせ、口からはあるものは声にならない声を、ある者は喉の底からの叫びをあげて、ただ眼前の出来事を己の脳裏に焼き付けていた。

 血を流している者たちの多くは、忌むべき異邦の人間、大英帝國の人間たちだった。男も女も、赤子の区別もなく。軍人とそうでない者の区別もなく。

 嬉々として帝國人メトロポリタンたちを虐殺し、聖なる流れを堰き止めんとばかりに異邦人の躯の山を築いているのは、ガンジスを崇め、その流れに身を清めることこそを生きる所作していたはずの、ヒンドゥーの民たち。

 大英帝國東インディア会社駐屯部隊の現地雇用兵スィパーヒーたち。

 彼らは叛乱軍であった。

 傲慢な大英帝國の連中に反旗を翻した者たち。

 彼らから信仰を奪い、貶めようとする帝國人メトロポリタンたちに対する大義ある決起の徒。

 だが、彼らは、すでに何かが間違っているのではないか、と、心のどこかで感じていた。大事な何かを掛け違えている感じ。あるいは、向かうべき先を取り違えたまま開始された行軍の只中にいるような感覚を、虐殺の実行者たちのほとんどが持っていた。

 この混乱が生じた原因はなんだったのか、とそのうちの一人が、その手に握った帝國製のサーベルを、眼前で悲鳴を上げる帝國婦人の胸に振り下ろしながら、ふと考えた。

 なぜ、こうなった。

 そうだ、そもそもこれは何かの手違いから始まった混乱ではなかったのか。

 それなのに、気が付けば自らが望んで惨劇の主役と成り下がっている。

 何かがおかしい。しかし、そのおかしさの原因はわからないまま、その男は、始まってしまった惨劇の幕を下ろすには、逃げ惑う帝國人メトロポリタンたちを一人残らず動かなくするしかない、という破たんした思考を肯定している。

 血しぶきの向こうでは、川に浮かぶ数十隻の藁葺き屋根の船のすべてが今や炎に飲まれているのが見える。火だるまになって船から飛び降りる人の姿はもはやない。飛び交っていた叛乱軍のマスケット銃ブラウン・ベスと、帝國兵の新式・奇械MAG化エンフィールド銃の、交差する弾丸の雨もまた今は止んでいる。川岸に整備された沐浴のための階段ガートが襤褸切れの塊と化した死体で埋め尽くされている。

 男のうちで何かが、もっと、もっと、と駆り立てる。

 男の耳の奥で、金切り声のような音が聞こえているような気がする。

 その声は、幼い女子の悲鳴のように思えたが、その知覚もすぐに、自らがサーベルを振るう風切音にかき消された。

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