第2話
式のスタッフに案内され、俺と川端は人前式が行われる会場へと足をやった。会場へと続く道には赤いカーペットが敷かれており、いよいよ始まるのだな、と俺は息を呑んだ。
会場は小さく、中に入ると、正面には聖母をモチーフにしたステンドグラスが一枚飾られていた。俺たちは右手へ行き、静かに椅子に座った。まもなく席のほとんどが埋まっていった。談笑もやがて静まり、静寂が会場を包み込んでいった。
頃合いを見て、司会の女性が話し始めた。人前式が始まるのだ。あいつが結婚する。9年前、俺と湖月は一緒に戦った。俺は何度も湖月に命を救われたし、俺も幾度となく湖月を助けた。
特に最後の戦いである『月末戦争』(レニゲーテ)では実際に俺は一度死んでしまっていた。湖月のおかげで俺は生き返ることができたが、代償として湖月は月光力(ムーンライト)を失ってしまい、月に帰ることができなくなったのだ。古代月帝国の王女(アル・テミア)である彼女は、本来ならこの地球にとどまらずに、生き残った『月族』(ルナシオン)と共に別世界へと旅立つ役目があった。
生き残った『月族』(ルナシオン)の中には彼女の父親と妹がいた。母親は小さい時に亡くしている。唯一の親族である二人が別世界に旅立った今、彼女は二度と家族と会うことはないのだ。今日の式に参加しているのは、母方の祖父と祖母、そして母親の妹だ。
会場に音楽が流れ始める。よくある結婚式定番のクラシックだ。振り返るとまもなく新郎が入場してきた。
180cmはあろうか、大柄、筋肉質、短髪。いかにもスポーツマンといった風貌だ。銀縁のメガネをかけているが、この日のために用意したのだろうか。お世辞にも色男とは言えないが、清潔感があり、軽薄そうではあるが人の良さが顔ににじみ出ている。どこか川端に似た雰囲気があった。
『藤田 哲司』
招待状にあった湖月の夫の名だ。
そう、正確にはもう彼女は『湖月 沙耶』ではなく『藤田 沙耶』なのだ。
何ということだろう、彼女は由緒正しき月の名、『湖月』を捨ててこのような凡庸な名に変わり果ててしまったのだ。
『湖月』とは、すなわち月にある湖を意味する。月の湖は地下にある。『月末戦争』(レニゲーテ)の最終舞台もこの湖だ。地球上のどんな湖より美しく、透明で、幻想的。そして最も血が流れた歴史のある湖だった。ちなみに湖月は月面語で『アル・ス・ランサ』という。
そんな高貴な名前も、月光力(ムーンライト)も、彼女は捨てたのだ。俺は今も月光力(ムーンライト)が残っている。全盛期に比べたら微々たるものだが、やろうと思えばこの会場など3秒で更地にできる。
だからどうしたというのだ。俺は式場を更地にしたいわけではないし、この結婚式を止めたいわけでもない。こんな力があったところで俺の願いは叶わないのだ。
新郎の入場が終わり、ついに新婦が入場してくる。
「--湖月」
かすかに声がこぼれた。場内の誰も聞こえないくらい小さな声が、俺の喉から。川端には聞こえていたかも知れないが、きっと聞こえていても気づかないふりをしてくれているのだろう。
湖月は美しかった。その姿に俺は少し目が眩んだ。長く伸びた黒髪は、流れる川のように。純白のドレスに劣らぬ白い柔肌は、粉雪のように。長いまつげの奥にある白銀色の瞳は、湖に映る満月のように。凛として、気高く。純粋で、聡明で、可憐で、尊い。
彼女は何も失ってなどいない。何も変わらず、あの日のまま、美しいままだった。
湖月は大学に入学した当初から、皆に一目置かれる存在だった。容姿はもちろんだが、学年トップの成績に加え、王女の血筋からなのか、不思議なカリスマ性があった。そのため男女を問わず人気だった。数々の男前達が湖月にアタックをしては、撃沈していく様子を俺は何度も目撃している。
そんな高嶺の花が、俺のような平凡極まりない男といつも行動していた。地球を守るために。端から見ればさぞ不思議だったであろう。
俺は彼女とは違い、使命感や正義感で秘密結社『月の民』(グリアール)と戦っていたわけではない。気になる子と共通の話題、共通の趣味があったら嬉しい事とおなじで、共通の敵と戦っていただけだ。秘密を共有し、親密になる。そのために命をかけて戦っていたのだ。
俺は地球を守りたかったんじゃない。君を守りたかったんだ
ずっと暖めていたセリフは結局、使われること無く、本日期限切れとなった。
足元を見た。靴紐がほどけていた。
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