第26話 経済論的英雄譚

 グージィの報告によると、白灰騎士団に所属するふたりの学者は、いつも何やら難しい話をしているという。実地調査などでシェルウに知恵を貸してくれることはあるが、彼らは紙面での計算や討論など、彼ら自身の仕事をしているようだ。そのことをシェルウは特に気に止めることはなかった。

「大将、ちょっといいかな。学者の爺さんがどうしても話したいってさ」

 カトラ地方から縁のある学者プロープシュケ。シェルウが彼と差しで話すのは初めてだった。


「儂の専門は形象学でな、中でも構造論を主に研究しておる」

 例えば穴を掘って進む虫と、同じように土を掘るモグラがいる。このふたつの祖先は異なる生物でも、土を掘り進み易いように同じ手の形を取る。これを収斂という。空を飛ぶ生き物はみな翼を持つ。速く走る生き物は身を低く構える。形象学は、ものが何故そのかたちを象るのかを学ぶのだという。

 一方構造論は、象ったかたちの構造を抽象化し、樹々や河川や波や山脈のように自然に広くみられるかたちとの相似性として論ずる。例えば人体の血管は、樹木の枝葉のように全身にくまなく広がっている。樹々は空間にその血管を広げる。河川は大地を巡る循環器である、と言った具合に。

「汎用性という意味では限りなく広い。この世のすべてのものはかたちを象り、構造を持つからだ。しかし実利の点では今ひとつ。すぐに金儲けに繋がるとか、戦争に勝てるようになるかと言えば…まだ役に立つほど洗練されておらん。儂がギルドで小銭を稼いでおったのは、権力者どもの支援が受けられなかったのも理由だ。その点テッドの奴めは、北方国では大いに重宝されておったそうだ。奴は銭が専門だからな」

 ギルドの仕事は実地調査も兼ねてはいたが、どうしても雑務が増える。研究職として好ましいかたちではなかったという。

「学者にとって知識というものは、それ自体が神聖なものだ。役に立つ立たぬは二の次でな。まあそれを権力者や神殿に理解してもらおうなどとは虫の良い話だわな。白灰どのしかり、皆がみな己の神聖なものに仕えておる。構造論的には、学者は信奉者であり、政治家であり、部族の戦士であり、無名の何某かであるというわけだ」

 実際、プローシュプケの語り口は、学者というにはもっと別の得体の知れなさがあった。構造論は、実学にも哲学にも魔術にも当てはまるのだという。

「つい話し過ぎた。そんな話をしに来たわけではない」とプローシュプケは話題を切り替えた。


「邪竜は人為的に配置されたものだろう」プロープシュケは言った。

「…何故そう思われたのですか?」シェルウは聞き返す。しかし学者のことばにはすでに多くの裏付けがあった。

「その程度のことは門外漢でもわかる。昨今の戦争において最大の脅威は、竜による高度からの爆撃だ。戦前の風の国は軍事面で強国であった。邪竜による空路の妨害さえなければな。カトラ地方の海路封鎖もそうだ。自然の構造に反する、というよりは実用面での意義があまりに大きすぎる。表立って主張するには学者の籍を外されかねんだろうがな」

 プロープシュケは確かな裏付けによって話をしている。誤魔化しは通じないだろう、とシェルウは考えた。

「お尋ねしたいのは、白灰どのは亜神を配置した者たちまで相手取るつもりなのかどうか、ということだ。ヴフ帝国だけではない。戦時に皇国側に付いた国が中継して、この大陸に亜神をばら撒いたわけだ。具体的には、ここから南西の窓の国だ」

 シェルウは平静を保っていたが、全くの穏やかではなかった。邪竜発生の原因が南西にあることはクラパリーチェを介してすでに分かっていた。しかし最終的に戦うであろうヴフ皇国や"とげ"の情報は、白灰騎士団とその全てを共有しているわけではない。学者は話を続けた。

「リンドーに動きを探らせてるが、風の国の首脳にも遠回しに接触してきている。いずれは明確に白灰どのの敵となる。戦うのであれば先手を打った方が良い。今はまだ避けるにしても、工作を徹底させねばならん」

「…先生のご明察の通り、わたしの目的とは戦争の因果を取り除くことです。配置された亜神を狩ることは、それに付随するものです」シェルウは白状した。プローシュプケにとって、これは答え合わせに過ぎないというわけだ。

「イオにははぐらかされたが、白灰どのの祝福は対人間向けのものではなかろう。使

「…全く、おっしゃる通りです。ぜひとも先生の知恵をお借りしたく存じます」

「よろしい。それでは教示させていただこう。白灰騎士団に食わせてもらっているのだ、儂らも役に立たねばなるまい」プロープシュケはカラカラ笑いながら言った。


 プローシュプケの講義が始まった。助手役に北方国王推薦の経済学者テッド、受講生は白灰騎士団の面々。場所はかつて舞台であったと思われる山岳の遺跡。天蓋は朽ちて光が差している。青空教室だ。

「座学は久しぶりです。士官学校を思い出します」ササクリが言った。

「これは戦略会議でもあるのだ。皆、眠るんじゃないぞ」とガストン。自信がないね、とイオは返した。

 白石で壁に図と字を書きながらプロープシュケの講義が始まった。北方限界国とその周辺国の世界地図を書き、語った。ヴフ帝国およびその傘下の国々は、どのように覇権を握ったのか。どのように維持しているのか。各国の物流と力関係はどのように変化したのか。

「特に交易面がわかりやすい。上手な流通は水が低きへ流れるように、合理的な形を取ろうとする。川に沿い、海流に沿い、風に沿うようにな。しかしそれらが亜神と災害によって歪まされたというわけだ。戦災によって流通が歪むことで、誰が利益を得たのか。封鎖された交易、高騰した物価にも注目してみよう」

 "彼ら"が亜神や災害をどのように発生させたのかは分からない。しかし仮にそれらを操る方法があったのなら、それは富の集約を目的に行われたものなのだ。かつての自然な流通は阻害され、代わりに立てられた不自然な流通網。さらには密輸、内容は麻薬生産や奴隷産業といった、裏側の流通にも触れた。

「すまない、質問してもよろしいだろうか。これは我々白灰騎士団の、今後の展開についての話ではなかったのか。何というか、あまりにも話が大きすぎる」ガストンは尋ねた。

「もちろんそのつもりですよ、将軍。敵について知ることの重要さはご存知でしょう」

「まさか儂らが、経済を相手に戦っているとでもいうのか」

「それが現状、敵に対する最も効果的なやりかたというわけです。風の国の流通路の復活は、いずれ大きな打撃となるでしょうな」

「…単に亜神を倒していたわけではないのか、白灰どの」

「今まで討伐した亜神の多くは、何者かによって意図されたものでした。北方での討伐活動が経済の活性に繋がったという話は聞き及んでますが…わたしは冥神の使徒として、あくまで神事に関わる作法として執り行っていたつもりです」

「それが神事にせよ経済効果にせよ、同じ結果の異なる側面なのだ。構造論的観点からしても、合理的なかたちというのはしばしば相似する。それが因果関係であってもな」


 皇国の覇権事業に話を戻すと、妨害による覇権というのはいくら超常の力であっても無理がある。人の奥行きを無視した雑なやり方なのだ。商売に馴染みの客がいるように、仕事をするには横にも縦にも繋がりというものがある。商いとは金ばかりをやり取りしているわけではなく、相互の信用を前提としている。貨幣の価値も庶民の生活も、信用を元に成り立つものだ。国が信用を失い、庶民の商いと生活が破壊されたのなら…難民が生まれ、彼らは別の国へ逃れる。それも"敵"のやり口のひとつだ。

 敵と味方の区別は、戦勝国や同盟国と言ったくくり以上に複雑なものだ。北方国にも裏切り者がいるだろう。貴族のみならず、庶民の中にも内通者がいただろう。戦敗国内に得をした者がいれば、戦勝国にも利権を奪われ損ばかり重ねさせられた者がいる。たとえば国をまたがる各種のギルド、商会、神殿、辺境の原住民、流れの民。彼らを踏みにじってきた者たちが、今度は力を奪われる側になるとどうなるか。

「つまり、やつらの息がかかった者の利益、商いの取り分を奪っていくわけだ。対してこちらは儲かる。まともな経済が回れば庶民の仕事も増える。いずれは麻薬や奴隷といった違法の商いにも手が入れられるだろう」

「今後予想されることは…経済的打撃による敵国内の混乱。内乱が起こるでしょう。矛先を反らせるために他国への無理な干渉に出る可能性もあります。いずれ内々に、白灰の捕獲令なども出されるでしょうな」テッドが付け加えた。


 騎士団の面々は呆気に取られた。しかし亜神の存在により得をしている者たちがおり、彼らにとって白灰が邪魔になるということを理解し、ガストンは言った。

「話は大体わかった。いや、わからんことだらけだが…実際の白灰騎士団の身の振り方として、国家を敵に回すとなると、寡兵ではどうにもならん。逗留国も頼りになるかどうか。いずれにせよ北方へ逃げ帰るしかなくなるぞ」

「我々だけでは無理でしょうな。しかし敵の正体がわかれば、"敵の敵"の姿も見えてくる。その内には旧知の者もいるはずです。我々には、長く生きた分の顔の広さがある」

 学者の策とは、地下組織を通じて、言わば内部者インサイダー取引を行うものだった。地下組織と言えば大げさだが、これは要するに顔なじみコネクションである。彼らに亜神討伐に伴う情勢の変化をあらかじめ知らせ、流通を先取りし、勝ち馬に乗らせるというのだ。価値が上がる商品をあらかじめ用意させ、価値の下がる商品は手放させる。敵の中に金になびく者があればなびかせる。顔なじみの輪を風の国、窓の国、より多くの国に広げ、敵を丸裸にしていくという。

「そんなことができるのか?」

「できるのかではなく、やらせるのだ。接触するのは元締めだけ。無論、その道では儂らよりもはるかに優秀な連中だ。邪竜退治でまとまった金もある。支援さえあれば、くすぶってる連中の組織化も容易い。儂らはただその組織の頭同士を結びつけるだけだ」

 彼らの地下組織というものはこれから新しく作るものではなく、かつてあったものに新しく息を吹き込み、蘇らせるのだ。その具体像が分からないシェルウは尋ねた。

「…それはつまり、内乱を扇動するかたちにならないだろうか。それに支援というのも、言い換えれば賄賂だろう」

「戒律の件を心配しておられるのかな。先も言ったが、白灰どのの影響によりいずれ内乱は起きる。決起前の虐殺というかたちになるかも知れんがな。もっとまずい場合は戦争だ。むしろ地下組織による結束と"締め出し"に成功するなら、これを防ぐというかたちになるだろう」プロープシュケは言った。テッドは付け加えた。

「無論、組織の導線としても、亜神退治は続けていただく。あなたの行く道の前後に我々が絵図を引くかたちですな。分かりやすく言えば、あなたが亜神に勝ち続ける限り、我々も賭けに勝ち続けるのです」

「すでに白灰どのの手のひらに収まるような話ではござらん。悪党どもといちいち戦うよりも、手懐けた方がよろしい。元より現世の主役は人間なのだ。人間たちが率先して行うのであれば、冥神の使徒たるあなたが責を負うことにはなりますまい」ミュウ老師まで賛同している。シェルウには三人の爺が、まるで妖怪に思えた。

「…わかりました。どうか、できる限り災いを避けるかたちでお願いいたします。戒律を抜きにしても、亡者が生まれるような事態そのものを我が主はお望みではない」シェルウは言った。

「それは我々も全く同じ思いです。最終的にはこの現世に亡者と亜神がはびこる原因となったもの、それを取り除かなくてはならない」経済学者のテッドは言った。彼は白灰騎士団の銭勘定や、狩猟品の卸しの交渉などを担当していた。その胸の内を聞くのも、今回が初めてのことだ。


「邪竜討伐の祭りで、久々に馴染みの顔に会いましたよ。かつて北方限界国に交易に来て、何度も顔を合わせたことのある者たちです。彼らは言いました。これでやっと元の暮らしに戻れる、先祖から代々継いできた、本来の仕事に戻れると」

「風の国との商売では乾燥果実、茶葉、乳製品などの畜産物、竜の皮や羊毛の加工品などが盛んでしたね。戦前はこういったものが竜の篭で、北方へ運ばれておりました。戻りの籠には塩、干した魚介、金属器などを積んで。復旧にはまだ時間はかかるでしょうが…彼らの子供たちが継ぐ頃には、かつてと同じように商いができるでしょう」

 テッドは続けて言った。

「経済学者であるわたしの立場としては…この戦いの勝利とは、庶民が復興を成し遂げることで達成されるものなのです。白灰どのの邪竜討伐によって、はじめて風の国の戦いが始まったというわけです」


 こうしてプローシュプケと経済学者テッド、いのちの神官のミュウは風の国に留まり、表向きの復興支援、裏での根回し─かつて北方国内で行われた規模とは比較にならないほど強力な─国々のパイプ役を行うことになった。

「こういった戦いは腰を据えた方がやりやすい。それに、老骨に長旅はなかなか堪えるものであるしな」

 ミュウ老師は、邪竜から逃れて国の方々に散っていた僧をまとめるという。窓の国では、神官たち聖職者が迫害されているそうだ。逃れてきた神官たちをツテに、窓の国への働きかけも行っていくという。

「しかしプローシュプケどの、テッドどの。あなた方の策はまるで学者の発想ではござらん。一体何者なのだ」

 ガストンの疑問に、シェルウは全く同じ思いだった。この爺たちは一体何者だ。もしかするとシェルウにとって、亜神や政治家よりもよほど危険な存在なのではないか。

「いいえ、本当にただの学者ですよ。一生に一度の大実験を、いくらか楽しみにしていますが」

「まともな学者というのは他の者からすると、ネジが外れて見えるもんだ」


「すみません。ぼく以外の皆さんは知っているのかも知れませんが…敵というのはつまり、一体何なのでしょうか。最終的には…その、ヴフ皇国と戦うのですか?」ササクリが尋ねた。

「…大雑把に言えばヴフ皇国とその傘下ということになるが、それは恐らく違う。しかし実際、奇妙な話ではあるが…儂らはまだ、本当の敵が何であるか分からんのだ」

「一体どういうことでしょうか」

 イオやササクリはシェルウを見遣ったが、シェルウは何も言わなかった。彼自身、その実情を把握しているわけではない。敵は冥府の"とげ"を盗み、他の冥神の使徒を取り込み、人外を操り経済を掌握した。それが一体何者なのか。

「つまり語弊はあるが…儂らの敵というのは結局のところ、神なのかもしれん」

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