第22話 古城の食人鬼
そのしもべの数は、取り込まれた人間、家畜や獣を含めると、ウクバルにおける一領地に匹敵する。過去何度か討伐されたが、そのたびに蘇った。古城の食人鬼は、小国ウクバルにおける唯一の人を害する亜神であるという。
防衛線にウクバルの兵を待機させ、シェルウは竜で、ひとり亜神の巣食う城へ向かった。
「ようこそ白灰どの。お待ちしておりました」
古城の食人鬼、バーグラーと名乗ったその亜神は、その配下の規模にも関わらず亜神の格は並以下であった。おそらく力を隠していること、力を隠すだけの知性を備えていることをシェルウは察した。
バーグラーは、白灰どののお噂をかねがね聞き及んでいる、と慇懃に語った。
「それで?国々の人外を殺して周るおつもりかな。ほどほどの知性があれば、あなたを殺す方法などいくらでもある。人間を介して毒を盛るとか」
シェルウの敵は、シェルウの主の敵だ。それ以外を敵として戦うつもりはない。できる限り主リエムメネムの意向を汲み取るつもりではあるが、人間の社会は複雑だ。悪い亜神を退治して済む話ばかりではない。シェルウはバーグラーに言った。
「今回は交渉に来た。しかし望みとあれば、戦意がかたちを成す前にあなたは倒れるだろう」
「ウクバルの現国王には会われましたか?あれは駄目だ。愚か者が君臨すると碌なことになりませんな。なぜこのような小国が戦火から逃れられたか、考えずともわかろうものなのに」
地理的優位も無い小国を維持できたのは、強力な亜神としもべの軍勢が抑止力となっていたのがひとつの要因である。冥神の使徒として、必要以上の人間の死を招いた人外は滅ぼすべき存在であるが、この者がいなければもっと多くの人間が命を落としていた可能性もあるのだ。
古城の食人鬼は明確な契約としてではないものの、ウクバル国との緩い利害の一致のため、戦時よりもずっと古くからの自治領となっていた。しかし戦争の備えとして増やした獣たちが、人里へ被害を及ぼすようになったのだ。
「わたしがその件であなたを責めるつもりはない。しかし、しもべの数は減らしてもらおう。今後も人的被害が続くのなら、冥神の使徒として戦わざるを得ない」
「本来であれば行きどとかない枝葉を狩るのは人間の仕事ですが、白灰どのの顔を立ててお約束いたしましょう。愚か者のウクバル国王には、あなたの方からよろしくお伝えいただきたい」
「もっとも、白灰どのが話のできるかただとはわかっていましたよ。神の使徒は過去何人かお会いしたが、あなたは中々見所がある。それだけの力を持ちながら、人間どものしがらみを抑えておいでだ。ただ神の命に従う犬とも言い難い」
バーグラーの話では、北方限界国で白灰が狩っていた亜神の多くは外様、つまり戦時に紛れ混んだものだという。人外にも縄張りがあり、相互関係の社会が存在している。中でも社会性を強く持つ亜神、バーグラーは"亜人"と自嘲した、それはお互いを避けながら、時に人間に紛れて広く分布しているという。いつか出会った餓鬼なども末端だろう。北方限界国の人外たちに白灰の情報が漏れ伝わるのが早かったのは、これが理由だ。
「ならば取引をしないか」シェルウは言った。
「おや、冥神の使徒の方からそのことばが出るとは。どんな恐ろしい取引かな?」
シェルウが望んだのは情報である。バーグラーを通じて人外の
これはシェルウ自身が表と裏の情報を合わせて判断し、人間の手駒になりきらないための自己防衛でもある。人外は自らの秩序を重んじるという点では人間よりも信用できる。ウクバル国の政治家たちは、古城の食人鬼がどれだけ残虐で悪辣であるかを語った。しかし庶民を守るのは政治家の仕事だ。彼らはその責務を果たしていると言えたのか。しもべの暴走で犠牲になるのは下々の者たちだが、元よりシェルウには全てを救うつもりなどない。
実際、今回シェルウが対話を選んだ理由も、学者たちの情報に基づき、亜神の活動に意志と根拠を感じ取ったためだ。シェルウ自身の力が増したため、それを担保に交渉する余地があった。主より授かった力である以上、その正しい用い方は常に考えていかなければならない。
古城の中にはバーグラーのしもべとなった人間たちが仕えていた。亜神へ血を捧げることで、その力を分け与えられたという。血のやり取り、ただそれだけで虜囚とし、増えたしもべたちは肉を食らう。無思慮に増やせば、ウクバルのごとき小国は容易く飲み込むことができるだろう。
「食人鬼などと呼ばれておりますが、わたし自身はすでに滅多に食べることはない。血をいただくだけです。血の扱いは人間にとって共感呪術の名残に過ぎないが、我々にとっては未だ大きな意味を持つ。我々人外は象徴的な生き物だ。白昼夢や、破綻の結末のような、物語そのものです」
人外は人間が聞かない音を聞き、見えないものを見る。遠くで起こったことと近くで起こったことの区別がない。葉の落ちる軌跡がわかる。人のこころが見える。
「同盟は"敵の敵"として、と言いましたな。しかし白灰どの、あなたはいっそ我々の仲間になるべきだ」
「どういう意味だろうか」
「白灰どのは今のところ上手く世渡りされているようですが、その立場は微妙だ。ましてや亜神との同盟なぞ、人間たちの目には裏切りに映るのではないですか?人間はただ目の前にある物質しか見えない。その距離を見誤り、人間に殺された使徒は過去にも少なくありません」
「それに白灰どの、あなたは人間よりもよほど我々に近しい。身体の面だけではなく、こころの有り方さえも。あなたにはまだ眠りが必要ですか?人間と同じ食事を取ることに意味を感じていますか?わたしにはそうは見えません」
「いずれにせよ我々は滅びる定めにあります。わたしもかつては礼儀のない使徒などを返り討ちにしたこともありましたが、今ではそれさえも怪しい。やがて人間に討たれるか、そうでなければ獣として生きるか、市井に紛れて細々と人を食うか…」バーグラーは言った。
「ヴフ皇国では亜神が殲滅されたそうだが」
「亜神だけではありません。この地で人間に崇められる神々でさえ、彼の地では否定されております。しかしそのために、今や人間世界におけるもっとも発展した土地となったのでしょう」
シェルウは古城の地下へ案内された。罠を疑うべき状況ではある。しかしシェルウは、不眠に鈍らされた思考に反するように冴えた、霊的な感受性に従った。
鉄格子の部屋で呆けたように佇む食人鬼の娘は、バーグラーが人間の女との間に設けた混血だという。
「娘を人質に差し上げます。これは人よりもむしろ、本来の食人鬼に近い。先々の土地の
また、しもべが増え過ぎてしまったのはこの娘のためでもあるという。複数の亜神格がひとところに留まれば、それだけ地域への影響力も増す。
「血を交換してやってください。半神のあなたの血であれば十分に釣り合う。相互契約の証が立てられる」
「待ってくれ。血は少々問題がある…なにか他のもので代用できないだろうか」
「まさか印章やサインで契約ができるとでも?人外の力が制御下に無ければ困るのはあなただ。まさか今更、罠を疑ってはいないでしょうな」
「いや、むしろこれはわたしの罠だ。わかった、しかし何かあったら止めに入っていただきたい」
格子戸の鍵を開け、バーグラーは娘の指先を爪で刺した。シェルウはその血を舐める。
次にシェルウは指先をナイフで刺し、娘に差し出した。娘はその指を咥え、それから恍惚とした表情でシェルウの指をねぶりはじめた。バーグラーは異変を感じ取った。
「…おい、なにをはしたない真似をしている。腹は減っていないはずだろう」
娘は牙を剥き、シェルウの手に噛み付いた。興奮状態だ。バーグラーは止めさせようと掴みかかったが、投げとばした。鉄格子がひしゃげるほどの力だ。力を隠したままの父では、まるで相手にならなかった。
冥府のアムリタで育ったシェルウの血の味は、人外にとって抗えない魅力がある。シェルウはかつて、その血と"ことば"で冥府の亜神を葬ってきた。十分に血を吸わせ"こころ"を奪った後で"ことば"の縛りをかけるのだ。
「止めろ」シェルウは娘に命じた。
しかし娘は止まらない。シェルウの手から滴る血を夢中で啜っている。"ことば"を理解していないのか、それに抗えるほど強いのか。シェルウはさらに強いことば、相手の実存を掴む"ことば"を使った。
「止めろ、半人。おまえが飲んだ血の償いをしろ」
「すまない、あなたの娘を支配するかたちになった」
「かまいません。これが自分で招いたことだ。それに、娘がここに居続ければ、やがてわたしが食われていたことでしょうな。親殺しもまた、物語の定型のひとつだ」
地面に伏した半亜神の娘は、これから "自分が飲んだ血の分だけ償わなければならない"。シェルウの血だけではなく、これまで啜ってきた全ての血の分を。
別れ際にバーグラーは言った。
「それでも、あなたへ丸ごとくれてやるは小さくない。ひとつ"貸し"ということにしましょう」
シェルウは娘と共に竜に乗り、古城を発った。
止むを得ず強いことばで従わせるしかなかったが、結果的に半亜神の娘を支配下に置けたことは悪くはない。緩い契約であれば、連れ回した先で人を害することがあったかも知れない。しかし、とシェルウは考える。
厄介払いと同時に冥神の使徒への貸しを作った点で、バーグラーは利益しか得ていない。さらにしもべと引き換えではあるが、ウクバル国への口添えも約束させている。人外の取引に偽りはない。ただ、もしこれらが計算尽くのことであれば、
「おまえの名前は何だ」シェルウは半亜神の娘に尋ねた。
「そんなものは無い」娘のことばには怒りが込もっている。
「ではクラパリーチェと名乗れ。人間の名前だ。力を使う時以外は人間のように生きろ。帰ったらまず服を着るんだ」
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