愛とは呼べない夜を越えたい

八重垣ケイシ

前半戦


「私、告白されました」


 と、私が言ってみると目の前の識羅しいらは半目になって、じっとりとした顔で訝しむように私を見る。なんで? そんな顔は学校でしたこと無いのに。そのままボソリと聞いてくる。


「で、由歌ゆかは、どうする?」


「えーと、付き合ってみようかなあって、うふふ」


 あ、つい顔がニヤケてしまった。識羅しいらはと見ると腕を組んで目を瞑り、しばらく考えてから、はあー、と深く溜め息を吐いて、


「ニマニマしてそんなことを口走る……、由歌ゆかが病気になってしまったか」


「しいら、ひどいっ!」


 に、ニマニマしてた? ほわい? してない、と思うよ、してたかも? だってしょうがないじゃない? 告白されちゃったんだもの。それをなぜ病気呼ばわりされねばならないのか? まったくもう識羅しいらは。

 その識羅しいらは私をまだ半目で見たまま小首を傾げている。


 今日、私は学校で同じクラスの仲野なかのくんに、『俺と付き合わないか?』と、言われた。

 え? あの仲野君が私に? と驚いた。

 私は、付き合わないか? なんて言われたのが初めてで、どう答えたものかとわたわたとうろたえていると、仲野君は恥ずかしそうに小さな声で、『返事は、次でいい』と言って。で、ささっと行ってしまった。耳が赤くなってて照れてた。うん、あれは照れてた。

 背の高いスッとした仲野君が照れりこするのにキュンとなった。むふー。

 そして私は人生初の男子から告白されるイベントに舞い上がってもいた。いやー、私ってモテるの? うっひゃ、なにこの教室イベント? これが学生らしさというもの? ついに私に春が来たの? ほほー。


 それで報告と相談を兼ねて、幼馴染みで同じクラスの識羅しいらに話してみたところ、識羅しいらはなにやら思い出しながら苦い顔をする。


「仲野、か。確かフェンシング部の男だったか?」


「うん、カッコイイよね。シュパッとしてて」


「最近、由歌ゆかを見る目がサカッてるようだったか」


「しいら、サカるとか獣の発情期みたいな言い方しないで」


「違いは無いだろう。人間のオスに明確な発情期は無く、ウサギと同じで年中発情期というだけで。それで由歌ゆかはどうするつもりだ?」


「ん? んー、仲野君でしょ? 物静かで優しい人だし、付き合ってみるのも、えへ、いいかもなあって」


「あぁ、由歌ゆかも病気にかかる年頃か……」


 口が悪いなあ、病気って。

 学校じゃ識羅しいらは特大の猫を被ってて、お嬢様みたいな感じで振る舞っているのに。クラスのお姉様みたいなポジションに納まってるのに。学校ではですます調で話しているのに。


 私の幼馴染みで親友で悪友で腐れ縁で長い付き合いの識羅しいら

 同い歳、同じクラスの女の子。

 

 幼稚園の頃から一緒にいて、私にとって側に識羅しいらがいるのが当たり前だった。どこか浮き世離れしたような、ふっとしたときにどこか遠い違うところからこっちを見てるような、そんな同い年の幼馴染み。


 識羅しいらと言えば幼い頃から神童ぶりを遺憾なく、欠片漏らさず発揮して、これ、表現あってる? とにかく頭の良さとか、学問以外でも音楽や運動とかでもいろいろとずば抜けてた。ずば抜けてたのを隠しもせず、これでもかと遠慮無く発揮した。リアルチートガールだ。


 才能とは、あまりにも突き抜け過ぎると嫉妬することも比べることもバカらしくなる。

 え? それはないわー、というところまで行くとなると、大人が褒めるより先に引いてしまうという驚きのものが識羅しいらの才覚。

 なんて言うのかな? 例えて言うなら、ピアノの発表会で子供が頑張っている中で、一人だけ子供の格好をした一流のプロが乱入してたら、そしてその人が全力で演奏したなら、浮いて見えるし大人は引くだろう。そんな感じ。


 そして識羅しいらは子供の頃は家族にも容赦が無かった。自分の両親に対しても手加減無しで正面からぶつかった。


『論理的に間違っている』

『感情に流され過ぎて理性的な判断では無い』

『過ちを正さずに愚行をいつまでも繰り返すのが人間らしさとは、それは人類全体をバカにしているのか?』


 と、親に向かって一切の容赦が無かった。いや、人ってなんでも論理で片付けられるものでもないし、習慣なんて起源も理由も解らず、皆がしてるから同じようにしてる、なんてことで丸く治まるものもあるよ。

 朝はおはようで夜はこんばんわ、なんでそうと決まったかはしらないけれど、これで通じるし問題は無い。

 

 だけど昔の識羅しいらは相手が親でも家族でも親戚でも、バカにはバカだ、とちゃんとハッキリ言う子供だった。

 そして小学生の子供に正論でやり込められて、言い返せなくなってキレた識羅しいらの父が識羅しいらに殴りかかった。大人気おとなげ無いよね。だけど、逆に識羅しいらにカウンターされて投げ飛ばされて肩を脱臼した。識羅しいら、容赦無い。


 自分の子供に知力と弁論で勝てなくて、その上に腕力でも勝てなくなると識羅しいらの父は家に帰って来なくなったという。

 会社で寝泊まりしたり、車の中で寝袋で寝たりとか。情けないというか、意地っ張りというのか。


 私は自分のことがバカだって知ってるからね。識羅しいらにバカ、と言われても、うんそうだね、って言ってた。それが私には当たり前だったし。

 識羅しいらの言うバカは、相手をバカにするバカって言う見下した言い方じゃなくて、観察してバカなことをした人になんでそんなバカなことをする? て言ってるだけだった。

 バカにする、というよりは、どうしてそんなことをするのか、という興味から尋ねるような言い方だった。


 なんて言えばいいかな、スゴク性能のいいコンピューターとか、異星の宇宙人が、地球人を調べるような、地球人の考えを知ろう、というような、そんな感じ? 

 識羅しいらはそこまでヘンじゃ無いけど、分かりやすく説明したらこんなとこ。


 それで識羅しいらの家族は、識羅しいらと一緒に暮らしていると疲れる、息が詰まる、と言って離れて暮らすことになった。

 今では識羅しいらは一人でマンションで暮らしている。なんてリッチなお嬢様。それも識羅しいらは自分で稼いでいるからなんだけれど、何で稼いでいるかは秘密だと言う。株とか仮想通貨とか? 識羅しいらならなんでもアリにしてしまいそうだけど。


 私と識羅しいらが今、話しているのがその識羅しいらが住んでるマンション。私がよく遊びに来るところ。よくお泊まりしている。

 識羅しいらのマンションの中だと、識羅しいらは素が出る。学校じゃ無くて、同級生も先生もいないところだから。ここだと識羅しいらは私に、遠慮無く好き放題言う。言ってくれる。歯に衣着せず、被ってた特大猫をポイして。


 まぁ、識羅しいらの素の状態を見たことあるのって私しかいないんだけど。

 学校でこの識羅しいらの本音を私が言っても、同級生も先生も誰も信じないだろーな。それぐらい学校の識羅しいらの大猫かぶりはパーフェクトだ。そういうところも手を抜かないのが識羅しいらだ。


 世のご家族のご両親は、子供の頭が良いのを望んでるみたいだけど、子供が親の頭を軽くビヨンドする知性があると、こんな苦労もあるみたいですよ?


 頭が良いから人が悪いのか。

 人が悪いから頭がいいのか。

 良くも悪くも無くとも、頭が良い人とは悪く見えるものだろうか。悪く見られてしまうものだろうか。

 人を正しく評価して、評価された方が怒り出すのは、自意識過剰だったのか、他意識過少だったのか。


 理性と論理で判断できれば、好き嫌いの感情は邪魔になる。未知のことで情報が足りないことなら、そのことに詳しく無ければ、判断するのは好きか嫌いかになるんだろうけれど。


 直感と本能で決める人には感覚と感情が重要になるけれど、経験と理性で論理から決める人には感情は不要、というか邪魔になる。

 極端な話、考えるのが本当に得意な人には好き嫌いの感情なんて要らないってことらしい。そういうことを前に識羅しいらが言ってた。要らないんだ感情、へえ?


 識羅しいらは頭が良過ぎる、というか、人とものの考え方が違う、というか。

 本人にも自覚はあるようで、今では学校では別人のように振る舞う。特大の猫をスッポリ被って、昔と違って周囲との摩擦とか隔絶とか、いろいろと誤魔化したり、とりつくろったりとか、できるようになった。


 小学生の頃はクラスで孤立してて、いつも私と二人だけで遊んでたのが嘘みたい。

 今ではクラスの頼れるお姉さまだ。クラスメイトは困ったことがあると識羅しいらに相談したりする。

 識羅しいらがそうなったのには私が役に立ったみたいだけど、私にはどう私が識羅しいらの役に立ったのか解らない。いったい私が何をしたとゆーのだろ?


 ただ、識羅しいらは学校にいるときと、私と二人きりのときのギャップがヒドイ。多重人格なんじゃないかと思うくらい差がある。ジキルとハイドなのか、アリスとテレスなのか。


 そして今晩、私が男子に告白されて、るんらー、と浮かれていたら識羅しいらに病気だって言われた。病人だって。そりゃ恋の病とか言ったりするけどさ。

 

「しいら、なんで私が、告白されて付き合おうっかなってなったら、ビョーキ呼ばわりすんの?」


「恋愛なんて病気だろう? 何が違う?」


「なにもかも違うと思うの」


「生命とは性感染する病原菌だろうに」


「そんなヒドイこと言うなんて、生命をビョーキ呼ばわりするなんて、もっと生命を大事にして」


「その文句はRDレインに言ってくれ。それに間違ってもいない。男と女が恋愛という病気にかかることで、人間は男女がくっついて子作りして子孫繁栄してきたんだから」


「しいらは恋愛をそういうふうに見てたの? 学校じゃ人の恋愛相談にのってたりしてたのに」


「あんなものは心理学の応用だ。私は恋愛感情は理解している。ただ、私自身は実感したことが無く必要性も感じないだけだ」


「しいらが枯れてる。まだ十代なのに」


「はん、恋愛なんてものは端から見てるだけで十分。コロシアムで戦うのは剣闘奴隷で、それを客席で見て楽しむのが観客だろう」


「恋愛がローマの剣闘士扱いだ。奴隷扱いだ。そんな恋愛ドラマは知らないよ」


「恋は闘いでもあるのだろう? ドラマチックなぶつかり合いを見せて、血生臭いことになることもある」


「えー? 流血沙汰になる恋愛は少ないと思うの」


「流血事件にでもなるくらいのバカ騒ぎは見て面白そうだ。だが、事件にならなくともある意味で生臭くはなるのか?」


「どうして?」


「処女の流血事件に男は興奮するのだから、血生臭いのも間違ってはいない」


「処女の流血事件?」


「初夜」


「生臭いというか生々しくなってきた!」


「しかし、由歌ゆかがそんな生臭い病気になるとは……、嘆かわしい」


 予想以上にヒドイ言われようだ。私、生臭いらしい。月と星、並べて書くと、なまぐさい。季語無し。


「だが、恋愛という病気にかかるということは、由歌ゆかは人間として正常ということでもあるのか」


「病気、病気ってもう。しいら、恋愛が病気ならどうすればいいっていうの?」


「周囲が反発、反対する程に恋愛とは盛り上がる。障害があるほどにドラマチックとなり、当の本人達はより入れ込むことになる。常習性があり、無理に引き離せば離脱症状が出る。恋の病とは厄介な病気だ」


「離脱症状って、恋愛をやめさせるのが、なんだか禁酒か禁煙みたいに聞こえるよ? 麻薬なの?」


「中毒性も似ているか。だが恋愛には治療法がある。その二人を結婚させてしまえばそこで終わりだ」


「恋愛のゴールは結婚?」


「結婚してしまえば恋愛という病気はおさまる。そして一度おさまってしまえば、『何故、私はこんなクズな相手に惚れて熱を上げていたのか?』と我に返って言い出すようになる」


「なんかもう、夢も希望も無いなあ。そんな人ばかりじゃ無いと思うよ?」


「人の平均寿命が短い時代は、結婚は死が二人を別つまで、という契約もできたが。寿命が伸びたからには、時間の経過から興味の対象に飽きる、という問題も出てきた。恋愛なんぞ病気が治まり相手に飽きたら終わりだろうに。そこも一時の熱病と変わらない」


「しいら、は人を好きになったこと無いの? ちっさい頃よりは人付き合いするようになったじゃない?」


「人が解ってきたから対応も解ってきた。クラスメイトには、学者的アプローチよりは政治家的アプローチがいい」


「なに? 学者的とか政治家的って?」


「学者は相手が知識を求めて、ある程度の知性があることを前提とする。対応するタイプは限られるが、互いに深い理解で会話ができる。政治家的アプローチはその真逆だ。不特定多数の中で、最も知性が低い者にも分かりやすく納得しやすい話し方を心がける。短い一文センテンスを重要視して、言い方を変えて似たような内容を繰り返すことで、相手には通じあったように思わせることができる」


「しいらはクラスメイト相手になんか、変な実験してない?」


「人生そのものが壮大な実験みたいなものだろう?」


 むー、なんでそういうことを識羅しいらはニヤリとしながら言えるのかな。識羅しいらの情は人と違って何かズレてる。識羅しいらはまるで無情ってわけでは無いんだけど。識羅しいらの優しさは私以外には分かりにくいみたい。

 アレだアレ、悪趣味もセンスのひとつってヤツ。ゼロじゃ無い。識羅しいらなりの情がちゃんとある。誰にも理解されないけれど。


 識羅しいらは恋愛感情は実感したこと無いって言うけど、こういうときは楽しそうな顔をする。ニヤニヤとしてぜったい楽しんでる。だから楽しむ、というのは実感してるのだろう。

 学校では周囲に合わせて上手く楽しんでるフリとかしてるし、そこは昔よりも上手くやってる。だけどそーいうの、昔から識羅しいらを見てきた私には解るんだから。

 識羅しいらがフリで笑ってるか、ほんとに笑ってるか、それが解るのは私だけなんじゃないかな。


「私は、由歌ゆかがその仲野ナニガシと付き合うのは反対だ」

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