第32話 素敵なオジサマとデートしちゃうぞ!

 トイレから出てすぐ、私は近くの精気ドリンクの自販機コーナーに行った。精気ドリンクを一本キメて深くため息を吐く。駄目だった。イライラが止まらない。そんな時だ。


「あれ?夢咲さん?こんなところで何やってるんだい?」


 ロメロ先生が私の前を通りかかった。白衣ではなく、背広を着ていて、左手にはカバンがあった。どうやら帰宅するみたいだ。


「さっきまでユリシーズと話してたんだけど、彼女オフィスにいる君をディナーに誘うって言ってたんだけど、会えなかった?」


 なるほどね。あいつ私に最初から話があったわけだ。


「ええ、会いましたよ。でも気に入らないんでフってやりました」


 ちょっと気取った言い回しになってしまった。ロメロ先生は私に怪訝な目を向けた。


「喧嘩したって事かな?そっか…。なら僕とどうだい?ディナーでも」


「それってレンタル彼女ですか?」


 私としては今は誰とも話したくなかった。ユリシーズのせいで嫌な自覚が芽生え始めていた。だから冗談めかして遠ざけたかった。例えロメロ先生相手でも。


「そうだね。ちょっとこのおじさんに甘い夢を見させてほしいね。だけどパークには内緒にして欲しい。どう?外で食べない?美味しいお店知ってるよ。君もきっと気に入る。おじさんとデートしよう」


 ロメロ先生は唇に人差し指を当てて可愛らしくウインクした。私はその様子に思わず、吹き出してしまう。


「あはは!先生!そんなポーズ全然似合ってないよ!くく、あははははは」


「ありゃ。残念だね。でも笑ってくれたね」


「…ええ、笑わせられちゃった。あーあ。笑っちゃった。いいよ。外に連れてってください。…ちょっとお話聞いてくれませんか?」


「いいよ。いくらでも聞く」


 結局のところ年上の男には子供扱いされるしかないのかも知れない。だけどこんな風にデートに誘われることにどこか高揚感とウキウキとした楽しさを感じてしまったのは本当だった。同時に誰かと喧嘩してすぐに男と会ってその気持ちを紛らわせようとするような行為にビッチ臭さを覚えてどこか寂しい気持ちにもなった。




 ロメロ先生はタクシーでパークから一番近くの繁華街まで私を連れてきてくれた。商店街の中にある雑居ビルの地下にあるこじんまりとした焼肉屋さんに私は連れてこられた。


「ここネットとかには名前も出してないんだけど、すごく美味しんだよね。出す肉の質もいいんだけど、自家製のタレとサイドメニューの野菜サラダのドレッシングへの熱い拘りがそそられてね。僕の持論だけど本当に美味しいお店は細部にこそ美味が宿っているって思ってるんだ」


「へぇ。先生も意外に饒舌なんですね。いつもは聞き役みたいな感じなのに」


「そりゃデートだからね。自分のことばかり喋るさ。男の子だもの。蘊蓄大好き」


「うふふふ。やだもう!パークにくるお客さんみたい!あはは」


 いつもは優し気なまるでお父さんみたいな人なのに、何処か子供っぽく見えてなぜか可愛く見えてしまう。だからパークの子たちにもこの人は信頼されているのかも知れない。メニューはよくわからなかった。私はこういう隠れ家的なお店に来るのは初めてで勝手がわからなかった。


「先生。こういうお店はじめてなんです。何を頼めばいいんですか?」


「そうだねぇ」


 私は先生と一緒にメニューを覗き込んだ。先生は私に決めることを急かしたりはしなかった。写真を見ながら私たちは他愛のないお喋りをして、頼むものを決めて行った。先生の一押し一品と私が試してみたいもの、そして先生も食べたことがなかったもの。そんな他愛のない注文がとても楽しかった。頼んだメニューはすぐに来てくれた。七輪の上に私たちは肉を並べていく。


「っ…!この肉美味しい!舌の上で溶けたんですけど!」


「くくく、言っただろう?美味しいってね」


 正直眉唾で半信半疑だったけど、先生の店選びのセンスは本物だった。箸がすごい勢いで進む。


「最近。ずっと精気の味ばかり気にしてました。お腹が減ったって言えば精気の方のことばかり。でも普通のお食事も美味しかったんですね。忘れてました」


「最初のうちはよくあることなんだ。吸精と普通の食事という行為の区別がつきにくくなることは。レンタル彼女とかキャバとかでお客さんと一緒にご飯食べても味気ないんじゃない?」


「ええ、そうです。精気も一緒に吸ってたりすることがあるんで、なんか感覚がごちゃごちゃで。…私もう人間じゃないんだってそのたびに思って…」


 自分の体が否応なく変化していることに戸惑いをまだ感じていた。


「サキュバスは人間でないって思ってる?」


「…人間なのは人間かも知れません。でもやっぱり何かが違う。ズレてる。この体は自分の為にあるわけじゃないんです。全部吸精のためにあります。食性の為に最適化されてる。最近自分が自分でないような気がしてならないんです。この間もそう。私お客さんを魅了で操ったんです。気に入らないお客さんで、だから跪かせてグラスを犬の様に舐めさせた。男も悦んでた。でも私も愉しかった。お母さんが言っていたんです。色香を使って男を惑わして利益を得る女を母は毛嫌いしてました。昔の私はそういう女にならないようにならないようにと母の言いつけを守ってきました。でも…無理でした。楽しいんですよ。自分の魅力で男が右往左往する様を見るのが、困っているのを見て、私の為に何かをしようとしている姿に背筋が震えるくらいの充足を覚えるんです。私はもう母の言いつけを守れません。ねぇ先生」


「なんだい?」


「私って美人ですか?」


 世間の人が聞いたら反感を買うこと間違いなしの言葉だ。少なくとも私は他の人がこんなことを言っていたら鼻白むこと間違いない。


「うん。君はとても美しい顔をしているよ」


「…そうですよね。だからもう無理です。もう戻れない。私は私の美しさを自覚してしまった。この気持ちいい力を手放せません。もう私は自分自身に私はブスだと言い聞かせられない。私をブスだと言い聞かせ続けてきた母の言いつけはもう守れそうにありません」


 自分をブスだと思い込むことで、私は母の歓心を買いたかった。でもそんなものは結局のところ意味のない無駄な努力で終わってしまった。


「なるほどね。君はお母さんに好かれたいがために自分を醜い子だブスだと言い聞かせていたわけだ。とても悲しいことだね」


「典型的なんでしょう?後天型サキュバスとその母親の関係の険悪さって」


 ユリシーズも私も母親と上手く行かなかった。サキュバスになってこれ幸いと捨てられた。


「…そうだね。かなり多く見られるんだよ。後天型の子はサキュバスになる前から美しすぎる容貌を持っているから、何かと周囲と男性問題でトラブルを起こしがちなケースが多くてね。それで母親が参ってしまうなんていうことが多い。あとは…」


「嫉妬でしょう?」


「まあそうだね。あまりその言葉だけで片付けたくはないけど、娘の美しさに強く嫉妬してしまい、それ故に母親側が虐待やネグレクトなんかを起こすケースも多いんだ。君はそれにぴったり当てはまるパターンだね。女性の美しさは行き過ぎると暴力になるのかも知れない。そういう意味じゃ君のお母さんは君に傷つけられた被害者だったとも言える」


 そうだろね。私はこの間、その力を自覚的に振るった。私を巡って争う男たち、自分たちを放っておく男たちに絶望して泣く女たち。それはただの暴力だった。サキュバスはこの世界にいるだけで不和を招く異物だ。


「先生…私嫌だよ…。サキュバスなんて嫌なの…。暴力に酔って、色香に酔って、力を振るっては悦になってハイになってラりっててみっともなくて厭らしくて…。居場所がなくなっちゃった…!私どこにも行くところが無くて寂しいの!寂しいよう!」


 涙があとからあとから止まらない。自分を憐れんで止まらなくなる涙なんてきっと母が一番嫌うビッチの泣き方だ。でもそれでも今は泣きたかった。先生は何も言わずにハンカチを私に渡してくる。私はそれを受け取って涙を拭く。


「ねぇ先生。本当に私たちって人間に戻れないんですか?…ごめんなさい。馬鹿な事聞いちゃった。そんなこと出来るなら政府が当の昔にやってるよね。でもね、でもね先生!いやだよ。このままあんなおかしな牢屋で朽ちていくのは嫌なの!私たちは死ねない。ずっとこのまま年も取らずに同じ姿のままであそこにずっと居続けるなんておかしいよ。私はおかしいって思ってる。でもあそこにいる人たちはそれを自覚してないの!それか知ってても知らんぷりしてるか、諦めてるの!そんなのいや!絶対にいや!私外の世界で積み上げたものがあるの!家族だっているの!帰りたい!帰りたいよ!元の世界に帰りたいの!帰りたいよ!帰してよ!なんで帰してくれないの!私は頑張ったよ!ずっとずっと頑張ったよ!どうしてなの!どうしてそれなのにその頑張りのゴールがあんなところなの!…先生…お願い。救ってよ。今すぐ私を救って…。あの遊園地から救って…。男の人ってそういう時の為にいるんでしょ?女の子が困ってたら助けてくれるんでしょ?ねぇ…救って…私を救ってよ…」


 懇願と愚痴と嘆きと憤りと怒りとそれ以外のグチャグチャした纏まらない負の感情全てを私は先生にぶつける。八つ当たりしたかった。ロメロ先生にならぶつけても許されるって勝手に思っている。


「夢咲さん。残念だけど君たちを今すぐに救える方法はこの世界にはないんだ。僕たちが君たちにしてあげられるのは妥協の場を与えることだけだ。ごめんね。何もしてやれないんだ」


 そして先生はこの私の八つ当たりに付き合ってくれた。それが私にはたまらなくうれしい


「そうですよね。ごめんなさい…。困らせてごめんなさい」


 涙で先生の顔が滲んで見える。でも先生の顔には確かに困ったような感情が見え隠れしてる。男であるこの人が女の私のことを考えて困っていることに私は悦を覚えていた。せめて自分を慰めたいっていう卑しい思い。軽蔑すべきサキュバスの呪い。


「いやいいんだよ。君の気持ちが聞けて良かった。でもわかった。今の君に必要なのは救いの言葉ではなく、納得できる理由だ。そうすれば足を止めずにすむのだから」


 先生はテーブルに置いてあったビールの残りを一気に飲み干す。男らしいと言えば男らしいがどちらかと言えば自暴自棄にも見える飲み方だ。先生はいきなり回り始めただろうアルコールで顔を真っ赤にしている。


「夢咲さん。サキュバス・エンプレスの噂は知っているね?」


「はい。知ってます。最強のサキュバスは政府から願い事を叶えてもらえるって。それで外に出たサキュバスがいるって。でもただの都市伝説なんじゃ」


「パークの上級職員として断言する。その話は事実だ。かつてたった一人だけど帝国政府からサキュバス・エンプレスに認定された子がいたんだ。その子は政府と取引を行い、パークから卒業した。公式記録からは抹消されたけど、確かにパークにいたのは事実だ」


 先生の目は真剣だった。この人がくだらない嘘をつくとは思えない。つまりサキュバス・エンプレスの話は本当のことらしい。

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