第33話 そして彼女は決意した。

「でも先生。例え外に出たとしてもサキュバスのままなら意味がないんじゃないですか?」


 外に出てもサキュバスのままだと碌なことにならない。魅了はある程度はコントロールできても、不測の事態はいつ起こってもおかしくはないのだ。私に魅了された男が私の知らないところでおかしなことを仕出かすリスクはいつでも付き纏う。サキュバスは普通の生活を送ることがかなり難しい。


「そうだね。確かにその通り。でもエンプレスになることで重要なのはパークを所管している帝国政府上層部と直接コンタクトがとれることに意味があるってことなんだ」


「総理大臣とかですか?選挙の後援パーティーにでも潜り込んで近づいた方が楽じゃないですか?」


「パークを管理しているのは内閣とか議会じゃないんだ。陰謀論みたいで口にするのは恥ずかしいんだけどね。帝国政府の裏に影響力を持ったある『組織』があるんだ。その組織がサキュバス保護法を成立させ、帝国各地にパークを作ったんだよ」


 最近はネットとSNSの広がりによって陰謀論が人々の心を捉えやすい時代になってしまったと思う。あまりにも突拍子もない話なので私はあっけにとられてしまった。


「先生…。酔ってますよね?」


「うん。酔ってないとこんなこと言えないんだよ。まるで中学生の妄想みたいだからね。でも事実だ」


 先生の目は真剣だった。そしてサキュバスが持ちうる男性心理の洞察力がロメロ先生は嘘をついていないことを告げていた。


「そんなぁ…マジなんですか…」


「話を続けるね。その組織はサキュバスについて何か重大な情報を握っているらしい。おそらく公表されると世界が混乱しかねないレベルの秘密なんだと思われる」


「そんな秘密あるとは思えないんですけど」


 陰謀論なんて言うのは所詮はお伽噺に過ぎない。どこか国の大統領の暗殺の真相を宇宙人のせいにしてみたりすれば一時のエンタメを楽しめる。どうせそういう話の真相なんて利権を巡る退屈ないざこざかなんかだろう。秘密とはそんなものでしかない。この情報化した時代で人々は秘密なんてものを抱えてなんていられないんだ。現に私がサキュバスなのは今でもネットの片隅にきちんと残ってる。削除申請してもどうせまたアップされるので私は諦めた。


「そうだね。得てして陰謀論のオチなんて大したことがない。だけどその組織はその秘密を本当に重要視してわざわざサキュバスたちをあんな遊園地まで作って集めようとしている。サキュバス保護法の成立は恐ろしく強固な世論の反対を抑えて通して法案なんだよ。いまでもパークの廃止を標榜する政党があるし、世論はサキュバスたちを恐れてる。あるいは差別したがってる。そんな状況下なのに組織は大きな事を君たちを使って成そうとしている。ロクでもないことをね」


 少し引っ掛かった。先生の語りにはその陰謀のディテールを詳しく知っているようなにおいが感じられるのだ。根幹に触れないように私に何かを伝えようとしているようなニュアンス。


「その秘密が何なのかはわからない。だけどそれを知れればサキュバスについての研究は大きく進むはずだ。君たちを人間に戻すための方法もそれで見つけられるかも知れない。僕はそう思ってる」


「だからサキュバス・エンプレスなんですね。その組織って奴に接触できる唯一のチャンス。そいつらからサキュバスについての隠された秘密を手に入れれば私は人間に戻れるかも知れないわけですね」


「そうだよ。もちろん君にとっては眉唾な話だから信じるか信じないかは任せるけどね」


「そうですか。」なるほど…」


 私は腕を組んで少し考え込んだ。突拍子も無い話。先生は嘘を言ってはいないが、同時に真実をボカしてもいる。多分この人はその組織って奴と会っているんだろうと思われる。守秘義務か何かを負わされているような感じだ。その組織がやろうとしていることをかなり詳しく知っているような感じさえする。同時に核心には触れられていない。そんな空気。それでも私にチャンスの在処を伝えようとしているのは間違いない。なら答えはもう決まってる。


「信じます。私は先生のことを信じてみたいです」


「…ありがとう。そしてすまない。ほんとうにすまない。こんなやり方しか君は用意できなかった」


「いいの。謝らないで先生。私はか細い可能性でも、それに縋るしかないんだから」


 それに他にやれることもない。今のところパークの仕事くらいしかやれることがない。他に出来ることをやるのは生活の張りを考えてもありだと思う。どうせもうすべて失った身だ。顧みるものはない。


「先生。どうやったらサキュバス・エンプレスになれるの?教えて」


「サキュバス・エンプレスは各地のパークの序列トップの中から選ばれることになっている。だからまずは序列一位を目指してもらうことになるね」


「序列一位。パークで一番偉いサキュバスのことですね。ロミオが言うにはパーク業務の成績と戦闘力で決まるって話ですけど」


「そうだね。その二つが大きなパラメータになる。実は序列決めの基準はその組織が毎月一方的に僕らに送ってくるんだよ。残念だけどその詳細な基準については守秘義務があるんで言えない。だけど戦闘力についてはわかるよね?とにかく強ければそれでいいんだ。組織も戦闘力を殊の外重要視している。最近ユリシーズたちの闘技場派閥が外の企業とのタイアップ決めたでしょ?」


「ええ、スポンサー契約と動画の配信が決まったって聞いてます」


 私の接待が効いたとは思いたくない。だけどあの私がグラス舐めさせたお客さん、あれ以来偶に私のこと指名するんだよね。ドMかよ。キモ。


「パーク内の広告はともかく、動画の配信はかなり異例の事態なんだ。知っての通りサキュバスの魅了は録画された映像や写真でも有効だ。微々たるものだが吸精も可能。動画の配信は原則として認めないのが帝国政府の方針だったのに、闘技場の動画だけは最近あっさり許可が出たんだ。組織が手を回したんだよ。彼らは裏で陰謀ごっこをやってるくせに、サキュバスたちの存在を世に知らしめたいみたいな行動をよく取るんだよ。サキュバスの戦闘を世界に見せてどうしたいのかまではわかりかねるけど、何らかの目的があるんだろうね」


「サキュバスを戦わせたがってるし、人々にそれを見せたがる。さっぱり目的がわかりません。お金が目的ならわかるけど、そうじゃないなら皆目見当がつきませんね」


「そうだね。とにかく序列一位を目指すには戦闘能力が絶対不可欠だ。まずはそこを目指してほしい。夢咲さん。だから君には闘技場に出て欲しいんだ」


「闘技場ですか…」


 戦うことにいい思い出はない。性的快楽と暴力そのもののプリミティブな悦びが心を乱すあの感覚には危険な依存性があるように思えてならない。


「闘技場への出場をパークは奨励している。闘技場派閥以外の派閥からも良くあそこの試合に人を出すんだよ。この間牢屋にで一緒になったハーキュリーズとアリスターの二人も闘技場によく出場するんだ。あの二人の対戦カードは人気だね。いつも仲良く喧嘩してるよ。派閥同士の葛藤もあそこで解決するようにパークは指導してるんだ」


「話し合いで解決できないような抗争はまずい気がしますけどね」


 一般社会で何か個人間あるいは組織間で葛藤が生じた時は弁護士とかが登場するものだ。ここではそう言うことさえなく殴り合いで決めるという。原始人かよ。社会性が皆無としか思えない。


「パークの派閥争いは結構ガチだからね。なにせパーク内の興業の予算配分が掛かってる。みんな真剣なんだよ。派閥は仲良しグループじゃない。株式会社サキュバス・パークの社内カンパニーに近いんだ」


「どっちかっていうとヤクザか何かじゃ…」


 派閥のリーダーのロミオなんかはヤクザの親分みたいな雰囲気を感じる。たまにこの仕事はオレらのシマとか縄張りとかって言葉を口にしたりもしてる。


「まあそういう側面があるのは否定しないかな。派閥内部は疑似的な母子あるいは姉妹関係とかに似た疑似的な家族関係を構築してるからね。ただ同時に離合集散も激しい。派閥の解散はよくあることでもある。サキュバス情勢は複雑怪奇だよ」


「とにかく闘技場ですね。わかりました。私は闘技場で戦うことを選ぼうと思います」


「うん。頑張って欲しい。応援するよ」


「ありがとうございます。…そう言えばユリシーズが闘技場派閥のトップですよね。彼女に出たいって言えばいいんですか?」


「そうだね。管理は彼女がやってる。…あれ?そう言えば今君たち喧嘩中だっけ?僕が間に仲裁しようか?」


 先生の助け舟はありがたい。将来を見据えて行動を起こすならば、先生に間に入ってもらってユリシーズとはとりあえず和解し、大人のお付き合いに移行するべきだ。だけど。だけど。


「いいえ。大丈夫です。仲直りは自分でやりますよ。もう子供じゃないんだし」


「そう?それは良かった。君たちはちょっと危うい感じがあるからね。何かあったらすぐに言ってね。助けになるから」


 ロメロ先生に頼りたい気持ちはある。あれもこれも困ったことがあったならいつでも傍にいて欲しい。だけどそれは餓鬼んちょかビッチの考え方だ。私はユリシーズとの葛藤を抱えているが、それは自分の手で解決したい。そうしなければ前には進めない。サキュバスたちは互いの葛藤を闘技場で晴らす。ならば私がとるべき道はきっと一つだろう。




 つまらない陰謀論と闘技場の話を終えた後、私たちは日々の他愛ない話で盛り上がりながら焼肉を楽しんだ。それは本当に普通のデートみたいな感じだったかもしれない。まあ年の差があり過ぎて外から見たらそうは見えなかったかもしれないが。だけど楽しかった。本当に楽しかった。普段の仕事で男の人と話すときは本当に楽しくない。話していることは案外ロメロ先生と大して変わらないんだけど、何かが違った。それが何のかは恋愛経験とか男性経験に不足した私にはわからないんだけど、きっと素敵なものだと私は思う。そして会計になったとき、先生はレジでクレカを出した。知っている人は知っている高級カードだ。というかロミオに教わった。太客を見抜くための工夫なのだ。先生は何も言わずに全部奢ってくれるらしい。そういうスマートな支払い作法には女としては嬉しさを感じる。だけど私はそのカードを先生に使わせたくないと思ってしまった。私はカード持った先生の手を押さえる。そしてこう言った。


「先生。割り勘にしません?」


「割り勘?別に気を使わなくてもいいよ。僕は大人だし、大した額でもないし」


「違うの。このデートを特別にしたいの。私レンタル彼女の時はいつもお客さんに全部出してもらってるんです。お客さんと先生を同じように扱いたくないの。だから半分出させて。お願い…」


 今日この日のデートに特別感が欲しかった。ただ焼肉食べてお話しただけだけど楽しかった。それだけでも思い出としては愛おしい。でももっともっとそれを愛おしい記憶にしたい。だから半分っこにしたいんだ。


「ふふふ。君は面白いことを言うね。わかったいいよ。半分にしよう」


「ええ、半分こに」


 お会計はちょうど半分に出来る値段だった。私はきっちり計算して半分出した。先生もまたぴったり出せた。そしてお会計が済んで店員さんからレシートを渡された。今日食べたものの名前がずらりと並んでいる。


「これ貰ってもいい?」


「いいけど。何に使うんだい?」


「内緒!」


 別に何かに使うことはないと思う。だけどきっとずっと取っておくことになるだろう。だってこれがちゃんと自分の意志で初めてしたデートなのだから。店を出てすぐに先生は配車アプリでタクシーを呼んでくれた。タクシー代はおごりらしい。それは黙って受け取ることにした。


「じゃあまたね」


「うん。先生。今日は楽しかったよ。またね」


 私は一人タクシーに乗ってパークに帰った。何処か満たされた気持ちで心を弾ませながら。






 操を見送った後、ロメロはアプリを使って自分の分のタクシーを呼び、それが来るのを待っていた。そしてロメロの前に一台の車が止まる。それはタクシーではなかった。黒塗りの高級車であり、ナンバーは政府専用車両の番号になっていた。運転席から降りてきた燕尾服を着た美女がロメロに声をかける。


「ロメロ先生。ご自宅までお送りします。中にどうぞ」


「わるいけど僕が呼んだのは、普通のタクシーなんだ。こんな高級車なんかじゃない」


 ロメロは目を細めながら、燕尾服の女の申し出を断った。そして後ろの席の窓をこんこんと叩く。それで後ろの窓が少し開いた。後ろの席に女の姿が見えた。派手な十二単を纏っていて顔にはベールをかけていて形はわからない。だがロメロはこの女が誰かを知っていた。かつてパークにいたサキュバスの一人。


「やあ、ユア・マジェスティ・サキュバス・エンプレス。今日はどんな御用かな?せっかく可愛い子とデートできておじさんは年甲斐もなくウキウキしてるんだよ。その気持ちに水を差さないで欲しいね」


 冗談めかした口調だったが、ロメロの声は冷たいものだった。ロメロは車に乗っている女、サキュバス・エンプレスのことを警戒していた。


「というか君、夢咲さんを監視してるんだね?彼女に何を期待してるんだ?」


 エンプレスはロメロの方に少し顔を向けた。その声は甘ったるい音色なのに不思議と威厳に包まれていた。


「ロメロ先生。あなたがあの子を心配している気持ちはわかります。ですがこちらとしても様々な可能性は試したいのです。何せ計画は2000年前から続いているんです。手を抜くわけにはいきません。わたくしには最善を尽くす義務があるんです」


「くだらないね。組織が考えていることはどう考えても、子供の夢想の類だ」


「残念ながら夢想ではありません。むしろそうであったならばよかった。わたくしはいつもそう思っています。夢咲操さんには素質があるように思えます。あの子には可能性を感じるんです」


「先に唾をつけておこうって事かな?だからわざわざ僕の前に姿を見せたんだね?あの子のことを僕に誘導させたいから」


「誘導だなんてつもりはありません。ロメロ先生には介添え人をお願いしたいだけです。昔わたくしをエンプレスに導いてくれたように、あの血塗られたヴァージンロードを歩くしかない操さんを導いて欲しいだけです」


「それを誘導と言うんだ。僕はあの子にヒントは出した。か細い可能性だけど、一つの道を示しただけ。それ以上はしない。あの子がどこへ向かうかはあの子自身が決めることだ」


「残念ですが、サキュバスのわたくしたちに自分自身の歩く道を決める自由はないのです。ただ道なりに歩んでゴールに至れるか否か。それだけしかない。先生、奥様によろしくお伝えください。今日はこれで失礼します」


 そうエンプレスがいうと窓は閉まった。そしてすぐに燕尾服の女が運転席に戻り、車は何処かへと走り去ってしまった。ロメロはその車をただただ悲しそうな目で見送った。







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