第10話 じろじろに気づかぬふりを。

 食堂でロミオに因縁を吹っ掛けられて、胸揉まれて凹まされた私は自室に帰ってきた。これ以上ここにいるべきではない。ここにはまともな奴が一人たりともいない。私は貰った規則書とサキュバス保護法の法文に目を通して、あるアイディアに至った。すぐに一階にあるコピー機で規則書のとあるページをコピーした。そして必要事項を埋めてサインし、管理室の窓口へ向かった。


「これを提出します。すぐに検討してください」


 私は窓口の女性兵士に規則書からコピーした外出届と、住所変更の申請書を提出した。

 兵士は私から受け取ったそれを手に取ってニヤニヤしている。


「へぇお前サキュバスなのにちゃんと漢字が書けるんだな。偉いじゃないか!」


 兵士は周りの事務員と兵士たちにその紙を見せびらかす。腹が立つがここで反抗しても仕方がない。


「法律上、住所変更の申請の届け出があった場合、それはすぐに検討されるべきだと書いてあります」


「それで?」


「すぐに偉い人の所に持って行ってください。私、引っ越しますんで」


 また兵士たちは笑い出す。胸の中にドロドロとしたものが溜まっていって息苦しい。だけど耐えないといけない。


「どうした皆?なにか面白いことでもあったのか?」


 下品な笑い声の中でも良く通る声が聞こえ、そちらへ振り向く。するとそこには坊主頭の女軍人、アルヴィエ中佐がいた。長身だからか迷彩服が良く似合ってる。


「隊長!見てくださいよこれ!新入りがロミオの洗礼を喰らって、もう根を上げたんです!住所変更の申請ですよ!」


「ほう。住所変更ねぇ。見せてみろ」


 アルヴィエ中佐は部下から私の申請書を受け取って目を通した。そしてニヤリと笑って私に目を向けた。


「ここに書いてある住所はお前の実家だな?これはどういうことか説明してくれないか?」


「その申請書に書いてある通りです。ここの生活環境は著しく劣悪なものです。サキュバス保護法には私たちの自己決定権を最大限に配慮すると書かれています。住所についても同様です。メディカルナノマシンの接種を受けており、さらに監視を受け入れることを同意し、当局の許可があれば、外で生活することは許されています」


 正直当局の許可を得るのはかなり難易度が高い。だが私は今まで模範的な帝国市民として慎ましく生きてきた。家族も素行は優良だ。他のサキュバスたちとは違う。許可が下りる可能性は十分ある。


「ふむ。確かにそうだな。だが審査があるのはわかっているな?」


「ええ、もちろん。ですからこれも」


 私はブレザーのポケットからさらに申請書を取り出し、アルヴィエ中佐に渡す。


「なるほど外泊願いね。申請する外泊期間は住所変更の審査が終わるまで…。なるほどなるほど、厭らしく法律の抜け穴を突いてくるね。流石は超名門のウェスタリス大学の学生さんだ。こういう絡め手をお前らビッチが使ってくるのは初めてだな。…いいだろう。許可してやる」


 アルヴィエ中佐は私の申請書に承認のサインをしてくれた。あっさりと事が運び拍子抜けすると同時に嬉しさが込み上げてくる。これでここから離れられる。元の生活に戻れる。


「しかしつくづく思うね。学があっても馬鹿は馬鹿のままだ。私もロミオもお前にはしっかりと教育してやったのに、まだ弁えられない」


「痛いだけの行いに学ぶことなんてありません」


「痛いからこそ強く学べるんだがね。お前は知識からしか学べない馬鹿だ。だからしっかり経験してくるといい。お前がいったい何に生まれ変わったのかをな」


 こんな嫌味はこれ以上聞く必要はない。私はアルヴィエ中佐に一礼して窓口をさっさと後にした。




 スーツケースには予備の眼鏡もあったし、教科書の類もちゃんと入っていた。特に眼鏡は大事だ。これは母が私にくれた大事なものだ。だけど以前とは違い、私の目は良くなってしまった。だが度が合わず視界が逆に不明瞭になる。あとで眼鏡屋さんによってレンズを交換してもらおうと思った。私は準備を整えてサキュバス・パークの外へ出た。気分は脱獄囚。だがそれは後ろめたさではなく、解放の高揚感だ。パークは駅に隣接していていて、そのままスムーズに電車に乗れた。遊園地のユーザビリティの高さがうかがい知れる快適な接続だ。急行電車で20分くらいで帝都の中央についた。そこからローカルに乗り換えて、大学に向かう。このいつもと変わらない通学の風景がたまらなく愛おしい。だけど、何か違和感があった。


『なあなああの子かわいくない?』『だよな。なんかメッチャヤバい。眼鏡美人』『あの制服、ウェスタリス大の付属だよな?勉強も出来てあんなに綺麗とかすごいな!』『どうする?声かけちゃう?』『ばか!俺らじゃ偏差値足りないだろ!』『高嶺だなぁ』


 いつもよりも電車の中がうるさく聞こえる。耳が良くなったせいかも知れない。しかし男ってどうしようもないな。いつもこんなくだらない話をしてるのか。近くにうちの付属の女子生徒がいた。派手目のグループでけっこう可愛い子たちだ。ふと彼女たちと目が合った。なんか嫌そうな顔してる。きっと彼女たちは男子にあんな厭らしい話の対象にされて辛いのだろう。美人に生まれるのも大変だな。私にはよくわからないけど。そして付属校のある第三キャンパスの最寄にとまり私はそこで下りる。学校に着いたのは始業時間ギリギリで、私は教室に駆け込んだ。派手グループと違って私みたいな地味グループは遅刻しても恰好がつかない。間に合ってよかった。教室の端に私の所属するグループがいたので、近寄って挨拶する。


「みんな、おはようー。今日携帯のアラームセットし忘れて電車乗り遅れちゃった!危なかったよーまじで焦っちゃった。うふふ」


 いつも通りの挨拶。だけど返事はなかった。


「…え?夢咲さんなの…?」


 私のお友達たちはみんな私の顔を見てきょとんとしてた。知らない人を見るような目で私を見てる。


「やだなーもう。なに言ってるの?当たり前でしょ?」


 別に事故の前後で顔は変わってない。私はなんども鏡を見てる。いつも通りの根暗ブス顔は健在だ。


「う…うん。そうだよね。でも変だな。たしかに顔が変わったみたいに見える気がしたんだけど…よく見れば変わってない…あれ…でも…」


 戸惑っているみたいな感じだったけど、変わってないことはしっかりわかっているらしい。


「うん。昨日ちょっと実験遅くまでやっててさ。それで疲れてるんだと思うの。ほら疲れとストレスって顔に出てブス加速するじゃん。そんな感じだと思うの」


「あなたがブス?…何それ…そんなことないでしょ」


 地味グループの子って本当に優しい。だから居心地がいい。私が自虐ネタを振ってもそんなことないよって言ってくれるもの。派手で可愛い子たちならだよねーマジブス!とかっていって馬鹿にしてくるだろう。実際昨日の疲れはわりとまだ残ってる。体ではなく主に心の方でだが。だがこうして外に出てきたので疲れはじきにとれるだろう。多分今の私の顔にはそういうのが色濃く出ているはずだ。ブスに視線が集まる時とはすなわちよりブスになった時に他ならない。だからクラスメイトの視線が私に集まってる。女子たちは汚いものを見るようなドン引きの目を私に向けてる。男子はいつも通り私の無駄にでかい胸ばかり…じゃなかった。男子はいつもと違って私の顔を見てる。なぜかぽーっとした緩い幸せそうな間抜けな面。おかしいいつものクラスの雰囲気じゃない。


「おはよう皆!ホームルームをはじめるぞー!席についてくれ!」


 私が戸惑っているところにちょうどよく担任の男性教師が入って来た。クラスメイト達が先生の号令に従って自席に戻っていく。私も自分の席に座る。


「あれ?全員いるね」


 先生が私に怪訝そうな目を向けた。


「君は夢咲さん…だよね?いつもと違うね…。髪型変えた?」


「そんなことないですよ。昨日と同じです」


「おかしいなぁ…別人みたいに見える。まあいいや。ところで今朝、君のお母さんから家庭の用事で今日からしばらく学校はお休みするって連絡があったんだけど」


 どうやらそういう処理になったらしい。政府は登校を控えるように言っているそうだが、学ぶのは国民の権利だ。私はその権利を行使したい。


「用事はキャンセルになったんですよ。だから来ました」


「へーそうなんだ。それならそうとできれば事前に連絡欲しかったな。さて連絡事項だけど、皆もニュースで見てると思うけど、大学部の第一キャンパスで魔導科学の実験中に事故が発生しました。幸いケガ人等はいませんでしたが、こういった事故はあなた方にも無関係ではありません。付属校においても実習で魔導実験などは行っています。油断が事故を招くこともあるので皆さんも気を抜かないようにしましょうね。あとマスコミさんが何か取材に来ても相手にしないようにしてください。またSNSなどに憶測を投稿することなども厳に慎んでくださいな。実際すでにSNS上ではこの事故について様々な憶測が無責任に垂れ流されています。事故を起したのは違法な実験だっただの。それで女性がサキュバスになっただの。そのサキュバスが野次馬相手に吸精しただの、という馬鹿馬鹿しい投稿がバズってます。そういうくだらない炎上騒ぎには加担しないでくださいね」


 残念ながら色々と噂が流れてるようだ。だけど私がそのサキュバスだとは誰も気づいてないらしい。なら大丈夫。私は日常に帰って来た。そのはずなんだ。だけどやっぱりおかしい。さっきから先生はずっと私の方ばかり見てる。怪訝そうな感じじゃなくて、楽しそうというか嬉しそうというか、そう見える顔。何か違和感ばかりを感じながらも私はこうして外の生活に帰ってきたのだった。






 


 


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