私とパフェ

紀之貫

私とパフェ

 あなたは、パフェを何分で食べるだろうか。


「いきなり何を言っているのか」と思われる方が、おられるかもしれない。しかし、ファミレス等でパフェを目の当たりにすると、「早く平らげなければ」という思いが私の脳裏によぎる。


 もしかすると、私のことを単なる早食いと思われた方が、おられるかもしれない。実際、私は食が遅い方ではない。

 しかしながら、私はデザートの類に関して言えば、出来る限り時間を掛けて楽しむタイプだ。「終わりよければ全てよし」とは言うが、一食の締めくくりの余韻を、どうにか長引かせて楽しもうという意識が働いているのかもしれない。


 そんな私ではあるが、パフェを食すとなると話は別だ。長い時間を掛けて、などというのは論外である。もちろん、私にとってもパフェはデザートに入るのだが……。

 なぜ、さっさと平らげてしまうのか。それは、パフェを構成するそれぞれの材料が溶け合うのが、どうも苦手だからだ。


 実を言うと、この文章を執筆するに当たり、パフェの食べ方を検索してみた。すると、混ぜる食べ方もあるようだ。そういう食べ方を好まれている方がおられたら、以降の文章は、気に障る部分があるかもしれない。「まぁ、そういう奴もいるのだな」程度に捉えていただければ幸いだが、ブラウザバックしたほうが良いと思う。


 私は、パフェを混ぜない。それどころか、具材が勝手に混ざり合うのも、ちょっと……気に入らない。我ながら強迫観念的になっているようにも思うが、何かしら言語化できる理由があるかも知れない。異様に早くパフェを平らげることに、職場の同僚から突っ込まれた私は、この機に自身のパフェの食べ方について見つめ直してみることにした。


 まず、混ぜてグチャグチャにすることに関しては、おそらく抵抗感がある。タダでパフェをおごってもらえるとしても、それをかき混ぜることを条件にされたのなら、私はその者にパフェを突き返すか、あるいはジェラートでもおごってもらうだろう。

 かき混ぜることへの抵抗感は、もしかすると「もったいない」という意識から来るのかも知れない。私はパフェを作れない。というか、どうやって厨房で作っているんだろう? 工場で一本一本生産していて、それを冷蔵庫で冷やしているだけなのではないかと思うくらいだ。

 ここで、あのうっとりするような層構造を、厨房の誰かが手掛けていると仮定する。すると、それを崩してしまうことには、かなりのもったいなさと、いくばくかの罪悪感を覚える。誰かがドミノ倒しをやっている横で、ドミノに息を吹きかけるような感じだ。

 あるいは、そういう積み上がった物を崩すことに、一種の背徳的な快感があるのかもしれない。そういう感覚を楽しむのも、パフェの食べ方だというのであれば、なるほど。私はやらないものの、理解はできる。


 自分の手で混ぜたくない一方、材料が勝手に溶け合うのも気に入らない。特に気になるのがコーンフレークで、私がさっさとパフェを食べてしまうのも、もしかするとコーンフレークの存在が大きいのかもしれない。


 実を言うと、私はコーンフレークがそんなに好きではない。というか、牛乳でビショビショになった奴が嫌いだ。あと、歯の間に詰まるとイラッとする。

 いきなり話が飛んで申し訳なく思うが、私の家系は、おそらく夜型人間なのだと思う。朝はみんな弱い。父がどうかは良くわからないものの、母と兄弟が朝弱いのは知っている。私もそうだ。

 それで、朝はコーンフレークがよく出てきた。(たまに、チョコ味で丸くてコーンじゃない奴も出たものの、便宜上コーンフレークに含めるものとする)そんな朝食事情があって、ふやけたコーンフレークを食う日も相応にあった。あまり良い思い出とは言えない。


 話をパフェに戻す。パフェに入っているコーンフレークについて、私がどう思っているかというと、少し微妙なところだ。というのも、ごく少量であれば食感のアクセントになるからだ。

 しかしながら、時間経過とともに食感が損なわれ、あのふやけたコーンフレークを食う羽目になる――そう思うと、私のスプーンはズンズン掘り進んでしまうのだ。

 おそらく、私がパフェをかき混ぜたくないという気持ちは、コーンフレークの存在とも無関係ではない。かき混ぜる過程でコーンフレークが砕け散れば、ふやける前に選んで取り出すのは、事実上不可能であろう。それこそ、早く完食してしまわなければ。それに、混ぜたことでふやけるまでの猶予が短くなる可能性も無視できない。


 ここまで、コーンフレークについて書いてきたわけだが、結局は「ふやけると気に入らない」という一言に尽きる。その感覚がよくわからないという方は、トンカツ屋のことでもイメージすれば、理解の助けになるのではないかと思う。

 トンカツの傍らには、だいたいキャベツが盛ってある。それにドレッシングがかかっている場合もあるだろうし、なくてもキャベツ自体が多少は水を出す。だから、気の利いたトンカツ屋ないし定食屋であれば、足のついた網の上にトンカツが載っている。

「いささか神経質ではないか」と思われる方もいるかも知れない。実際、私はトンカツの衣に関してはそこまで気にしないが……なんか水っぽくなって衣がベロンと剥がれるよりは、表面の粒が立ってサクサクが保たれまままでいる方が、やはり誰の目にも好ましく映るのではないかと思う。

 トンカツ以外で言えば、ティラミスだ。一番下の生地(正式にはビスケットらしい)がビショビショになっているのを食べたときには……まぁ、そういう食べ物なのだと納得することにしたものの、食感はどうも気持ち悪かった。


 ここまでパフェの早食いについて説いてきたわけだが、もしかすると、ちゃんと味を楽しめているのか疑問に思われた方もおられるかも知れない。

 ここまで、具材が混ざり合うことや、コーンフレークがふやけることなど、私が不都合に思うことにばかり触れてきた。だから、ここからは早く食べることで生じる、パフェの魅力について触れようと思う。

 パフェの具材は、コーンフレークのみならず、時間経過で変性する物は他にもある。たとえばアイスクリームがそうだし、スプーンを突き入れただけで、フルーツソースなどは他の層に混ざりに行くこともあるだろう。

 そういった移ろいやすい具材が、その形を保っている間にスプーンを突き刺し、口に運ぶ。すると、それぞれの具材単体の味に加え、それらが溶け合う味の変化も楽しめる。これは、完全に混ぜ合わせては楽しめない。

 そして、溶け合いやすい具材の中にあってこそ、ふやける前のコーンフレークは、味の変化の中に食感の妙も加えてくれる。やはりこれも、かき混ぜてはなし得ないことだ。


 だから、私はパフェを早食いする。同席する相手に奇異の目で見られても。

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私とパフェ 紀之貫 @kino_tsuranuki

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