⑨ 時間の花と願い

 こちら、クリスマス屋台でショッピング後、ベンチで彼と休憩中のせいら。

 あたしは今、超絶幸せ。

「あぁぁ、シュタイフちゃん、ピンクバージョン! 飛行機でガイドブックを見た時からずっと、あなたを抱くと決心していたわ。これは運命だったのね」

 むぎゅーっと、そのピンクのテディベアをほっぺにすりつける。

「超絶かわいいわ~」

 ぎゅーっ。

 ぎゅ、ぎゅーっ。

 となりではかみやんがお財布をさかさまにしてとほほと嘆いている。

「ちくしょう。ドイツ高級ブランドのぬいぐるみなんか買わせやがって」

「ぬいぐるみじゃないわ! シュタイフちゃんよ!」

「メーカー名まんまじゃねーか」

 彼のとなりに腰かけた星崎さんがなだめる。

「まぁまぁ龍介、よかったじゃないか。せいらちゃんが喜んでくれて」

 わしゃわしゃと頭をかいたあと、かみやんはちょっといじわるな笑顔。

「そっちは苦戦してみるみたいすね。彼女にふられて一人すか?」

「な。ちが……。ちょっと強引にしたら、恥ずかしがられてしまって――いやなんでもない」

 まぁ~。

 星崎さんてば、やるわ。

 満足げに目の前の木彫り人形タワーを眺めていると、その下に、見知った女の子の影をみつけた。

「シュトゥンデちゃん!」

 ダーグレッドのローブはやっぱりちょっとふしぎな感じだけどすてき。

 あたしの声にきづいたのか、きょろきょろとあたりをみわたしたあと、こちらをとらえた彼女は、笑顔でかけよってきてくれた。

「せいらさん」

「あなたも来てたのね!」

「え、えぇ」

 なぜか気詰まりそうな笑顔になった彼女に、

「彼に、アップルパイ、渡せた?」

 そうきくと、ぎゅっと抱えている紙袋を抱きしめた。

 昨日みんなで、パン屋さんを数件回ってみつけた、保存のきくアップルパイがそこには入っている。

「いえ。まだ……」

 ぶはっとホットワインのカップから口を離したかみやんが、言う。

「せいらこそ、愛しい彼に甘いもんの一つでも奉仕しろっつーの」

「なっ」

 昨日知り合った彼女とお菓子めぐりをしたことは、夕食の席でぜんぶ彼たちに話してある。

 ワインのせいなのかちょっとだけ危うげになった目つきでかみやんはこっちを斜めに見る。

「別に、高価なもんでなくたっていいぜ? たとえば」

 むぎゅっと、ほっぺを挟み込まれて――。

 ぺちっとその手をはらいのける。

「やっ。かみやんのばかっ」

 だめだめ。まだそれは。

 いくらなんでも、早いわ。

「だいたい調子がいいの、かみやんはいつも――」

 いつものじゃれあいがはじまってしまって。

「せいらさん、幸せそうです……」

 シュトゥンデちゃんのつぶやきもきく余裕がなかった。

「話はきいてるよ。夢ちゃんたちのお友達だね」

 かけられた声に、わたし、シュトゥンデはゆっくりと振り返りました。

 さらさらの青みがかった黒い髪に、切れ長の瞳。

 その人が優しくこちらを見つめています。

「はい」

 彼のことは夢未さんからきいて知っていました。

 星崎幾夜さん。

 夢未さんととても豊かな時間を過ごしてきた人。

 今宵のわたしの――ターゲット。

「仲良くなってくれて、ありがとう」

 わたしはうつむきました。

「――あの」

 複雑な戦略や、知略、そういったものを、ボスのケーニヒは使いこなしていましたが、わたしにできるのは、単刀直入なお願いだけです。

「あなた様の時間の花を、わたしに少しだけくださいませんでしょうか」

 彼の瞳が、ふしぎそうにしばたたかれます。

 そしてふっとまた笑いました。

「個人の時間が花になったもの。ミヒャエル・エンデの世界みたいだね」

 わたしはうなずきました。

 ミヒャエル・エンデという人が書いた『モモ』の物語をこの人はご存じのようです。

 ならば話は早いです。

「そうなのです。わたしは『モモ』という本から参りました。時の番人、マイスター・ホラの娘なのです。信じてもらえないかもしれませんが」

 星崎さんはかるく額に手をあてて、つぶやかれていました。

 今夜は一滴も飲んでないはずなのに、とか。

「あなた様はとても豊かな時間をお持ちですので、時計塔を目覚めさせることができるかもしれません」

「時計塔……あれのことかい?」

 星崎さんが視線を向けたのは、市の奥にあるマイセンの仕掛け時計の塔。

 わたしは沈黙で肯定の意を伝えます。

「そうなれば、世界の時間は巻き戻り、すべては無になります」

 その眉がふいにひそめられました。

「時間を戻すことで、きみになにか利点が?」

 どうやら呑み込みの早い方のようで、少しほっとします。

「ただ一つ、過去を変えることができます。あなた様は、変えたい過去があるのではないですか」

 つかれたように、彼の瞳が見開かれました。

 しばらく黙って木のテーブルをにらむと、彼は答えます。

「……そうだね。変えることができるとすれば、一つ」

 再びこちらに向けられた瞳は、悲壮な決意に満ちていました。

「あの子に両親との時間をあげたい」

 わたしは心中、ひそかにふっと息を吐きました。計画道りです。

「父親に会いたがるあの子に会ってはいけないって。強くそう言うたび、どこかで胸をえぐられる思いがしていた」

 星崎さんはぐっと、奥歯をかみしめました。

「こう認めるのは非常に癪だが、あの子の父親が病にかからず、ずっと一家で暮らしていくのがいちばん、よかったのかもしれない」

 そしてまた、もとの穏やかな表情に戻って星空をあおぎます。

「もしそれが、叶うというなら。オレの時間くらいいくらでもあげるんだけどね」

 わたしはじっと目を閉じ――その『了承』を、受け取りました。

 そして、再び瞳を開き、微笑みました。

「ありがとうございます。なんとお礼を……。それでは失礼して」

 背伸びをして、彼の首筋に――触れました。

「――っ」

 もう聴こえるのは、やすらかな寝息だけ。

「あれっ。先輩、どーしたんですか」

「星崎さん! やだ、起きないわ。お疲れだったのかしら」

「ヘンだな、飲んでるわけでもないのに」

 背中に隠した右手にはクリスタルのように透き通った、百合の形状の花。

 星崎様。

 あなたの願い、たしかに預からせていただきます。


「ケーニヒ」

 待ち合わせの時計塔に向かう一本道で。

 ひっそりとたたずむ漆黒の彼に、わたしは言葉をかけました。

「あの、わたし、お渡ししたいものが」

 ぎゅっと、胸に押し当てた紙袋が音を立てます。

 そこから香る甘いりんごの香り。

 ところが彼はそんなものには見向きもしませんでした。

「時間の花は」

 まばゆい市の光にもかかわらず、目の前が、暗くとざされた気がします。

「……ここに」

 わたしは後ろ手にかくした百合のような花を、彼に差し出しました。

 吟味するようにそれを顔に近づけると、彼は言いました。

「よくやってくれたね。時間が惜しい。行こう」

「……はい」

 そうしてわたしは。

 じかんさかさま組織の秘書に戻り、彼に続いて時計塔へと向かったのでした。

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