⑦ ケーニヒの正体 ~もも叶の語り~

 黄昏時にホテルを出て、ここはドレスデンのクリスマス市。

 緑の布で飾った屋台にクリーム色のこぼれるような光があふれて、天使やくまのガラス細工に反射する。

 すぐそばには木のテーブルとベンチが並んで。

 少し離れたところには木彫りの人形さんたちが踊っているタワー。

 各自このあたりで、彼と一緒に好きなところを散策しようって言うことになり、あたしたち三人は無言で視線を交わし合った。

 少し向こうの時計塔も幻想的に輝いている。

 さりげなくカレたちと一緒にあそこまで移動して、様子をうかがう作戦だ。

 うなずき合ったあと、夢は星崎さんとテーブルへ、せいらは神谷先生を引っ張って斜め前方の屋台へと移動していった。

 あたしは一人、目の前の屋台をじっと見つめる。

 任務とは言っても楽しまなきゃね。

 サンタさんトナカイの人形が出店から釣り下がって。

 とくに目をひいたのはハート形やクリスマスツリーの形に編み込まれたレースだ。

 かわいいクリスマスベルと花形のレース、そしてリボンの小さなブローチを両手にとる。これほしい!

 ああどうしよう。

 かわいいものばっかで。こづかい足りない~。

 っていうか、ドイツ語でこれくださいって何て言うの~?

 あ、もしかしたら英語も通じるかもってせいらがってたっけ。

 英語でこれくださいは――。

 ……どっちにしろわからん。

 首をひねったときだった。


「Das bitte, für sie. (これを彼女に)」


 え? え?

 あっと思う間もなく、マーティンにブローチをつけられていた。

 今日は濃い緑のブレザーがよく似合ってる。

 彼って、こういうフォーマルな感じも似合うんだよね。

 って、そうじゃなくて。

「あ。そんな。あたしそんなつもりじゃ」

「あんなにものほしそうに見てたのに?」

「もーっ」

マーティンはちょっぴりいじわるに眉をつりあげて、少し身体を離してあたしを見る。

「うん。よく似合う」

 こうなったらもう笑うしかない。

「ありがとう」

 斜め後ろのベンチで休んでいる夢と星崎さんを見ながら、マーティンはうなずく。

「旅も中日で、もも叶も少し疲れただろ。フルーツティー、買ってくるから、座って待ってるんだ」

 さりげない気遣い。

 こんなとき、彼に遠慮は無用。

「うん!」

 ただにっこりわらって甘えればいいということがわかるくらいには、付き合いも長くなった。

 マーティンが遠ざかるのを見送って、さらにいろいろなクリスマスグッズに目を光らせる。

 どれもきれいだなぁ……。

 そのとき、どんっと勢いよく、なにかがひじにぶつかった。

「あたっ」

そう思ったときには、手首をすばやくつかまれている。

「!」

 見覚えのある、黒いフード。

 あたしより少しだけ高い身長。

 これって、もしかしなくても。

「昨日、市場でピアノ弾いてた、シュトゥンデの……彼……」

 引き寄せられてをのは、思わぬ言葉だった。

「グーテン・アーベント。フロイライン(ごきげんよう、お嬢さん)。時間逆さま組織のケーニヒだ」

 腕をつかみ、駆け出される。

 華やかな景色が妙にゆっくりと動いて見えた。

 シュトゥンデの彼が……!

 追われる身だってそういうことだったんだ。

 しばらく呆然とひっぱられるままに走ってしまったけど、あるところでぶんっと腕をふる。

 ケーニヒが、立ち止まる。

「なんで時間を戻そうとするの?」

 ……。

「答えてよ! なんでみんなの愛情や友情を消してまでしてそんなこと。言っとくけど、あたしたちがぜったいそんなことさせな――」

 苦笑するような笑い声がふいに聴こえてきた。

「なにがおかしいの」

「あえて言えば、原因はきみかな」

 あたしは目を見開いた。

 さっきと違う、この声。

 聞き覚えのある、声――。

 ケーニヒがフードをとった。

「手荒なことをしてしまって、ごめん。もも叶ちゃん」

 薄茶色の瞳。ウェーブががった髪。

 呆然と、彼の名を呼ぶ。

「ジョニー……?」

 ジョニーがケーニヒ。

 どうして……。

 その言葉を言うより早く、口をふさがれる。

「なにも言わないで。これ以上きみの声を聴くと、計画の最後の仕上げをためらってしまいそうだ」

 そしてぐっと声を落として、

「少なからず骨を折った計画だから、成功させたいんだよ。きみは協力してくれると信じている」

「……」

 ならどうして、悲しい目をしているの?

 そっとその手が口から離されたとき、あたしは口を開いた。

「ジョニー。悪いけど、あたし、協力できない。世界中の時間が戻ったら、みんなが築いてきたものも、愛情だって消えちゃうんだよね」

 ジョニーは目を伏せ、

「そうだね」

 認めた後、ふっと微笑んだ。

「でも君は協力したくなる。今から、僕がそうさせるから」

 もっとも卑劣な手段を使って。と低いささやきが聴こえる。

 その甘やかな響きにからめとられそうで、ぶんぶんと首を横に振った。

「絶対、協力なんかしない! ジョニーがこんなこと、できるはずない!」

 瞬間、ぐっと抱き寄せられて、宵闇のようなマントに顔がうずもれる。

 聞き分けのない子にするように、ジョニーの手が頭にのせられて。

 耳元で、彼の声が響く。

「築き上げた愛情が消える代わりに、築き上げられなかった愛情を新たに生み出すこともできるんだよ」

 彼の胸から顔を出して、自由になることすら忘れた。

「……どういうこと?」

 そうききながらも、すでにあたしは彼の言いたいことを予感していた。

 まさか。

 でもほんとうに、そんなことが。

「時間を逆行させるのに必要な時の砂は今僕の手中にある。そして、もう一つ。必要なのは豊かな時間を過ごした人の時間の花だ。逆行したあと、ふたたび時が流れ出したとき、その流れの中で一つだけことを思い通りにする力がある。今それを部下が確保しに行っている。彼女は必ずやり遂げる」

 時間逆行のシステムをすらすらと語る彼にもどかしい想いが滝のようにこみあげる。

 ちがう。ききたいのは、そんなことじゃない。

「新たに流れ出した時間の中で、きみの大事な友達が、両親からの愛情をたっぷりと受けとることができるとしたらどうかな」

 勢いよく息がこの口に吸い込まれる。

 彼はあたしの肩を抱いて、向き合わせた。

 優しい茶色の目が、鋭くこちらを見つめてくる。

「これでも僕の計画に反対する?」

 大事な友達が。

 ずっと両親のことで苦しんできた友達がもう一度、愛情を受けられる――。

 まるで蜜のような響きを持つ申し出だった。

 気付いたら、あたしは彼の黒いシャツの襟を強くつかんでいた。

「ほんと。ほんとなのジョニー」

 無意識に口走る。

「新しい世界で、夢は、お父さんとお母さんと仲良くできるの?」

 彼の口元が赤い月の下弦のように、ゆっくりと弧を描いた。

「あぁ。時計塔を進ませてくれたら、時間の花にそう願うと約束する」 

 突如訪れたその約束は、つっぱねるにはあまりに魅力的だった。

 甘い蜜はあたしの身体を拘束して動けなくする。

 彼が口の中で囁く声なんて無論、きこえない――。

 ごめん、もも叶ちゃん。

 これは嘘じゃない。でも、卑劣な手口だ。

 それでもほしいんだ。

 ――きみのことが。

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